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飛び入り体験談 フィッシャー症候群奮戦記 [病気及び治療経過]

 エッセイ集『燦』に二度ほど作品を投稿してくれた友人(6*歳)から下記のメールが寄せられた。フィッシャー症候群に襲われた状況・顛末をメモしたものだという。最初に病気の報せを受けたときには、東の釣り師というくらい釣り好きの男なので、てっきり、釣りのし過ぎが禍いしたのかと思ったのだが、フィッシャーは病気を発見したドクターの名前で、釣りとは特に関係ないことは、ネットですぐにわかった。そんなおよその知識も当人が脚注に付けてくれたので、そっくりご紹介することにしよう。色々な病気があるものである。

フィッシャー症候群:奮戦記!?

 今にして思えば、フィッシャー症候群を誘発するきっかけがあったように思う。
 去る6月20日(木)頃から風邪を引き、咽喉の痛み、咳、痰が数日続き、その後、元会社の同僚と富士山見物のバス旅行に出かけたり、夜、飲み会があったりしたが、特に行動面での支障はなかった。しかし、6月29日(土)までの間に2~3回だったが、車を運転しているときに、突然視界の一部がぼやけたり、歪んだりする現象が発生した。一瞬おかしいなとは思ったが、すぐに正常に戻ったため、そのまま放置していた…
 実はこれが、フィッシャー症候群様をお迎えするための事前の儀式?だったのかもしれない。

 そして、6月30日(日)朝、目が覚めたら、物が二重に見えて、めまいがして頭がグラグラし、足腰が立たずうまく歩けない。さらに、手(指先)や腕がしびれて力が入らない。何とか起き出して、やっとの思いで洗面、朝食、トイレを済ませて様子を見るが、症状は一向に回復せず。
 休日のため日曜当番医の○○中央病院まで、カミさんに車で連れて行ってもらい診察を受ける。CT検査の結果では、脳に異常は見当たらないが、念のためさらにMRIで検査した方が良いとのことで、
県立の循環器系の△△センターを紹介され、○○中央病院から救急車で△△センターに移動した。本人は、上記の症状はあるものの、担当医師の質問にもはっきりした口調で回答し、ろれつが回らない状況ではなく、意識もはっきりしていて、左右の半身がマヒすることもない状況だった。
 MRI検査の結果も、脳に異常はないと思われるとのことだったが、検査を続けるとのことで入院し、
点滴しながら集中治療室に入り一晩様子を見ることになった。
 7月1日(月)、1回目よりさらに入念に?2回目のMRI検査を実施するも、結果はやはり脳に異常がないことが判明し、脳梗塞等の脳の病気ではないという結論になり、一般病棟に移動。
 7月2日(火)、脊椎から髄液を採取し、雑菌やウイルス等の侵入検査でも異常はないという結果に。
 夕方、神経内科の主治医が、当方の症状からみて病名は「フィッシャー症候群」であると判断した。
有効な治療法は、血液製剤を点滴で投与することとのことで、同日夜から連続5日間に亘り点滴を実施。血液製剤の投与は、体重によって量が決まるとのことで、小生の場合は体重73キロで計算し、一日に550CC(50CC入りのビン11本)ずつ5日間投与した。(かなりの高額だそうだ。)
 入院後1週間は症状はほとんど回復せず、トイレ、食事、風呂等の移動は全て看護師つきの車イスで。勿論?トイレではパンツの上げ下げまで看護師さんのお世話になる始末で、全く情けない状況に。
 7月9日(火)から、歩くためのリハビリを開始。めまい、しびれ、足腰等は徐々に回復の兆しが見え始める。しかし、物が二重に見える(複視)症状は一向に回復せず。
 歩くリハビリは、3日目に歩行器付きで病棟内を自由に歩いて良いとの許可が出る。こうなると、可愛い看護師さんのお世話になることがほとんどなくなり、朝夕の検温と血圧を測る時にお世話になる程度で、何となく寂しくなってしまうから不思議である。看護師さんといえば、この病院は男性もいるが、圧倒的に若い女性が多い。勿論、下ネタが通じる年配の面白い看護師さんもいて、結構楽しい病院生活となった。だが、規則なのか皆さん大きなマスクをしていて、美貌が見えずに残念な思い・・・。夜間勤務の時などはマスクを外す看護師さんもいたりしたが、この時はこちらはオヤスミ中!?
 7月17日(水)から、歩行器なしで病院内全域自由歩行OKの許可が出る。
 その後、2回目の髄液検査の結果も問題なく、複視以外はほとんど回復し、「あとは気長?に複視の回復を待つのみ、病院ではこれ以上やることなし」とのことで、7月20日(土)早朝に退院。本格的な暑さはこれからという時に退院となり、家から近くて絶好の避暑地から追い出されてしまい、長居しようとの目論見は外れて、反省することしきり・・・。もう少しリハビリを不真面目にやれば、もっともっと長居ができたはずだ、と。
 5年前は心筋梗塞が疑われる事態に遭ったが、セーフ。今回は脳梗塞の疑いがセーフ。どちらも救急車で同じ病院に入院して集中治療室に入り一泊。高い医療費だったが、考えようによっては小生はツイテますよネ!
 さて、5年後は如何に?? 
 現時点でも、まだ複視は回復していませんが、家では2.5~4.5キロほど軽い散歩をしたり、夜は適当に酒を飲んでます。
 入院で3キロ減った体重が、退院して3日で元に戻りました・・・。
 フィッシャー症候群は珍しい病気だが、難病ではないらしく、放っておいても時間がたてば症状は回復するとのことなので、のんびり回復を待つことにします。字も勿論二重に見えるし、新聞、テレビ、メールもまだしんどい状況です。何よりも、視界不良のため車の運転ができないのが一番不便ですね。

 異常(以上)です!?   (2013.08.01)

<参考情報>

★フィッシャー症候群とは?
 目が動かなくなり、身体がふらついてうまく歩けなくなる病気で、多くは風邪をひいたり下痢をしたりした後、数日して急に症状がでてきます。

★この病気の原因はわかっているのですか
 自分を守るための免疫系が異常となり自分の神経を攻撃するためと考えられますが、まだ完全にはわかっていません。
 
★この病気ではどのような症状がおきますか
 目が動かなくなるために物が二重に見え、身体がふらついて歩けなくなります。物の飲み込みがうまくできなかったり、手足がしびれ力が弱くなることもあります。また目の症状や身体のふらつきのみの場合もあります。

★この病気はどういう経過をたどるのですか
 ほとんどは数カ月でよくなり、普通は再発はありません。
 
★この病気は遺伝するのですか
 この病気は遺伝しません。
 


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放射線治療後の経過 3 [病気及び治療経過]

 一昨日水曜日に定期検診に行ってきた。定期とは、前回が6月19日で、概ね4週間後なのだが、月1回にするためか、ときどき5週後になる。検査は血液検査で、前回のレポートのときに「10台の採血台がフル稼働して…」と書いたが、なぜ10台と思ったのか、いくら見ても8台であった。謹んでお詫び・訂正!
 2、30分待ち程度で順番が来て、泌尿器科の診察のほうに回るから、話もそちらに進むのだが、今回は珍しく、八分の一の確立で男の看護師に当たった。ホルモン療法で去勢しているから、男でも女でも特に当たり外れはないのだが、この採血師さんは、いささか不器用で、その点で外れであった。もともと私の腕の静脈は細く、採血師さん泣かせなのだが、ほとんど一発で上手に針を血管に刺してくれて、ことが終っていた。ところが、この日の八分の一師は、こちらから見ていても「ちょっと、そこではないだろう!?」というところを何度もブスブス刺していた。挙句、手を変えてやり直す始末。でもまあ、その程度で、無事に(たぶん)終わった。
 泌尿器科で待つこと、また2、30分。S先生の爽やかな声で診察室1番に呼ばれる。
「どうですか、調子は?」
「お陰様で、変わりなくやっています。」
「そうですか、それは結構ですね。今回はゼロサン、ゼロサンですよ。」
「はっ?ゼロサンというのは…?」
「PSAの数値が0.03です。」
「あ、そうですか、前は0.04でした、確か。」
「そうですよ。落ち着いてますね。この次から、3ヶ月にしますかね。8月にもう一度きてもらった後は。」
「あ、わかりました。ところで、6月末に、CTと骨シンチをやったのですが、その結果はどうだったのでしょう?」
「ああそうでした。んんん、リンパ節も小さいままですね。大丈夫ですね。」
「はあ、それはよかった。先生、今日は午後からH病院の放射線科の先生の検診もあるのですが、持っていけるデータがありましたらお願いしたいのですが…」
「あっそうですか、わかりました。では、今度は8月28日ね。その後は3ヶ月ごとにしましょう。はい、お疲れ様でした。」先生は淀みがないから、時間にすると、たぶん1、2分のことだろう。あまりにも淡白で物足りないのだが、経過が順調だとのお達しなので、大変結構なことではあった。
 看護師からもらったH病院の先生への資料は、結局、6月の血液検査の結果表のみだった。
 それからリュープリンを化学療法室で打ってもらい、その日の血液検査の結果表も、そこで少し待って出してもらった。そして、外来で会計事務を終え、G大病院を後にした。
 それから松屋で値段に(も品にも)感激の昼飯を食べて、友人の政治ニュース(民主党の役員会が菅元総理の処分を検討したことについて「いよいよ菅党ですな」とのメール)に、
「反(脱?)原発の菅さん、民主党と袂を分かつか、そのほうが分かりやすくていいなあ、では党名でも考えてやろう…」と、頼まれもせぬ党名とキャッチフレーズと、三大基本理念なんぞを考えて時間を潰して、H病院に行ったのだが、2時のところを1時間も早く着いてしまった。
 円形のなんとなく豪華な待合室で問診表(アンケート)に答えていたところ、書き始めて間もなくお呼びがかかった。タイミングがよかったのだろう、問診表のほうは、排尿時の痛みなし、残尿感ほとんどなし、夜の小水は、1回かないこともある、など、当てはまるところに急いで丸をつけて、久しぶりに、顎鬚を少し蓄えたO先生にお目にかかった。先生、風邪をひいたのか、マスクをされていたので、お鬚には会えなかった。5、6、7月の血液検査の結果表を見ていただいた。
「PSA順調に下がっていますね。」
「はい、そんなに下がっちゃっていいんですかね?0.04、0.03、0.02って…」
「もちろん、いいんですよ、低いほど。」
「数字が上がり出すといけないって聞いているものですから、あまり低くなると、あとは上がるしかなくなってしまうのではと思うので…」
「まあ、0.01ぐらいの上がり下がりに一喜一憂する必要はありませんけどね。」
「6月末に、あちらの病院でCTと骨シンチをやったので、こちらの先生にも見てもらおうと思っていたのですけど、結局何もデータを貸してくれませんでした。」
「それはいいけど、先生はなんとおっしゃってた?」
「リンパ節が小さくなっているとか、小さいままだとか言ってました。だから、大丈夫だって。」
「それはよかったねぇ。」
「でも、画像1つ見せてもらってないのですよ、自分の体の。S先生、自分ひとりでパソコンに向かっていて。」
「あちらは忙しいからねー、患者の数が桁違いだから、ひとり1分ぐらいでやっていかないと消化しきれないんじゃないかなー。」
「そうなんですよね。数をこなすことに追われているんでしょうね。」
 こちらの先生は、放射線の照射による副作用に眼を光らせてくれている。今のところ、困るほどの副作用というのは、ほとんどまったくない。こちらの先生初めスタッフの方々の丁寧で適切な照射のお陰であることに間違いない。その先生が
「今度は10月に、ご面倒でも、また来てください。元気なお顔をまた見せてください。」とおっしゃる。「はい、また、喜んで来ます。定期的に診ていただけると、とても安心できます。」
 PSA38が発覚して1年3ヶ月の、とある患者の、目下の状況である。


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放射線治療後の経過 2 [病気及び治療経過]

 昨日(作文に手間取って「一昨日」になってしまった)G大医学部付属病院に行ってきた。
 7時前に家を出、8時半頃再診機にカードを入れることができた。まず泌尿器科に行き、検査で来たことを告げると、検査室の案内図を渡され、検査がすべて終わったら再び泌尿器科に戻るよう告げられた。検査は骨シンチグラフィ(グラムとも言うらしい)と全腹部単純+胸部~全腹部造影CT(と書いてある)。昨年の6月、12月にも受けており、3度目になる。
 早速地下1階の核医学診断棟に行き、注射を受ける。静脈に撮影のための薬剤を注入するのだ。看護師さんに質問する。
「この造影剤は放射線が出るのですか?」
「これは造影剤ではありません。ラジオアイソトープという放射性同位体で、微量出ます。」
「周辺の人にも影響がありますか、例えば赤ちゃんとか妊娠している人とかには?」
「抱きかかえたりしなければ、同じ部屋にいるぐらいでは大丈夫ですよ。それにおしっこで出ちゃいますから、あまり心配は要りませんよ。」
 この薬剤が全身に回るのに4時間かかるらしい。撮影は1時半から予定されている。丸々4時間、時間を潰すことになる。潰すと言えば時間がもったいないが、お暇な時間を4時間ももらってしまったと思うと嬉しくなる。
 1Fにコーヒーショップの入った、富弘さんの作品も展示してある寛ぎ空間がある。そこで、友人が貸してくれた、畠山重篤さんの『牡蠣礼賛』を読み始めた。夏に生食で食べられるイワガキの話から始まるテイスティーな話なのだが、牡蠣の成育とか養殖にまつわる話なので、読み慣れない、聞き慣れない、つまり知らない言葉がたくさんあり、とんとんとは読み進めない。そのうちに友人からメールが入る。
「今日の朝日新聞の19面を見なさい、良いことが書いてある」と。
 よし、朝日新聞だと思い、さっそく周りを見回すと、新聞を見ている人が何人かいる。入り口脇に新聞の架台もあり、1つ下がっている。急いで近付くと「上毛新聞」とある。残念。読んでいる人のをちらちら覗き見ると、これも「上毛新聞」とある。どうやら「上毛新聞」が3部置かれているらしい。他人の勧めで一面を見るのに150円は高いから、どこかにあるはずだと思い、受付の総合案内で聞いてみた。すると何ヶ所か図書コーナーがあることを教えてくれたが、新聞は置いてないかも…とのこと。行ってみると、確かになかった。
 天下の国立大学に全国紙が置いてないわけはあるまいと思って、大学の図書館の場所を尋ねると、構内案内図を見せて「場所はここですが、入れてもらえるかどうか…」とのこと。
 確かにこちらは病院の患者で時間をもてあましているに過ぎない。一々入館させていたら、学生の勉強に差し支える。ならば、検査に来た患者ということではなく、一般市民の見学ということで入れてもらうことにしようと決めて、構内を図書館に向かった。
 建物に入ると、駅の改札よろしく、入り口と出口のゲートが一つずつある。進入矢印の書いてあるほうのゲートから入ろうと、閉じたボードをペコペコ押していると、急にスパッとボードが開いた。ゲートの向こうの司書さんがボタンを押してくれたらしく、カウンター越しに微笑んでいる。
「今日はどんな御用で?」
「埼玉で学習塾をやっているものなのですが、こちら医学部の図書館を見学させてもらおうと思って…」
「ではこの紙にご住所、お名前等記入してください。」
 必要事項を書くと、「出入りのときはこれを見せてください。ではどうぞご自由にご覧ください」と、極めて親切に、首から提げる一日入館許可証を渡してくれた。
 私の目的は「今日の朝日新聞」で、はっきりしているのだが、天下の国立大学医学部の図書館に入って、それだけを求めるのも大変失礼だから、そのことはしばらくはおいておいて、見学をさせてもらうことにした。1階は、黒い表紙の分厚い医学書が何列もびっしり並んでいて、すっかり圧倒されて、書名も目から入ってこなかった。立派な本だが、何の本だかさっぱりわからなかった。閲覧用のテーブルがいくつもあるが、学生さんは一人もいなかった。なんだ、立派な施設がもったいないなあと思ったが、授業中かも知れないので、即断は禁物だ。
 2階に上がるとガラスのケースに陳列したものがある。一つは「レオナルド*ダ*ヴィンチの解剖手稿」とある。もう一つは杉田玄白の「解体新書」だ。これらの本が、実証的な西洋医学にとって重要な位置付けにあるわけだ、なるほどと思う。
 さてさて、脇目を振り過ぎていると収拾がつかなくなるから、先を急ぐことにしよう。2階には衝立で仕切られた個人用の学習机があちこちにある。学習に勤しむ学生さんもちらほらいる。しかし、新聞の架台は見当たらない。雑誌のコーナーはあるが、新聞のコーナーはなさそうだ。郷に入っては郷に従え!ここにある本を読もうと、側の書棚を見ると、脳死関係の本が並んでいる。そこから、立花隆の『脳死臨調批判』を取り出し、読むことにする。読んだ範囲で理解したところによると、彼の考えは、日本人の素朴な死の判定基準は動かなくなることで、動いている部分があるものを死と認定するのは、よほど説得されないと同意が得られないものだ。同意を得ようというのなら、もっともっと根拠を挙げて、常人に納得させる努力を、医療の側がすべきだということらしい。医者と常人とは、死の取り扱いについては雲泥の差があるのだから、とも言っている。
 前日、以前のエッセイ仲間から送られてきた作品が『最上の最期』という自分の望みの死に方を書いたものだったので、つい最も中途半端な死に方に目が行ってしまったが、読書にも疲れた頃、別の友だちからメールが入った。
「今朝の朝日新聞一面の『座標軸』はいいぜ!」とある。おやおや、そんなに今日の朝日新聞は読むところがあるのか。とうとう金を出す決断がついた。席を立って病院のコンビニに向かった、入館許可証を首に提げて。(これは後で返しに来たよ、ちゃんと。)
 コンビニで新聞はあっさり手に入ったのだが、そろそろ核医学診断棟に行く時間になっていた。そこの待合室で、お薦めの新聞記事の所在は確認できたが、中身はじっくり読む間もなく、検査室に呼ばれた。検査室ではポケット空の着たまま状態で検査台に寝かされ、鼻すれすれまで降りてくる透視の機械が頭のてっぺんから足の先まで、ゆっくり(約20分ほどだそうだ)嘗め回す感じだ。その間、体の力を抜いてじっとしている。
「結果はいつわかるのですか?」
「画像はすぐにでも出ますけど、次の診察のときに先生が説明してくださると思います。」
「では、7月の末ですね。」もっと早く教えてくれないのかよ、内心は不満であるが、急いで知る必要もないのだろうと思えば、気も楽である。
 さて1つ終了した。次の全腹部単純+胸部~全腹部造影CTなる検査は3時40分である。1FのCTの受付に声をかけると、30分前に来てくれとのこと。1時間以上、また間がある。
 寛ぎの間で、例の新聞を落ち着いて見ることにする。まず19面は、「甲府市が舞台の映画『サウダーヂ』の富田克也監督」へのインタビュー記事だ。「自分の街や暮らしが、こんなにひどいことになっている。不安と不満の中で生きている。」地方の若者の実感に対して、自民党の勝利、アベノミクスというやり方、答えはどこか違うのではないかという異議申し立ての心情が満ち溢れている。そこが友は気に入ったのであろう。
 『座標軸』は「見過ごせぬ議論なき原発回帰」という見出し。「事故原発を抱える現実」を尻目に「こっそりと逆行」する安倍政権の原発政策を問いただす記事だ。これを「読め」という友の気持ちも、痛いほどよくわかる。価値ある150円だったよ、朝日新聞さん。燦Q。
 さてこの後、もう1つドラマがあったが、それはまたの機会としよう。
 言われた時間に受付に声をかけ、待合室というか、広い廊下で待っていた。昨日は珍しくすいていて、検査で詰まっている様子もなかったが、待つこと、ちょうど30分、ようやく呼ばれて検査と相成った。これまたポケット空の着たまま状態でベッドに仰向けに。先ほどは手は脇だったが、今度は上に揚げて耳の脇に。息を吸って、止めての声に合わせて撮った後、静脈に造影剤を注入。すぐに喉から下腹部、肛門まで熱くなってくる。また、「息を吸って、はい、止めて」を一度か二度かやったら「はい、終わりました」となった。骨シンチと比べるとあっさりしたものであった。
 外来3Fの泌尿器科に戻り、検査終了を告げると、「今日はこれでお仕舞いですから、これを出して会計を済ませてお帰りください、お大事に。」混んでいるときは、会計でまたひときり待たされるのだが、昨日は10分かそこらで済ませることができた。支払いは2万7千なんぼなり。カードで払えるから、どうということもない。でも、カード会社から請求が来るときは、あたふた…
 そういえば、朝6時に飯を食って以来何も食べていなかった。急に腹が「オーイ、飯」と騒ぎ出した。

2013062810110001.jpg
レオナルド*ダ*ヴィンチの解剖手稿 各国語訳が付いている


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あとがきの続き1-放射線治療後の経過 [病気及び治療経過]

 昨日、6月19日、G大病院に定期検診で行ってきた。雨で車の流れが悪く、到着が予定より少し遅れた。駐車場は、ここ一年の間にどんどん拡張され、入庫に待たされる時間は以前より減っている。ただし外来とは大分距離が(200mくらい)あるので、せっせと歩く脚力が必要である。(S医大病院は裏の坂道を大分登った所に駐車場があるので、よほど丈夫ではないと、病院にはかかれないなあと思ったものだ。それから思うと平らなのだから、かなり病人に優しい。)外通路から中に入ると、レストランやコンビニ、衣料品などの店が並んでいる。そこを(幸い丈夫だから)せっせと通り抜け、8時45分頃、外来入り口の再診機で受付を済ませた。受付を済ませると、すぐに2階の採血室に行き、そこの機械に受診カードを差し込み、採血の受付票をもらう。採血室は10台ほどの採血台がフル稼働しているのだが、外に大勢が待っている。4、50分待つこともよくあるが、昨日は25分待ちだった。その間にトイレに行ったり、少し喉を潤したり、メールを打ったり、長いときには本を読んだりしている。
 ここで採血を済ませると、3階の泌尿器科に行く。節電のためなのだろう、やや薄暗い通路の長椅子にかけて待っている。たいていほぼ満席だ。ここで2、30分も待っていると、先生から放送でお声がかかる。「1番の診察室にお入りください。」
 S先生は治療ガイドライン作成の一部を分担されている、この道の権威である。パソコン画面に目を遣りながら、「どうですか、調子は?」
「特に変わったところはありません。ただ、今日、車を運転しながら、膝のちょっと下のあたりが、ときどき、ツーン、ツーンと痛くなるのですが、骨への転移と関係ありますか?」
「まずないでしょう。膝に来ることは滅多にありません。今度、検査が入ってますね。ではまた注射をしてお帰りください。はい、お大事に。」
「そうだ、先生、前回の血液検査の結果をいただきたいのですが、プリントしてもらえますか?」
「はい、じゃあそうしましょう。受付でもらっていってください。」
 先生、診ている患者さんが相当多いのだろう、スピーディーだ。外で20分ほど待っていると、受付に呼ばれ、処方箋や検査結果、受診カードなどが渡される。それを持って2階の採血室の隣の化学療法室に行き、腹部に約1月もつというホルモン調整剤を打ってもらうと治療は全部終了。この部屋の受付で会計事務もしてくれて、あとは、1階の精算機に受診カードを入れて、クレジットカードで1万何某の支払いを済ませれば、事務も終了。長い通路を駐車場に戻る途中で、駐車券の精算を200円で済ませれば、完全に終了だ。もう、1年以上、十数回繰り返してきたことなので、慣れたものである。
 さて車に戻って血液検査の結果を広げてみると、赤血球は3.93から4.07に、白血球は3.0から3.6に、血小板は150から154に、いずれも正常値より低いのだが、増えていた。PSAは0.04とさらに減っていた。体調が悪くないことが、検査で裏付けられた。ただし、5月22日時点の話である。昨日の結果は、どうせ電話では教えてくれないのだ。また、呑気に待つとしよう、というか、忘れていることにしよう。
 駐車場を出ると、いつもは、17号を少し北に足を伸ばし、G大学荒牧校舎に向かう。そこの学食で、同級生のI君と昼飯を共にする。それが昨日は、I先生、県庁で会議とのこと、県庁の31階展望レストランで会食することになった。駐車場からして新鮮で、気付いたことも多々あったが、とりとめがなくなるので、治療後経過のご報告はこれまでとしよう。
 


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第16話 放射線治療の副作用 [病気及び治療経過]

 今頃明かす話ではないが、病院生活は、夜9時消灯就寝、夜間は2時間ごとに看護師さんが見回りに来て、朝6時に点灯起床という夜の日課がしっかりしている。WBCで、デイルームのテレビの周りがいかに盛り上がっていても、9時が近付くと、みな、すごすごと部屋に、各自のベッドに戻っていく。こういう生活が続くと、8時半頃になると、疲れと眠気が自ずと催して、ベッドに横になり、消灯を待つようになる。その代わり、朝4時、5時にはもう目が覚める。覚めても暗い中で一人ごそごそしていたり、個人用の灯りを点けたりするのはちょっと気が引ける。体が痛くて、寝つきが悪くて、他人(私?)のいびきがうるさくて…今ようやく寝入った人もいるのである。そんなときは、本を一冊持って、こっそり部屋を出て、廊下の灯りの下で本を読んでいる。すると親切な看護師さんが、「あら、目が悪くなっちゃうわよ」とデイルームの電気を点けてくれる。
 
やがて皆も起き出し、トイレに行ったり歯を磨いたりし始める頃、夜担当の看護師さんが、最後の仕事なのだろう、トイレの回数チェックに訪れる。小が一日何回、夜間何回、大が何回、ガスの出は、変わったことはありませんかと聞いてくれる。私の場合は、小が一日7、8回、夜間は1、2回、大が4、5回、ガスの出は良好(たいていは大と一緒にトイレでだが)、変わったことはほとんどなし。
 
それから朝食も終わり、軽い運動やストレッチをやっている10時頃、今度は、昼担当の看護師さんが、検温と血圧測定に訪れる。私の体温は6度5分から8分ぐらいで、意外と高いことがわかった。血圧は、120から130ぐらいで、これも快調(と自己判断)。この折、またこれに前後してドクターの回診の折もそうだが、排尿時に痛みはないか、血尿は出ていないか、出は細くないか、残尿感はないか、切迫感はないか、照射している皮膚(臍のちょっと上から骨盤にかけての腹部、わき腹、背中)にただれや痒みはないか等聞かれる。これらが、放射線治療に伴ってよく起こる副作用なのであろう。
 
私の場合は、排尿時の痛みなし、血尿なし、出は多少細いときあり、残尿感ほとんどなし、切迫感はときどきあり。皮膚については、痛くも痒くもないので、「大丈夫です、色黒のせいか肌が丈夫のようで…」とめくって診てもらっていた。それが、終わり頃になって、ふと異変に気がついた。色黒は地黒で、日焼けなどにも強いと思っていたのだが、お腹周りの黒さが、その上や下よりも一段と黒いのである。自分の目で見下ろすとよくわかる。〈はて、パンツを履いている部分だから、他よりも白いはずなのに、あれっ、他よりも黒いぞ〉と気がついた。放射線焼けで黒ずんでいたのだ。放射線治療の爪あとが、そこにはっきりと残っていた。幸い別状はないが、確かに影響は受けていた。
 
その他の副作用としては、「放射線を浴びると毛が薄くなるぞ、蝋燭病というのだ。心配だから見に行ってやるぞ。そろそろ3分の1終わった頃だろう」「そろそろ3分の2終わった頃だろう」「そろそろ全部終わる頃だろう」と何度も見舞いに来てくれた親切な友人がいた。来ると、まず、私の髪の毛をしげしげと眺める。次に、ベッドの枕の上に視線を落とし、抜け毛を探し、拾う。それから言う。
「あまり変わってないねえ。枕は、先回りして、毛を拾った?」
「ううん、全然。折角来てくれたのに、ご期待に副えなくて悪いねー」毎回こんな会話を交わすのだった。つまり、このことで毛が薄くなることはなかった。先生に聞いても、頭には照射していないので、影響が出ることは、まずないとのことだ。だからいくら友人が期待しても、実現は難しいのだ。その代わり、最近、下の毛が薄くなったような気がする。こちらは当たっているに違いない。早く知らせてやろうと思うのだが、下の毛が薄くなっても彼は喜ばないかも知れないし、「見てみ、見てみ」って言っても、見向きもしないかも知れない。
 3月21日に
治療が終わって、約一月たった。今のところの副作用で一番困った点は、股間の皮膚が弱くなっているため、自転車に乗ることを禁止されていることだ。色々な用事で市内を動き回ることがよくあるため、自転車に乗れない不自由はかなり大きい。代わりに歩行で済ませようとすると、時間がかかるか、急いで疲れるか。荷物も多くは持てない、運べない。サドルに腰掛けなければ問題はないと思うので、いわゆる立ち乗り(これもよくないらしい8/18加筆)をすることもあるが、角々で一々神経を使う。それに、これが意外と疲れるのだ。座って移動できるからこそ、自転車は便利な乗り物だったのだ。代わりに車を使うと、市内の用事では駐車するのに一々苦労する。それに、ガソリンを使って空気を汚すことも気が進まない。
 
自転車操業ができなくなった(=経営が成り立たない)。その内モーターバイクでも買うとしよう。
 
腸の下痢気味状態は、退院後2週間ほどで通常に戻ってきた。固まりだしたときには、先端が出掛かると、痛みを感じ、わずかだが出血した。そんなことを見越して、退院時に痔の薬をもらってあったので、それを4、5回使うと、切れ痔も治まり、便での苦労もなくなった。
 
今の時点で目に見える副作用は、腹が黒くなった(腹黒くなった)ことだけかもしれない。だが、腹黒さが物語るように、下腹部が洗礼を受けていることは間違いないので、アルコールと刺激物は避け、過労もなるべくしないように、しばらくは(では済まないなあ、今後ずっと?)大事にしようと思っている。
 
目に見えない副作用としては、白血球の数が減った。4~5千あったものが、直後の血液検査では2千8百に減っていた。その一月後は3千に若干回復した。骨盤にも当てているので、白血球が減る可能性はあるという。「特に何かしなければならない低さではないので、回復を待ちましょう」とのことだ。
 
肝腎の癌退治の作用のほうはどうかというと、すぐに判定する方法はなさそうで、これまでのホルモン療法を続けながら、PSAの数値を監視したり、CTなどの透視検査を定期的に実施していくより他はないようである。
 長期戦である。

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第12話付録 病院の衛生度等 [病気及び治療経過]

 一話割くほどのボリュームがないので、第12話の付録とします。

 
病院は言うまでもなく病人が集まるところなので、思わぬ病原体に感染することがないよう警戒する人が多い。実際に、抗生物質等の効きにくい薬剤耐性病原体による院内感染が報告されることも多々ある。だから、病院に出入りする度に手洗い、消毒等をすることは大切なことと思うが、「病院=病原体の巣」のような過度の警戒心、恐怖心は無用で、かえって健康に悪いのではないかと思った。わずかな体験で一般論は言えないが、少なくとも私の入院した病院の病棟、病室に関しては、そう思う。
 
病室の床は、毎日、モップがかけられ、ゴミもホコリもほとんど無くなる。消毒臭さはなかったから、消毒薬は普段は使っていないのか、微量使っているのか、その辺はよくわからないが、病室の消毒の必要性を感じることもなかった。テーブルの上も毎日拭きに来てくれる。シーツは、週一回だが、上下とも交換してくれる。トイレにも、洗面台にも、洗剤のボトルと、ペーパータオルが備わっている。私の普段の身の周りより、よほど清潔だ。
 
お風呂はどうか。病院のお風呂と言うと、入りたくない人も多いと思うが、長期入院ではそうもいかない。最初は恐る恐る入ってみたのだが、三十分毎の自分の予約時間に行ってみると、浴槽から湯が溢れている。自分が入ると、入った分、更にお湯が溢れ出て、上澄みが排水溝に落ちていく。家でこんなことをしたら燃料と水がもったいないが、一人ひとり浴槽を空にして、浴槽を洗い直してまた湯を張り直すより、このほうが合理的なのだろう。いわゆるかけ流しで、源泉ではないが、群馬の温泉気分を彷彿とさせる。例の福岡の人は大いに気に入って、予約票に空きがあると、日に二度も予約を入れていたところ、「入浴は一日一回にしてください」と注意されてしまったと、苦笑していた。
 衛生という観点からいくと、病院スタッフや入院患者にとっては、院外の訪問客の衛生度のほうがよほど気になるというのが実情だろう。大勢で見舞いにきて、そのうちの何人かがゴホゴホやっていたりすると、部屋から一時逃げ出したくなる。だれかが感染すると、部屋中に伝染しかねないから、内部の者は、病原体の持ち込みを警戒しているのである。

 
喫煙者の扱いはどうか。院内はすべて禁煙で、喫煙は、院外にあずまやが設えてあり、雨の日も風の日も、はたまた雪の日も、そこまで出かけていって吸わなければならない。車椅子で片足伸ばした人も同じである。外用に防寒着をまとい、エスカレーターまで車椅子を動かし、エスカレーター内で車椅子の向きを変え、…。吸いたいがために、回復が早くなる可能性も無くはないが、ご苦労なことである。ベッドに寝たきりの人は、吸う機会すらない。気の毒なことだが、これを機会に止める決断をすることが幸福への道であることは、傍目には明らかである。それにしても、可哀そうな(という形容詞をつけると、気分を害するのだろうか。失礼!)喫煙者がいまだにたくさんいることを実感した。若者よ、タバコはおぼえないほうが、いいぞ!
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第12話 病院食の奥行き [病気及び治療経過]

 入院中の食事について少々。
 
朝食は8時、昼食は12時、夕食は6時に出される。そのおよそ30分前に、熱いほうじ茶がコップ一杯配られ、いただける。それからしばらくすると、「お食事の用意ができましたので、取りに来られる方はナースステーション前まで…」と放送が流れる。いそいそと出かける。
 
最初の週は、自分に用意されたものを黙々と完食するだけだったが、次の週から色々なバラエティーがあることが次第にわかってきた。まず、毎週水曜日に翌週の献立表が配られる仕組みだった。そこに選択肢がある。朝食は、Aが米飯で、Bがパン。昼食は選択なし。夕食は、メインディッシュの違いでAB二種類。これを日毎に選べるのである。
 
私は、朝食はBのパン食を、迷わず毎日選んだ。さらにパンは2個または3個を選べる、と、これは看護師さんから聞いた。私は欲をかいて3個を選ぶ。夕飯は、選べない昼飯のメニューと睨み合わせて、一日一食は魚料理が食せるよう選んだ。特に魚が好きというわけではないのだが、魚介類を多く摂るように心がけるほうが自分の体によいという認識を持っていたからである。
 
朝食は、翌週を待たずに、パン食に変えてもらうことができた。200㏄の牛乳パックと野菜サラダと、主に玉子を使った料理が付いてくる。パンは、クロワッサンと葡萄パンとロールパンが、ふっくら温かく、焼きたてを思わせる風情だ。ジャムの小袋が添えられている。そうそう、忘れていたが、忘れても仕方ないほど少量の、底から1.5㎝ほど入ったカップスープも付く。これにフルーツジュースでもあれば、そして食後にコーヒーでも出てくれば、もうご機嫌、ホテルの朝食とさして変わらない。欲をかいて正解だった。
 
ところが、パンがときどき食パン2切れとなる。食パンがふんわり温かくても、これはどうもいただけない。もったいないと思いながらも、つい、半切れ食べ残してしまうことが多かった。
 
朝食はさらにオーダーメードにする途があった。冷たい牛乳パックの代わりに、ヨーグルトという選択肢があることがわかった。さらに、ジョアという選択肢があることもわかった。知るたびにシフトした。乳脂肪より乳酸菌のほうが体によいと思っているからである。パンの通りを良くする飲料としては、豆乳製品を自分で用意すればよい。イソフラボンも前立腺患者にはよいのだ。(いくらか栄養について学んでいた。「医者の私ががんを消した食事法」中野重徳著(中経出版)参照)
 
病院生活はなかなか奥が深かった。一番先に選択肢を全部示してくれればよいではないか。そうとも言えるが、段々わかってくることも、長期入院患者にとっては、飽きない面白いことだった。
 
昼食は、うどんやカレーが出ることもあり、やや変化があった。(ただ、ラーメンにだけは一度もお目にかかれなかった。)
 
夕食も、栄養バランスを考えたものを、趣向を凝らして提供してくれた。私の場合は、血圧が高めで降圧剤を服用しているため、減塩食となっていた。このためか、何を食べても味がイマイチで、最後は200gのご飯が何口か残り、それを飲み込むのがやっとだった。知らぬ間に食べ終えて、「もう一杯」という気分になったことは、残念ながらなかった。(普段いかに塩分を摂り過ぎているかを知ることにもなった。)
180gに減らしてもらおうかなあ〉と思い始めた頃、管理栄養士さんがベッドに訪ねてきて、メニューについての感想を聞いてくれた。そこで、「塩分が少なくて血管にはいいのでしょうが、どうも、唾液の出が悪くて困ります。胃腸には悪いのではないでしょうかねー」と率直に申し上げた。すると、栄養士さん「そうですか、それでは味を添えるものを付けますよ。それも減塩ですけど、海苔の味と梅の味ではどっちがいいですか?」「梅味がいいかなあ」
 
その晩から、小さなビニールパックに入った練り梅のおまけが、私には付いてくるようになった。最後の一口、二口が楽に喉を通るようになったのだった。(そう言えば、入院当初は、義妹が梅の蜂蜜(?)漬けを用意してくれて、それを活用していたのだった。)
 
何でも言ってみるものだ。またまた奥が深かった。

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こんな写真しか撮ってなくてすみません!

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第11話 放射線治療のための体調管理 [病気及び治療経過]

 入院しての放射線治療は、通院者を優先するため時間が定まっていない。午前中のこともあれば午後の中頃のこともある。しかし夕方6時過ぎになることも多い。たいてい一時間前に予告がある。どんな状態で臨めばよいかというと、便やガスはなるべく排泄し、尿はなるべく溜めた状態が望ましい。一時間でこの状態を作り出せればよいのだが、それがなかなかむずかしい。お声がかかったときに全部排泄し、それから水分を摂って尿を溜めればよいだけのことだが、小のほうは言うことを聞いても、大のほうがあまり言うことを聞かない。腸が動いて出口のほうに移動してくれば時間に係わらず催してくるし、催していないのに便器に座っても、ただの考える人でしかない。
 
そこで、どうしても事前の準備が必要だ。いつになるのかわからないことに備えるのはストレスが溜まる。ストレスは入院生活に(限らずなんにでも)良くはない。いつ来ても良いように…? なるべく腸を空にしておけば良いのである。
 
それが入院当初は便秘気味であった。(臭い話で申し訳ないのだが、病人の体調の話なのでご勘弁願いたい。)家では、朝飯を食べてコーヒーでも飲むと快便が期待できたのに、その一杯のコーヒーが手に入らない。缶コーヒーではどうも代役が利かない。6階のレストランまで行って二百円払わないと一杯のコーヒーが胃腸に届かない。そのうえ、〈よし、催してきたぞ〉と思ってトイレに行っても、トイレの座面が我が家のより高くて、足がしっかり地を踏ん張れない。どうも座りが悪いのだ。
 
そんなデリケートな身体だとは思ってもいなかったが、その程度の勝手の違いで、排泄にてこずっている。
 
それからガスのこともある。家では溜まると自然に放屁していたが、相部屋生活では、どうしてもためらいがある。怖い者なしの最強のはずなのだが、結構神経が細い。皆さん紳士で、あまり大きな音が聞こえてこない。そうすると、ついこちらも遠慮して、勢いを減じてしまう。こうしてガスも溜まりがちとなる。
 
そこで下剤をもらって呑み始めた。朝晩食後に一錠ずつ。でもこれは効き過ぎて、二、三日で、朝だけにした。やがてそれも止めて、止まってしまいそうになったときに呑むことにした。それでも、一日に何度も、特に食後は、少しすると二、三度は催す。食べた物が直行便ですぐ出てしまうわけではないのだろうが、とにかく、腹がたいていいつもすっきりしているようになった。いつ回ってきても小水だけ溜めればよい。6時の夕飯時までに済まないときは、夕飯を食べずに待っていればよい。それで夕飯が冷めるようなことがあれば、看護師さんがちゃんと温めて持ってきてくれる。これで治療時間が気にならなくなった。順番がいつになっても、笑顔で待っていられる。
 
反面、多少困ったこともあった。
 
身体がなまることを気にしていたので、歩行など運動を心がけていた。階の上り下りはエレベーターは利用せず、階段を使った。隣のお兄ちゃんが持参していた3キロのダンベルを借り受けて、少々のウェイトトレーニングもしていた。そうしたところ、治療が中ほどに達した頃、「**さん、少し体形が変わりましたね。CTを撮り直しましょう」と言われてしまった。下痢気味で体力づくりにも励んだものだから、体重はさほど変わっていなかったが、お腹周りの脂肪が減ってしまったのだ。そうなると当てる線量が変わってくるそうだ。普通なら喜ぶところだが、〈しまった、やり過ぎたか〉となってしまったのだ。それ以降、散歩とストレッチ程度にすることにした。
 その散歩にも影響は出た。大小の便が、頻繁に催してくるのだ。そのため、途中で引き返すこともあったし、スーパーやコンビニのトイレを借りることもしばしばだった。幸い粗相はなかった。 その散歩でどこに行ったか。南西方向をマスターした後、南方向を開拓した。こちらにもスーパーがある。自宅にいるときも利用しているスーパーの支店で、ポイントカードも使える。ここで何を買うかというと、バナナ、りんごジュース、豆乳、ヤクルト、スライスハムのパック、コーヒーのドリップパックなどだ。
 
体調管理には、こういうものを適宜補う必要があると感じたのだ。コーヒーのドリップパックは、病院の、誰でも使えるデイルームの一角に熱湯の出る給湯栓があることを知って思いついた代物だ。これがあれば6Fレストランに行かなくても済む。良い香りがするので、欲しがる人もいるだろうからと、少し余分に買い込んだ。案の定、朝食後のコーヒータイムには、喫茶店のマスターをやることになった。
 
スーパーの向かい側には郵便局がある。ここで振り込みや現金の出し入れができる。スーパーのちょっと手前を少し入ると、市役所の市民サービスセンターのようなところがある。そこに寄って、市内の地図がないかと尋ねると、折り畳んだ立派なものを持ってきてくれた。他の人にも見せてやろうと思って、「二つ三つ貰えますか」と聞くと、「いくつですか、二つですか、三つですか」と即座に聞き返されてしまった。別にどっちでも良いのだが、こちらも言い出した手前、「では三つお願いします」と、三冊ゲットした。にわか市民にも取り敢えずサービスしてくれた。
 
病室に戻り広げてみると、高崎市は、最近の市町村合併で、北は倉渕村から南は新町までと南北にたいへん大きくなっていた。それを収める地図は縮尺が大きく、病院周辺の見たいところが小さくてよくわからない。〈そうか、後で拡大コピーしなければ、この辺りだけ〉
 
こうして散歩用ツールも備わり、周辺の寺社や遺跡(工事中)なども巡ることができた。時は、寒い冬から突然暖かい春に変わる頃で、ダウンジャケットの襟を立てたり、ジャケットを脱いでも汗ばんだりしながら、遠く雪山を眺めたり、ホトケノザの絨毯を見渡したり、紅梅に見とれたり、畑仕事を始めたお爺さんと話したり、あたりの散歩を、トイレを気にしながら、それでも結構堪能したのだった。
 
放射線を浴びる前の体調管理は、どうやら、わりと優雅だった、と言えるかも知れない。

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          冨士神社


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第8話 薬物去勢の(副)作用 [病気及び治療経過]

 「スケベの俺が退院しちゃったら寂しいだろう?」
 
この部屋には、泌尿器科と整形外科の患者が同居している。隣のベッドには、ラグビーの練習中に怪我をして入院している高2のお兄ちゃんがいる。そのお兄ちゃんに、筋向いの、仕事中負傷して治療している二〇代半ばの若者が話しかける。
「ええ、寂しいっすよ」と隣のお兄ちゃんは答える。
「そうだろうなあ。じゃ、こういう雑誌を置いていくからな、元気が出るように…」
 若者は陽気で話好き、車やファッションなど趣味も広く話題が豊富だ。隣のお兄ちゃんや若い看護師さんを相手に、よく恋の話やシモネタを朗らかにやっている。(最初の日にこの部屋の利点を教えてくれた若者だ。)
 聞いていて思った。〈人間、スケベのうちが花だぞっ〉前立腺に癌でもできてしまうと、ホルモン療法なるものが始まる。脳に働きかけ、睾丸の男性ホルモン産出を抑制する薬を服用するのだ。薬物的去勢である。これが効果的にPSAを下げるのだから、「その療法は勘弁して下さい」とは言い難い。
 かくして、ほぼ去勢されている。薬の作用も勿論あるのだろうが、そもそも男性ホルモンがよくないと知った時点で、〈そうか、そういう頭の働きがよくないのか〉と悟る。そうなると、女性の魅力というか、女性的刺激を感じて始まる一連の男の脳内活動がよろしくないということになる。身体によくない、命に関わるとなると、自主規制が働く。それまでは、若さを保ったり、生命活動を活発にしたりする上で大切だろうと、最近はむしろ奨励してきたことである。〈アクセルではなくブレーキか〉ということに急遽なった。
 身体はともかく、頭が先に枯れた(枯らせた?)。男の邪心は持たなくなったわけだ。
 そうなって思うことは、〈人間スケベのうちが花だぞ〉である。スケベの男は、混んだ電車を喜んだり、女性のスカートの中が見えると嬉しくなったり、女子高生のミニスカート姿を見て元気が出たりするものである。これが高じると、痴漢してしまったり写真を撮ってしまったり…して御用となり、社会から手厳しいお仕置きを受けてしまうが、生き物の当然の生命活動の、少々の行き過ぎであるから、被害の度合いが少ない場合に限っては、なるべく大目にみてやったほうがいいのではないか、そんな寛容な気持ちさえ起こってくる。(性犯罪は甘い顔をすると繰り返すから厳しく処すべし、もちろんこれが正論であろう。また、「従軍慰安婦は必要だった」などという超寛容な発言があるが、生き物としての欲求と能力を懐かしく肯定しているだけであって、そこから起こる行動のすべてを肯定しているわけでは、勿論、ない。)
 そんなわけで、邪心枯れて止むを得ず擬似聖人となってしまったが、これはこれで貴重な体験ではないだろうか。世の中の見え方がどう変わるか、それを体験しレポートするのも一興だろうと思ったりする。
 で、その見え方だが、例えば この病院には二つ入り口がある。南の正面入り口のほかに、北側に腫瘍センターの入り口がある。それがたいそう豪華で、入ると、広い空間の向こうの壁に、腰板の上から天井付近まで届く縦長のビーナス(?)の絵が、横に4枚、飾ってある。近付くと〈『4つの時の流れ』「朝の目覚め」「昼の輝き」「夕べの夢想」「夜の安らぎ」作者アルフォンス・ミュシャ〉と銘打ってある。これが大変瑞々しく、いわゆる色っぽいものであることは、すぐに気がつく。そういう感性は普通にある。ムラムラ来るかと言えば、それは勿論ないのだが、それは現役男性もたぶん同じことであろう。妙に艶かしいが、精気とか、生気とか、美とか、物憂さとかの象徴として描かれていることが顕著過ぎて、色気の現実感がないからであろう。
 
こういうものに関心がなくなり、見向きもしなくなったということではないことがわかった。
 
ところで、この玄関の広いホールの壁に、なぜ、この絵が選ばれ飾ってあるのだろうか? 正面玄関の壁にデーンと飾るには艶やか過ぎて、少し気後れがしたのだろうか。裏口の大玄関なら、出入りする人も、年齢の行った、生気も峠を越した人が多いので、ちょうど良い刺激になるのでは…と思ったのだろうか。
 
しかし冷静に考えてみると、ここは「腫瘍センター」であり、初老または熟年の前立腺患者ばかりが対象ではない。そのネーミングと照らして、癒しの空間を提供しようという病院の心遣いと見るのが正解であろう。
 
さて、生の女性に対する感性はどうか? 残念、邪心はなくなっても、女性の当たりの柔らかさ、愛想のよさ、朗らかさ、声の愛らしさなどは、なかなか良いものである。愛嬌よく世話をしてくれる看護師さんと仲良くなることに無関心になった、ということは今のところないことがわかった。
 
こうしてみると、長い間の感性と思考の習慣が残っている所為(せい)なのか、薬の服用を始めて十ヶ月経って効き目が薄らいできた所為なのか(それだったら大変だ)、この擬似聖人は、思ったほどには聖人の域に達していないようである。あるいは、本能というのがよほど頑固で、よく言うように、灰になるまで、男は男、女は女で、大きく変わることはないのかもしれない。
 
変わったのは、こういうことが平気で書けるようになった、その点かもしれない。〈慎まねば!〉

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第5話 俎板の鯉 [病気及び治療経過]

 尿管や膀胱、直腸等周辺部分にどんな副作用が起こるか、やってみないとわからない。癌細胞を消滅させることができるかどうかも、やってみないとわからない。それでも「お願いします」と相成るのは、放っておけば、早晩ホルモン療法は効かなくなり、骨や他の臓器に転移して手が付けられなくなるかも知れないことを恐れるためである。それ故、俎板の鯉となる。
 
鯉がいかに料理されるか。まず、約二週間前に料理計画が策定される。場所は「治療計画用CT室」、英語では”Computed Tomography Simulation Room” なる部屋で行なわれる。この部屋に、「ガスや便はできるだけ排泄し、尿はできるだけ溜めた状態で」入室する。
 
部屋の中ほどに俎板の台が置かれている。両側の壁と天井から、怪しいレーザー光が発せられている。鯉は、俎板の真ん中に仰向けに、腹を棒の付け根くらいまで出して、さらに両足を引っ張られ、これ以上伸びないという長さで寝かされる。俎板は電動で昇降し、前後にもスライドする。
 
天井からのレーザー光線で身体の正中線を、両側の壁から発せられる光線で骨盤の左右の位置を水平に合わせるようだ。そうして、マジック様の物で、その位置を体にマークする。骨盤と正中線の交わるところは十文字となる。
 
それから俎板が頭のほうにスライドしていく。行く先には蒲鉾状のトンネルがあり、そこに入っていく。じっと動かずそこに入っているとX線が照射され、下腹部のCT画像が得られるのだろう。それを基に病巣を特定し、照射計画が策定されるのだろう。これは、あくまで被験者の記憶と推測によるものなので、当てにはならない。
 
筒の中に入っている時間は10分もないと思うので大したことはないが、腸を空にし尿を溜めるという準備がむずかしい。私はその頃、毎朝1回快便という絶好調状態だったので、おしっこさえ溜めておけば大丈夫と思っていた。それで指定された午後3時半に軽い気持ちで臨んだのだが……快便の後、昼飯を食べ、時間も経っているので、腸にガスや便が溜まっていたようである。CT撮影後そういう指摘があり、「一度トイレに行ってきてください、撮り直しますから」となってしまった。小便が限度近く溜まっていて、催してもいないものを出そうというのだから、うまく行くはずがない。小便はすっかり出てしまい、肛門はかたくなに閉じたままである。
「それでは、これを呑んでください。」コップ一杯のほうじ茶を渡される。「少し時間をおきますから、体をひねったり、足を挙げたり曲げたり、少し運動して、ガスを出すようにしてください」と怪しい部屋に独り残されてしまった。玉原のラベンダー畑を思わせる高原のお花畑の写真が一面に貼ってある壁の前で、ひとしきり言われた運動をしてみた。しかし、そんなに簡単にガスが出るわけもなかった。
 
この日はスタッフの方にはお手間を取らせ、自分の帰宅予定時間も大幅に狂ってしまった。
 
さて実際の治療は、この計画策定のときとほぼ同じことを行なう。ただし、隣の部屋で、違う機械を使って。部屋の名前は「放射線治療室」、英語名は”Radiation Therapy Room” とかっこいい。
 
頑丈そうな分厚い引き戸で仕切られていて、入ると幅2メートルほどの通路になっているのだが、両側の壁には、ミッキーマウスとドナルドダックと仲間の犬が、何匹も何匹も一面に描かれて、愉快そうに躍っている。なぜそんな奇抜な絵が描かれているのだろうと考えると、ちょっと逃げ出してしまいたくもなるが、これが目的で入院しているのである。〈和ましてもらってありがとう〉が筋であろう。
 
ここに何時に呼ばれるかは、通院患者が優先のため、入院患者は不定である。だが呼ばれますよという案内は大体一時間前に告げられる。それまでになるべく排泄を済ませ、それからおしっこを溜めてお呼びを待つことになる。
 
そして俎板に乗り、腹を出して、足を引かれ、位置を合わされ、マークを塗られ、CTを撮ってもらって、腹部の調子がよければ、本番照射となる。本番は6分程度とのことなので、じっとして呼吸でも数えていると「はい、お疲れ様でした」となる。本番中は、グワーンとした音の中で、右横腹から左横腹に向かって、シャリシャリシャリシャリという薄い金属板を摺り合わせたような音が回転していく。あれが放射線を発射するときに出る音なのだろう、たぶん。俎板の鯉としては、できるだけ正常細胞には当たらず、癌細胞のみに命中するよう、心静かに受け止めるばかりである。P1000271.JPG
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