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定期診療(G大病院&H病院) ⑦ [病気及び治療経過]

 3ヶ月に一度の診療が先週の金曜日にあった。例によって落ち着いてパソコンに向かっていられる時間がなくて、ちょうど一週間過ぎてしまった。

 前回に続いて両病院の診療が同じ日となった。というか、H病院が同じ日にしてくれている。

 今回はさらに一週間さかのぼる5月1日に、1年3ヶ月ぶりの骨シンチとCT検査が組まれていた。それは9時に骨シンチ用の造影剤を注射し、13時半に20分かけて骨の撮影。それから14時20分に〈体がカッカする造影剤を注射してすぐに撮影が終了するCT検査〉というものだった。すでに3回ぐらい受けたような気がする。だから慣れたものだ。
 9時の注射から昼飯抜きの4時間が退屈で、医学部の図書館まで見に行ったりしたものだが、今回は、片付け・整理を要する古い教材や書類を二抱え積んで行ったので、時間をもてあますことはなかった。

 車の中での片付け仕事に飽きると、星野富弘作品の展示室に足を運んだ。展示品が換わるということはなく、毎回同じ作品だが、どれも心打つものなので、それぞれの作品の前で自ずと足が止まる。なかでも、一番ハッとするのが「新しい命一式ありがとうございます」という作品だ。続きはこうだ。
「大切に使わせて頂いておりますが
 大切なあまり仕舞いこんでしまうこともあり
 申し訳なく思っております … 」
 この作品が好きで、実は『3ヶ月ぶりのG大病院②(2014.2.28)でもこの作品を、ここまではご紹介していた。今日は思い切って、この続きを終わりまでご紹介してしまおうと思う。
「いつもあなたが見ていて下さるのですし
 使いこめば良い味も出て来ることでしょうから
 安心して思い切り
 使って行きたく思っております」
 どうです、なかなか生きがいいでしょう? これを肢体がご不自由な富弘さんが書かれている。「使いこめば良い味も出てくることでしょうから」なんて、表現も面白い。
 いただいた命だから、大事にしなければいけないし、大事にしまっておいたのでもいけない。大事に使いこまなければいけない。実に人生の粋を極めていませんか?

 さてさて、そんな一週間前の結果も出てくる定期診療だ。7時に予定通りに家を出たものの、外来受付が8時53分、2階の採血採尿の受付機が行列で待たされ、9時5分受付。採尿は待たずにすぐしたが、採血は26分待ちとある。そんなものかと喜んでいたが、一向に番号が迫ってこない。結局50分ほども待たされて、ようやく終了。3Fの泌尿器科外来へ。
 道路も病院も、連休明けの混雑だったようだ。

 幸い泌尿器科では20分とは待たされなかったような気がする。持参した『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』という本をろくに読まないうちに懐かしいお声がかかった。「一番にお入りください」
「骨シンチとCTね、どちらも大丈夫だね。悪いものは映っていない。」
「そうですか、それは良かった。骨密度のほうはどうでしたか?」
「よくなってるね。」
「そうですか、ありがとうございます。病気発覚当時がかなり進んでいたわけですが、その後の経過としては、良好ですかね?」
「ああ、そうですね。かなりいいですよ。引き続き頑張りましょう!」とのお言葉。別に頑張っていることも特にはないのだが、今後も、指示どおり診てもらうように、頑張ろうと思う。
「はい、お陰様で、大変ありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。」

 10分ほど事務手続きを待って、2Fの化学療法室に行き、リュープリンを打ってもらう。1Fで会計を済ませ、2Fに戻り、血液検査の結果が出るのを待って、駐車場の精算機に向かう。
 採尿・採血検査の結果は、PSAは前回同様 0.01未満と良好。血球系が加減を若干下回っている。血の気が低い体質なのか、栄養状態が悪いのか…? あと、肝機能のAST(GOT)が37と高くなっていた。まあ、特に心配するほどのことはなさそうだ。

 G大病院を出るとH病院に向かう。距離にすると7~8キロだろうが、群馬県の雄都を結ぶ道の一つなので、いつも、2~30分かかってしまう。予約時間12時の5分前ごろ到着。
 待合室で例のスコアを記入する。やや近いことと忙しいことがある点で、4点の申告。
 診察では、もらったばかりの採尿採血検査の結果表を見ていただき、3ヶ月の間、便は相変わらず固めだが、出血がなかったことを報告。先生の指示は「薬を朝晩一錠ずつ呑んで、とにかく便秘をしないようにし、排便時に出血しないように気をつけてくださいね。」
 看護師さんが、いつもどおり薬局から薬を90日分持ってきてくれて、診察料と併せて700円をお支払いし、お土産を持参していないことを内心後悔しつつ、お礼を申し上げて病院を後にしたのだった。

定期診療(G大病院&H病院)⑥ [病気及び治療経過]



 3ヶ月に一度の診療が、先々週の金曜日にあった。落ち着いてパソコンに向かっていられる時間がなかったので(生活に追われて)、十日も過ぎてしまった。毎日ブログを更新している人もたくさんいるというのに。

 前回に続いて両病院の診療が同じ日となった。近いところなので、一度で済めばそのほうが効率がよい。G大病院が駅から遠いので、車で行くことになる。
 朝は早く着いたほうが採血等の待ち時間が少ないので、早めに軽く食事をして、7時ごろには家を出たかったが、7時20分頃になってしまった。車は病院前までは順調に流れたが、出遅れがたたって、3階駐車場に車を収めた段階で、予約時間の9時頃になっていた。車を降りると、いつもながらレースの気分になる。400メートルくらいを早足?小走り?で、外来棟玄関付近の受付機に向かう。病人を、具合の悪い人を、追い越していっていいのかなあ…とか、丈夫でないと病院にも通えないなあ…とか、少し後ろめたい思いを感じながらも、急がないとスケジュールがこなせないので、つい、われ先人間をやってしまう。

 受付機に診察カードを通した後、もうひとがんばり、2階の採血・採尿の受付機まで急ぐ。そこはすでに行列ができていた。受付を済ませると、まずは、採尿だ。中ほどがよいと聞いているので、最初の勢いのよいところは流して、さてとカップに取り始めたら、それからはいくらも出ず、これで大丈夫ですかとお伺いを立てる始末だ。「大丈夫ですよ」と言ってもらったが、もしだめだったらどうするのか、一度からにしてしまうと、そう簡単には出てこないだろう。
 採尿の後は採血を待つ。40分待ちと出ていた。番号が表示されるので、イライラすることもなく、メールを打ったり、読書をしたりしていられる。
 その日持って行った本は、ブログ仲間が推薦している『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル、矢部宏治著)だ。紐解いて驚いた。3.11以降、日本人は日々、信じられない光景を眼にしつづけている、とある。なぜ、これほど巨大な事故が日本で起こってしまったのか。なぜ、事故の責任者はだれも罪に問われず、被害者は正当な補償を受けられないのか。なぜ………と、日本の今の不思議が立て続けに問いかけられている。そうだそうだ、不思議なことだ、一体どうしてなんだ?と、最初の数ページで、すっかり問題意識の共有を確認してしまった。
 その矢部氏が、基地の沖縄や原発事故の福島を取材して判ったことが書かれているのだ。ほとんど、あっという間に、採血の順番がやってきた。この本については後日改めて、拙ブログ「日本の政治と地球の未来」で取り上げたいと思っている。うわさどおり、その価値が凄いので!

 採血が済むと、外来棟3階泌尿器科の廊下で「××さん、一番へどうぞ」とのお声掛けを待つことになる。これはいつ呼ばれるかわからないので、トイレに行くのも気を遣う。先が気になる矢部氏の「日本はなぜ…」すら、うす暗いのと落ち着かないのとで、なかなか集中できない。結局約一時間後、名前が呼ばれ、いそいそと、診察室一番に入っていった。
「ようやく血液検査の結果が出ました。……大丈夫ですね。体調はどうですか?」とS先生。
「はい、お陰様で特に悪いところはありません。ただ、歯医者さんにプラリア治療のことをお話したところ、ちょっと困ったようすでした。抜かなければならなくなるかも知れない歯があるので、その時は先生と連絡をとって、薬の効き目の弱い時を選んで抜くようにすると言ってました。治療は途中で止めることはできますか?今日は注射を打ったほうがいいですか?」と私。
「そうですね。注射をしていってください。骨密度の検査もしましょう。それから、1年以上経っているので、骨シンチとCTをやりましょう。」
 ということで、別室でプラリアの2回目の注射を左上腕にしてもらい、5月初めに予定された骨シンチとCTの承諾書にサインし、放射線科で骨密度検査のレントゲン写真を撮ってもらった。この検査の結果は3ヶ月後になるが、効力が半年持続する注射をどうするかの判断材料なので、急いで知る必要もないのだ。
 それから、例によって、最初の採血室の隣の化学療法室で、ホルモン療法剤リュープリンを、今回は右腹部に注射してもらい、2万某の会計をカードで済ませ、無事放免となった。

 体調は、中畑さんなら絶好調と言うんじゃないかなあと思えるほど悪くはないのだが、治療は少しずつ手が混んできている。一体いつから、それがシンプルになっていくのか、はたまた、いつまでも複雑になる一方なのか、その辺が気になるところではある。
 さて、ちょうど12時となったので、病院の食堂で食べることにした。シンプルに山菜うどんを。

 H病院の予約時間は1時だった。ちょうどそのころ着くことができた。例の豪華な待合室でいつものスコアを記入する。我慢することが辛いことがあるという項目が2点で(漏らすことはないのだが、忙しいことがよくある)、計5点で、いつもと大差はない。
 間もなくお呼びがかかって、先生の許に。
「具合はいかがですか?」
「お陰様でほぼ順調なのですが、3ヶ月の間に1回だけ、排便後に十円玉くらいの出血がありました。」
「それはいつ頃ですか?」
「1月くらい前です。でもその後、二晩ほど座薬を挿したところ、その後はありません。収まりました。」
「便は固めですか?」
「はい、このごろ固めです。一気に息張らないように気を付けています。」
「マグミットを朝と晩と二錠ずつにしましょうかねえ。出血は大敵ですからね。」
「はい、少し余計もらっておいたほうがいいので、そうお願いします。それから、トレーニング事務に自転車のサドルとは違う椅子式のサイクリングマシーンがあるのですが、それは漕いでも大丈夫でしょうか?」
「ううんー、放射線を当てているので、腸の粘膜が傷んでいると見ているんですよ。止めておいたほうがいいかな。」
「わかりました、ありがとうございました。」
 
 薬が増えてもまた千円でおつりをもらって、急いで病院を後にした。

 帰りは、前回と同じルート、同じコンビニでコーヒーを飲み、17号経由で三時半頃帰宅した。
 帰宅してすぐの仕事は、孫と娘がまたしばし滞在とのことで、しかも四時ごろ着くとのことで、部屋の暖房等の受け入れ準備に勤しんだ。そう言えば、前回も孫の用だった。その孫は1歳と3ヶ月、オムツがLになり、「おわっちゃった」とか「んまんま、やったー」とか、ようやく言えるようになったところだ。
 まだしばらく育爺稼業が続きそうだ。

 そうそう、血液検査の結果は、ヘマトクリット値、ヘモグロビン、血小板がわずかに低下し、正常域を少しばかり下に、はみ出していた。しかし心配するほどのことではなさそうだ。PSAは前回同様0.01未満。

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やまい発覚当初の心境 [病気及び治療経過]





 このブログは、2013年初めの放射線治療のための入院をきっかけに始まった。そのため、やまい発覚当初の気持ちの動揺などについてはほとんど書かれていない。発病を知らされた人にとっては、それも何かしら参考になるかもしれないので、治療入院以前に書いたものを、遅まきながら掲載しようと思う。
(以下は、2012年9月執筆、エッセイクラブ作品集『燦』78集より、一部編集)

   青天の霹靂 

 昨年春の健康診断で、前立腺の石灰化が指摘された。「これは齢で、しょうがないんでしょうか」と尋ねると、「まあそうですね」と医者も言う。血圧が高めだったり、他にも心配なところがあったりしたので、石灰化は軽く見てしまった。それが、今年の春は「前立腺石灰化? 血液検査をやってみますか」と医者が言う。「はいはい、お願いします」心配なところは、血液検査で済むならどんどんやっておきたい。2日後、病院から電話があり呼び出された。数値が悪いので、泌尿器科の専門医に早くかかったほうが良いと言う。4までが許容値のPSAという検査結果が、38だと言う。

 知り合いの先生が泌尿器科だったので、早速訪ねると、すぐにできる検査をやってくれ、MRIの予約も入れてくれた。どの検査結果も、数値の悪さを裏付けるものだった。
 どうやら前立腺がんの疑いが濃厚らしい。「やばいなあ、早ければ今日かもしれないが、遅ければ百二十歳かも知れないと、呑気に思っていた寿命の想定に狂いが生じたのか…?」

 そう思い始めた矢先、ちょっとびっくりする出来事があった。先生の奥様が別の用事で訪ねてこられた折、玄関先で、私に目をつぶって左手を出すようにとおっしゃる。そうすると、奥様はその掌に手を重ね、そっと何かを置いた。「霊験あらたかなある物が薬包紙に包んである」と言う。「これを、いつも居るお部屋の、戌亥の方角、北西ね、白いお皿に載せて置いておくと邪気が払われるのよ。騙されたと思ってでもいいから、そうしてください」とおっしゃる。言われたとおりに、出した左手に右手を被せ、いただき物を両掌の間に挟んで目を開けると、奥様の肩は降り始めた雨に濡れていた。「ご心配をいただいてありがとうございます」と、手を重ねたままお礼を言って、車を見送った。

 頭を下げている間にいろいろな思いが駆け巡った。やはりことの重大性を思った。これは神仏に頼る領域なのか…。そんな事態に陥っていたのか…。戌亥の方角の薬包紙(の中身)に延命を託すのか…。
 しかし、方位だの風水だの、そういう類は、ちっとも信じることなく、自分は生きてきたのだった、今日これまで。
 我が迷いは別として、人の折角の気持ちは大事にしなければなるまい。白い皿を用意して、戌亥の角に置き、とりあえず合掌をした。

 さて、これを本気で拝むか、奇跡的快癒を願って…一晩、寝ながらゆっくり考えた。人はだれも、みな最後は死ぬのである。いつ、どう死んだかよりも、どんな生き方をしたかのほうが大事である。科学的あるいは統計的根拠の薄いことはほとんど信じてこなかった自分が、命がかかると途端に偶像を崇拝するようになったのでは、どう生きたかが語れなくなってしまうではないか。ここはぶれずに信念を通そうではないか。
 なかなかしっかりした心境に至ることができた、と我ながら思った。

   番号バトル

 泌尿器科の先生に、近県の大学病院を紹介してもらった。ここで、CT、骨シンチ、生検などの検査を受け、とりあえず薬物療法に入ることになるのだが、その初日のことである。初診受付をして、診察カードをもらい、泌尿器科で、当日できる検査をしてもらい、他に必要な検査の予約を入れてもらった。一通り終わって、会計事務をしてもらうときに、ふと自分の診療カードの番号に気が付いた。4と9ばかりが並んでいる。6も一つある。4は死に、9は苦に、96は苦労につながる。「うわー、オレはやっぱり運が悪かったんだー」この間到達したはずの、なかなかしっかりした心境は、もう揺らいでしまった。あれまあ、そんな程度だったのかと、少しがっかりした。

 4(よん)は「し」と読むから死を連想する。9(きゅう)は「く」と読むから苦を連想するだけで、4や9が不幸をもたらす理由も根拠もあるはずがないのだ。また運の悪い人が4や9に当たりやすいという理由も根拠も、あるはずがないのだ。帰り途、車を運転しながら考えた。英語ならフォーとナインで、なんの問題もないんだ。だがなー、家の者がなー、入院しているときに病室を訪ねてきて、この4だの9だのがずらずら並んでいる番号を見たら、きっといやな思いがするんだろうなー。「これじゃ親父も助からない」とがっかりしてしまうんじゃないかなあ…。

 交通事故を起こせば、がんの脅威を追い越して、即刻あの世に飛んで行きかねないので、運転に差し支えない程度に思いを巡らしながら家に向かった。そして家に着くと、すぐに病院に電話を入れた。病院のパンフレットに患者支援センターなる部署の電話番号が載っていた。

 事情を話し、登録番号の変更を願い出た。すると、電話口の人は理解を示し、受診科と連絡をとって返事をするとのこと。五、六分もすると受診科から電話があり、番号の変更はできない、やっていない、この番号で検査の予約をとってしまっているので、手違いが起こると大変だと言ってきた。最後の説明は理解できるが、番号の変更はできない、やらないというのはどういうことなのか、少し噛み付いた。

「私の二つ前の人は、42番ですよ。42424242という人もいたわけでしょう。厄介な病気にかかって大学病院を訪ねてきて、こんな番号のカードをもらった人は、どんなにいやな思いをしたことか、そうは思いませんか。当人から要望があれば番号を替えてやるくらいの制度は取り入れたらいかがですか。本当にそういうことはしていないのですか。」
「やっていません。」
「わかりました。では、私からこういう申し出があったことは、一切無かったことにしてください。『番号を替えてもらおうとして断られた』では余計惨めですからね。頭を切り替えればいいだけのことだから、数字の羅列なんか、私は、今後一切気にしませんから。ただね、そういう切り替えができない人も多いと思いますよ。」

 番号バトルは、きっぱりそれで終わった。私はまた(主観的)しっかり者に戻った。大学病院というところは、合理的なシステムがいろいろ導入されていて、検査、治療、その他サービスの向上が図られていると感心するところも多いが、こういうデリケートな、心のケアという面では、まだ改善の余地があると言えるのかもしれない。(私も余り生意気なことは言えない。この病院のお世話になり、病気を根治してもらう立場なのだから。)

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定期診療(G大病院&H病院)⑤ [病気及び治療経過]

 3ヶ月に一度の診療が、先週の金曜日にあった。前回、G大病院の診療が金曜日に移ったので、今回初めて、両病院の診療が同じ日になった。H病院の診療時間を午後に変更してもらってのことだ。

 朝は早く着いたほうが採血等の待ち時間が少ないので、前回同様、早めに軽く食事をして、7時ごろには家を出た。
 17号バイパスから右に分かれ、上武バイパスに入った。この道も17号のバイパスで、大田、伊勢崎を通り渋川方面に向かう。立体交差が多く自動車専用道路の感があり、いつも流れが速い。
 そんな道路だが、上武バイパスの入り口付近からしばらくは、主要道路と平面交差をしていて、たいてい渋滞している。それがなぜか、渋滞の列も見えずスイスイ流れている。これは早く着けるぞと上機嫌でいると、やっぱり流れが止まった。ぱったり止まった。
 それでも少しずつ進んで行くと、ようやく先の様子が見えてきた。信号機の先に警察や消防の車両が何台もあり、どうやら事故があって通行止めにしているらしい。車はみな、右に迂回させられている。
 仕方なく右折したその道も渋滞していて、なかなか進まない。動けばどうにかなるだろうと、畑の間の農道に左折した。一旦上武をくぐり左から上武に戻ることになったが、そちらの道も渋滞していてままならない。交差点が少ないので、復帰するのが大変で、便利な道の不便さをしばし味わうことになってしまった。まだ利根川を渡る前、深谷市でのことだ。すいていたのは、事故情報を知っている人が、その個所を避けたためだ、きっと。
 予定より3~40分遅れて、ちょうど9時ごろ病院前の交差点に着いた。受付機が15分後、採血の受付機がその4分後、採尿はすぐして、採血は10時ごろだった。泌尿器科に回るといつものS先生はお休みで代りの先生だった。11時半ごろお声がかかり、体調が悪くないことをお話しした。血液検査の結果も悪くないので、このまま治療を続けましょうとのことだった。
 「この治療って一生続くのでしょうか?ホルモン療法がやめられれば、骨粗しょう症のプラリアも止められると思うのですが…?」気になることを率直にお尋ねした。
 先生、画面のカルテを見直して「ホルモン療法が長いとどうしても骨粗しょう症になりやすいんですよね。そうか、リンパ節までね、でも放射線も当てているしね、経過はいいんだけど、S先生の判断を待ちましょう。」「はい、そうします。」
 化学療法室でリュープリンを、今回は左腹部に注射してもらい、泌尿器科に戻り、血液・尿検査の結果プリントをもらった。それから会計を済ませてG大病院を後にした。12時をやや回っていた。

 途中で野菜天そばを食べて、H病院に向かった。
 待合室でいつものスコアを記入する。寒くなったこともあって、2時間以内に行きたくなることがわりとあるが、他は余り気になることはない。スコアは4点で、満足度は大体満足を○で囲んだ。
 診察室では、小便より大便が気になってトイレに行くことが多い悩みを聞いてもらった。「催す回数は多いのですが、量は少なくて、気分的には便秘気味です」と。
 「とにかく便秘はよくないので、気になるときには、マグミットを二錠呑んでみてください」とのアドバイスをいただいた。
 例によって、マグミットを日数分と痔用の薬をいくつか用意してもらい、またまた千円でおつりをもらって、有り難く病院を後にした。

 帰りは、途中でセブンコーヒーを飲み、17号、同深谷熊谷バイパス経由で約一時間半、帰宅した。

 家に帰ると孫の寝かしつけが待っていたので、急いで手洗い・着替えを、一応して、任に着いた。(孫とお爺は、相変わらずグランドピアニスト君の演奏にはまっている。最近は、クラシックだけでなく、邦楽もよく聴く。鍵盤のカシャカシャ音を消す方法も知ったので、より快適になった。音楽に併せて揺れていると、眠い時は数曲で寝てくれる。)かように、日常生活は差し支えなくできているのでありがたいことだ。

 そうそう、検査結果は、おおむね良好で、MPVというのがごくわずかにhigh、それからクレアチニンというのがごくわずかにlowなだけで、他はすべて正常域であった。PSAはいつもどおり0.01未満。

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骨粗しょう症の余震 [病気及び治療経過]


 8月に骨粗しょう症になっていたことが発覚したことは前回の記事に書いたが、その余震が、その一月後に早くもあったことは、なかなか時間がなくて書けなかった。
 私の医者通いのほとんどはここに記していて秘密はほぼないのだが、他に歯の治療を2~3ヶ月おいては数回してもらっている。子供のころからの無精がたたって、抜けていたり揺らいでいたりしている歯が多く、何かと治療や細工をしていただいているのだ。

 その行きつけの歯医者さんで、8月からプラリア治療が始まったことをお話してそのときもらったパンフレットをお見せした。すると、先生かなり困った表情で、
「この治療中には歯が抜けないんですよ。この歯が、もたないかもしれないので、炎症することがあれば抜いてしまおうと思っていたのですが…。そうですか、この治療中に歯を抜くと、顎の骨が壊死したり骨髄炎になったりする恐れがあるんですよ。わかりました。なるべく抜かないようにしましょう。もしどうしても抜く必要が出た場合には、薬が切れるころをG大の先生と打ち合わせしてタイミングを見てやることにしましょう。」とのことだった。

 ほとんど自覚症状のない段階で始めた治療だから、骨折など重篤な症状が出現する前の予防的な措置だろうと呑気に構えていたが、もう少し深刻な治療法だったようだ。
 お医者様が考える最善の策と思うので、これで考えられる副作用が緩和するものと期待し感謝しているが、欲を言えば、五月にした検査の結果だから、検査結果が出た時点で治療法を複数示して、選択の余地と考える時間を与えてくれるとよかったと思う。

 大学病院だから、治療法に遅れはないのだろうが、患者の数の多さのために、きめの細かさという点で、医療の貧しさを感じてしまうのだ。人が特定病院に押し掛け過ぎているのか、信頼できる医療機関が少ないということなのか、社会問題としては、少し引いて考えてみる必要がありそうだ。  
 

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3ヶ月ぶりのG大病院③ [病気及び治療経過]

 昨日から6月になったばかりだというのに、連日34度、35度という暑さを記録している。蝉こそ鳴いていないものの、もうすっかり真夏の気配だ。本番ほど長くは続かないだろうから、可愛い暑さと言ってもいいだろう。梅雨入りまでのひと時をエンジョイしてしまおうという気分でいるのがよいかもしれない。。
 さて段々暑くなり始めた先週の水曜日に、3ヶ月ぶり(前回同様13週ぶり)の診察に、G大病院に行ってきた。診察の予約時間は10時だったが、採血を早く済ませられれば、検査結果を踏まえて診察してもらえる。7時20分頃近所のコンビニでサンドイッチとカフェオレを買い込み、それを口に頬張りながら、そのおよそ30分後には食後の薬(前立腺の薬1錠、血圧の薬2錠、便を軟らかくする薬1錠(呑み始めるとなかなか減らせないものだなあ))も麦茶で呑み込み、一目散に病院に向かった。首尾よく9時15分前には病院の入り口付近に着いたのだが、受付機が到着を認めた時間は9時04分だった。駐車はわりとスムーズにできたのだが、駐車した場所から外来のホールまでが長かった。4~500メートルはあったと思う。もともと遠いうえに、今まで使っていた通路が、建物の新築工事のためだろう、足場シートで遮断されていた。後戻りする羽目になり、ちょっとうずく尻をさすりさすり、朝からいい運動をしてしまった。
 採血は35分待ちぐらいでできた。ここの待ち時間は受付番号の進み具合が明瞭に表示されるので、ほとんど苦にならない。トイレに行ったり、携帯メールをチェックしたり、読みかけの本を取り出したりしていると、順番が回ってくる。
 採血箇所の止血用ガーゼを抑えながら泌尿器科外来に行くと、なんと間もなくお呼びがかかった。S先生のお声だ。
「どうですか、調子は?」
「はい、それが、この春は腰の周りがどうも痛くて…」入室してまだ腰を下す前に説明を始めた。
「この辺りが。最初は骨盤かなと思ったのですが、関節というよりも、なんか筋肉痛のような感じもして、今はお尻の肉が…」
「それはあり得るねー。骨が減ってくるんですよね。骨密度を測りましょう。レントゲンですよ。受けていってください。」
「はい。他は、お陰様で特に悪いところはありません。」
「それは結構ですね。運動をしっかりするように心掛けたほうがいいですよ。では次は8月の…」
 この春は、2月の大雪(バカ雪?)があったり、孫の子守があったりして、過労気味だと思っていたものだから、「運動をしっかりするように」と言われると、「いいんすか、もっと運動したほうが…」と意外に思ったが、これは口には出さず、ただなんとなく元気が出て、先生の前を退いた。
 レントゲンの案内を待つ間に、過去の血液検査の結果表をいただきたい旨を受付に申し出た。当初、検査結果は渡されるものと思っていたので催促しなかったのだ。一昨年の5月6月辺りの検査数値が不明なのだ。昔の悪かった時の数値など今となってはそれほど関心はないが、病の経過の一例としては空白は少ないほうがいいだろう。お忙しい中を受付嬢が結果表を出してくれた。
 それによると、2012年4月の発覚当初のPSA値が38.51だったのが、5/7 36.32、6/12 37.22、6/27 13.40、7/25 2.75、8/22 0.96と急速に下がっている。確か、5月末にカソデックスの服用を始め、6/27からリュープリンの注射を始めたように記憶する。薬効あらたかの見本のような数値の減少である。しかしこれが根治を表す数値ではないので、長期戦を覚悟して(というか、そうなることを喜びとして?)、医師の指導に従っていきたい。
 骨密度の測定は簡単であった。台の上に仰向けに寝て、腰全体と、左側骨盤のレントゲン写真を撮っただけだった。結果は、例によって次回の診察時とのこと。長期戦だから、急ぐ必要は多分ないのだろう。
 最後はいつものように化学療法室でリュープリン3か月分をうってもらい、今日の血液検査の結果を待ってプリントアウトしてもらい、精算機で支払いを済ませ、11時頃診察完了となった。
 血液検査の結果は、PSAは相変わらず0.01未満だったが、血糖値が120と高くなっていた。食べながら来たから、食後の血糖値になってしまったようだ。次回は、家でちゃんと食べてから出るか、サンドイッチを1個にするかしないとだめだなあというのが反省点だ。
 駐車場に向かう前に、星野富弘さんの展示コーナーに寄った。展示物は同じだったが、味わいが深いから飽きるということはない。どの作品にも生きていることの感動と感謝が溢れていて、「略画」の天才だなあと、またまた思ったのだった。

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3ヶ月ぶりのH病院③ [病気及び治療経過]

 また一週間以上もたってしまったが、先々週の金曜日に、定期診療でH病院に行ってきた。昨年の2~3月に放射線治療をしていただいた病院で、その副作用についてケアしてくれている。
 予定の電車に珍しく乗り遅れて、予約時間の10時に10分ほど遅れてしまった。道中の新しいことと言えば、一箇所JRの踏切を渡るのだが、それがちょうど下り始めたところだったので、待っているより歩いたほうが幾らかでも早く着くだろうと、線路沿いの道を歩いてみた。すると次の踏切が意外と遠く、渡ると病院の駐車場がすぐそこに見えた。問題は駐車場にどこから入れるかだ。畑の畦道のような所に来た。菜の花が咲いている。ちょっと心配になって、庭いじりをしている婦人に尋ねた。「この道から病院に行けますか?」
「ええ、大丈夫ですよ、行けますよ。」
 病院棟の隣のクリニック棟の脇を通って、腫瘍センターの入り口に難なく到達した。こちらの道のほうが近いかも知れない。それに、大型犬の吠え声を聞かなくても済む。界隈のことは知り尽くしているつもりだったが、まだまだそんなことはなかった。未熟だった。 例の待合室はすいていて、先客は一人だった。そこで、また例の小水についてのスコア票を記入した。前回は、昼間の小水が近いことがあって7点だった。今回は、その点はあまり気にならなくなったが、催してから忙しいところが相変わらずなので、5点となった。(点は少ないほうが良い)
 待つこと5分ぐらいだろうか、気にもならないうちにお呼びがかかった。広い廊下を曲がって曲がって、診察室に向かう。4月から担当となったT先生と初めてのご対面。
「どうですか、お変わりありませんか?便のほうはいかがですか?出血はありませんか?」
「はい、頂いた薬を毎日呑んでいるせいか、挿し薬を使うこともなく、排便のトラブルはほとんどありません。これは2月末のG大病院での血液検査の結果です。」
「ああ、いいですねー、活動が抑えられてますねー。」
「1月末の骨シンチの結果も異常無しとのことでした。でも、どうも、腰から腿、お尻周りが痛いんですよね。それも右側が痛いなあ、段々直ってきたかなあと思っていると、今度は左側が痛くなってきたりして。骨というより筋肉痛、肉離れみたいな痛さなんですが、病気と関係ありますかね?それとも単なる年のせいでしょうか?」
「その辺りが痛いんですか、坐骨神経痛ですかねー。気になるようでしたら、一度整形外科の先生に診てもらうといいですよ。」
 坐骨神経痛!そういう病気もあったなあ(Webで調べてみると、病名ではなく、症状を指す言葉とのこと)、骨盤への転移がつい気になるが、坐骨神経痛のほうが診る角度が合っているかもしれない…と先生の示唆に納得。
 結局前と同じようにマグミットを90日分処方してもらって、この日の診療は終了。看護師さんに、先生が変わっても、若い優しい先生が来てくれていいですねーと言うと、
「今度の先生のほうが、2つ3つ上みたいですよ。」
「そうなんですか、O先生は髭を蓄えていたから、上に見えたのかな。」などと余分な会話をして、また薬代を含めて千円未満の診療費をお支払いし、お礼を申し上げて病院を後にした。
 帰り道は、勿論、今朝見つけた細い裏道だ。

3ヶ月ぶりのG大病院② [病気及び治療経過]

 前回同様3ヶ月ぶり、正確には13週ぶりのG大病院の診療が一昨日あった。車の流れがよく過去最短の1時間10分程度で、9時ごろ病院前の右折車線に車を着けることができた。がそこからが長かった。駐車場に車を収めて受付機に診察カードを通したのが9時24分。この日は、医学部の入学試験の日でもあった。それから30分ほどで採血検査を済ませ、予約時間10時30分の診察を泌尿器科外来で待った。
 「××さん、診察室一番へどうぞ」といういつものS先生の歯切れのよい声が聞こえてこない。普段の3倍くらいの間隔で、別人の呼び声がスピーカーから流れてくる。おやっと思って受付を覗いてみると、S先生休診のお知らせが貼ってある。3ヶ月ぶりにお会いできるものと思っていたからちょっとがっかりした。が、しかし、カルテがあって代理の先生が診てくれるのだから、支障はないはずだ。
 しかし、なかなか番が回ってこない。明らかにいつもとテンポが違う。いくら待ち時間があっても、待ち時間がはっきりしていれば、その間は読書をしたりメールを打ったりして有効活用できるのだが、まだか、まだかと思っていると、読んでいるものにも集中できない。結局、ただ待っていることになる。
 採血から1時間以上たつので検査結果も出ているはずと思い、受付で血液検査の結果をもらいたい旨を告げると、診察前では渡せないとのこと。「事前に見られれば聞きたいことも出てくると思うので…」と申し上げたものの、事務員さんの判断でどうにかなることでもない。手持ち無沙汰のまま大人しく待つと、12時15分頃ついにお声がかかった。
「お待たせしました。血液検査の結果が出てますね。いいですね、落ち着いてますね。どうですか体調は?何か心配なことは…?」
「はい、お陰様で特に悪いところもなく、普通に生活できています。雪かきなども…。便が固気味で…」と先日H病院でのやり取りを概略お伝えする。それから
「1月31日に骨シンチと上半身のCTをやったのですが、その結果はどうですか?」
「あっそうね、画像診断ね………特に心配になるようなものは映っていませんね。リンパ節まで行っているんだものね、順調に推移してますね。この次はまた3ヵ月後に予約を入れておきますね。はい、お大事に。」
 それからいつものように化学療法室で3ヶ月分のリュープリンを腹部に摂取してもらい定期診療は終了。会計を済ませ、4日以内に薬局で90日分の薬を手に入れれば、現在の治療体制は3ヶ月継続する。
 血液検査の結果は、ヘマトクリット値、ヘモグロビン量、白血球数が前回同様正常値よりわずかに低かった。赤血球数、血小板数は、辛うじてだが正常域であった。MPVという項目は、前回同様11.0で上限をはみ出していた。GOT、GPTも前回とほぼ同じ数値で正常域に収まっていた。PSAは今回も0.01未満で、治療が功を奏していることを示していた。
 さて、診療以外の余分なレポートしては、採血を待つ間に、二つ前の記事で触れた星野富弘さんの展示コーナーを再び訪れた。というか、吸い寄せられた。心打たれる作品があるからだ。中でも
 「 新しい命一式ありがとうごさいます
   大切に使わせて頂いておりますが
   大切なあまり仕舞いこんでしまうこともあり
   申し訳なく思っております
   …      」 というのがある。終わりまで全部紹介したいところだが、許可を頂いていないので、踏み止まるしかないだろう。生き物として気っ風のよい作品で大好きだ。病院にこういうコーナーがあるということは素晴らしいことだ。それから、前回来たときに気付いたことだが、「薄暗い」と何度か書いた外来待合室にLED(たぶん)のスポットライトが追加され、幾分明るくなっていた。

P1000600富弘コーナー.JPG
   星野富弘さんの作品展示コーナーにて

3ヶ月ぶりのG大病院 [病気及び治療経過]

 3ヶ月ぶり、正確には13週ぶりのG大病院の診察日が先週の水曜日にあった。いつものように待ち人多数の2階採血室で30分ほど待って、まず採血を済ませる。それから、3階天井まで吹き抜けの外来棟の3階隅の泌尿器科前の廊下に向かうと、少し暗いところに長椅子の空きがなかなか見つからないほど沢山の人が待っている。これもいつもの光景だ。先日のH病院とは好対照だ。
 しかし待つこと2~30分でお声がかかる。「診察室1番にどうぞ」
「どうですか、具合は?」
「お陰様で、日常生活が、普通に、変わりなくできています。」
「それは結構ですね。でも、サイ○△□×*…」
 先生、パソコンの画面を見ながらおっしゃるものだからよく聞き取れない。
「はあ?なんですか?」と耳を傾けると、
「再発している人が多いんですよ。だからまたCTと骨シンチの検査をしましょう。半年たつので。」
「血液検査の結果は出たのですか?」
「出ましたよ、0.02です。」
「もう少し先に延ばしたらまずいですか?」
「いや、やっておいたほうがいいでしょう。1月31日にやりましょう。」
「はあ。」
「看護師さんから検査の説明があるから聞いていってください。次の診察は2月28日ね。」
 待ち時間が短いのはありがたかったが、自分の時間も短かった。短い中で、しかしまた全身にX線を当てる検査を言い渡されたことが少しショックだった。「再発している人が多い」という言葉も、ズシンと腹にきた。もっとも、そうでも言わないと検査を受ける気にならない訳だから、これも仕方がない会話なのかも知れないが、それにしても「再発していないことを確認するために」とか、他の言い方を選んでもらいたいものである。マイナス情報でも、たいていのことは軽く受け流して我れ関せずで呑気にしているのだが、ドクターに「あなたのガンは悪性度が高い」とか「質(たち)が悪い」とか「再発している人が多い」とか言われると、それが事実で、そういう自覚を持つ必要があることはわかるのだが、そのことが知らず自己暗示になりかねないので、この対策が大変だ。人間というのはそういうものだ。
 知らぬが仏という諺があるではないか。医者に言わせれば「知らないでいると早く仏様になっちゃうから、なるべく遅くなるように知らせてやるんだ」というおつもりなのかも知れないが、知ることが誘導することにならないよう、ご配慮を願いたい。
 この後しばらく待って、例の一日がかりの検査の説明を聞いて、採血室の隣の化学療法室で腹部に90日もつ薬を注射してもらい、朝の血液検査の結果のプリントをそこで出してもらって診療は終了した。(治療代は2万7千円弱、院外の薬局でほぼ同額の薬代(90日分)がかかる。これは病気が発覚した人のご参考のために書いている。だからどうなんだと問われれば、懐が痛むということと、これが3割で7割は世間様に迷惑をかけているわけだから(自分で納めた部分も当然あるが)、不本意ながら金のかかる人間になってしまったなあ、精々、外で(例えばブログで)活躍して世間様に還元しなければなあと…思う次第だ。)
 血液検査の結果は、ヘマトクリット値、ヘモグロビン量、赤血球数、白血球数、血小板数が正常値より低かったのだが、まだ低いながらも正常域にかなり近付いていた。白血球数は、4.2で、正常域に入っていた。MPVという項目が時々上限を出るのだが、今回は11.0という数値で、上限をはみ出していた。(これが何を表すのか、研究不足で実はまだ知らない。)GOT、GPTという肝機能に関する数値も正常域で、しかも前回より下がっていた。PSAは、先生は0.02とおっしゃっていたが、それは前回で、今回は0.01未満となっていた。
 後は悪いイメージを払拭しさえすればよいのだ!これは私の得意分野だ(と自己暗示をかける)。

3ヶ月ぶりのH病院 [病気及び治療経過]

 3ヶ月ぶり、正確には12週ぶりのH病院の診察日である。数キロしか離れていないG大病院は駅から遠いので、車でせかせかと行かざるを得ないのだが、こちらの病院は、徒歩で10分程度なので、本でも読みながらゆったりと電車でいつも行っている。駅を出ると抜けるような青空だ。澄んだ空を見上げているとなんとなく幸福感が湧いてくる。雪国の人の冬の辛さも偲ばれるが、それはそれで、雪の風情が何かをもたらしてくれるのだろうと、他所の苦労はあまり深くは考えない。歩きながら、ちょっといかめしい、しかし真剣に副作用の有無を心配してくれるO先生の顔を思い浮かべる。ふかふかの白い応接セットが楽しみでもある。
 そういえば、昨日も青空の下を歩いた。神奈川の植物園を2、30分で急いで巡ってきた。娘の所に手伝いに来たおまけの散策だ。澄んだ空は今日と同じ。風もあるのかないのか、自分が止まってみないとわからない程度の微けさ、それも今日と同じだ。菊の展覧会をやっていた。丹精こめた様々な種類の菊が行儀よく並んでいた。こんなに手間隙かけて、自然界の植物で芸術作品を創ってしまう人々がたくさんいる国は、おそらく日本ぐらいしかないだろうと、同邦の隣人を敬意を以て改めて見直す思いだ。

P1000550 大船植物園菊花.JPG

 静かな秋の日はいつも幸福感をもたらすかと言えばそんなことはない。穏やか過ぎて寂しくなる。若い人にとっては恋人を思う季節かも知れないが、私の齢では、ましてや連日片付け作業をしていて、亡き親や姉の遺品などを整理していると、帰らぬ日々が懐かしく思い出され、この世にいないことを今さらながら悔やんだりする。期待に副えなかった自分の一面を申し訳なく思ったりもする。秋は寂しい季節だ。
 それでも日の下を歩くと、そして澄んだ空を見上げると気持ちが一変する。(そう言えばお袋の歌集のタイトルは「空」だった。)まばゆい日差しの下に整列した菊とそれを愛でる人の群れ、黄色く色付いたイチョウの木、その上に果てしなく広がる青い空、時折聞かれる鳥の鋭い声…そんな中を歩いていると、平和だなあ、幸せだなあ、という思いが自然と湧いてくる。しばらく味わっていると、ふと「積極的平和主義」という政治家の言葉が、急に不協和音となって耳に響いてきた。
 平和に積極的も消極的もあるまいよ。彼の人は何を言っているのか。平和も幸せもわかっちゃいないんじゃないかなあと、政治の現実が急に影を投げかけてきた。これは詭弁だなあ、まやかしの言葉だなあと、秋の日の下で確信した。この頃「今年の流行語大賞」などという話題がもてはやされているが、「今年の詭弁大賞」というのを創設したらどうだろう、一位は「積極的平和主義」、二位は「完全にブロック」、三位は…などとちょっと考えてしまった。
 昨日はそんなことがあったなどと思い出しているうちに病院に着いた。珍しく2、30分待たされたが、座り心地を楽しんで、備え付けの雑誌を読んでいたのでくたびれることはなかった。さて先生の前では、「特に困っていること、心配なことはございません。便が固くなったときに少し出血することがあるので、その薬を10日分もいただければ、安心していられます。」と希望を述べ、患部への挿し薬と便通用の飲み薬をいただいて、診察費と薬代650円也をお支払いして帰路に着いた。次回は2月の半ばだ。
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