SSブログ
病気及び治療経過 ブログトップ
- | 次の10件

第4話 病期(ステージ) [病気及び治療経過]

 治療の仕組みを知ることも大事だが、自分の病気をより詳しく知りたくもある。『前立腺がんと言われたら』(保健同人社 福井巖・米瀬淳二著)まさにぴったりの書ではないか。
 中学生の頃から夢精が始まって、かれこれ五十年、男をやってきたが、その生理構造については、まったく知らないことだらけである。タマがぶら下がり、棒が役を果たすのが、あまりに明瞭にわかるものだから、それ以上何を知る必要があるというのか。たいていの男子がそんな思いでいるに違いない。
 前立腺? どこにあって何をしているの? まったくの無知蒙昧であった。
 会陰部のすぐ上、直腸と膀胱の間にあって、中を尿道が貫いている。そこで精液の一部を作り、精巣(タマタマ)が作った精子を取り込み、尿道を通して体外に射出している。そういえば、何度にも分けて噴射するあの射精を、どこの臓器が司っているのか、とんと興味を持たなかったとは迂闊であった。前立腺は、分泌液を作る腺と筋肉のかたまり、つまり、大きさこそ小さい(くるみ大)が、さすが男の臓器、大変ダイナミックなものであった。
 これが齢を重ね、用もそろそろなくなってくると、色々と不調をきたす。よくあるのが前立腺肥大で、尿の回数が多くなる、出始めるのに時間がかかる、出が細くなる、残尿感があるなどの排尿障害を起こす。同様に前立腺癌も増え、こちらは排尿障害などの自覚症状は少ないが、周辺臓器や遠隔臓器、骨などに転移しやすく、対応が遅れると死につながる。
 癌細胞の活動はPSA(前立腺特異抗原)という腫瘍マーカーを血液検査で調べることで知ることができる。
 私の場合、昨年4月の発覚時に38(4がボーダーラインとされている)と極めて高く、あわてて諸検査をし、生検(細胞を採取しての検査)で癌を確定、CTや骨シンチ検査(放射性医薬品を用いて骨転移の有無を調べる方法)で病期診断もした。昨年の5月のことである。
 グリソンスコア(最も多くの割合を占める組織像とその次の組織像の悪性度を点数で表し合計したもの。最も悪性度の高い場合は5+5で10となる)は9で、リンパ節への転移があり、骨や他臓器への転移は認められないとのことだった。
 さてどうする?という治療方法打ち合わせの折、心配して同行した娘の提案は「要らない臓器なのだから、切って取ってしまえば…」だった。主治医の先生の説明は「開いてみて、直腸に転移していたりすると、切除部分が大きくなり、身体へのダメージが限定できなくなる恐れがあるので、得策ではないでしょう」とのこと。「ホルモン療法をやってみて、様子を見て放射線療法をやってみましょう。」
 娘も概ね納得、私も専門医の判断を信頼し、毎朝食後抗男性ホルモン剤(カソデックス)1錠の服用(5月開始)と、精巣の働きを失くす注射剤(リュープリン)の4週ないし5週に一度の治療が始まった。6月のことである。
 するとこれがてきめんに効果を発揮し、PSAの数値は回を追うごとにどんどん下がった。そして12月に、トモセラピーなる新鋭機を備えたH病院を紹介してもらい、1月に担当ドクターと面接、意思確認を受けた。その際「グリソンスコアが9ですよ。しかも5+4(4+5ではなく)の9ですから…」重症度を指摘された。『前立腺がんと言われたら』をあちこち読んでも、自分の病状が軽くないことがよくわかる。日頃ピンピンしていて「絶好調」と思っていたが、症状があまり出ないことがこの癌の特徴なのだそうだ。
 ではいいことなしかと思いきや、いいことは、骨や他の遠隔臓器への移転が見つかっていないことである。辛うじて、その一歩手前で発見できた。これは何とも運の好いことではないか、そう思うと落ち込んでいる場合ではない。こんなことを書くと、遠隔臓器への転移が認められる人を落ち込ませてしまうが、それはそれで、見つかってよかったと思うことがきっとあるはずだ。物は考えようだから、暗い情報も、裏には必ず明るい面があるものだ。それを見つけるのが人の務め! 人間万事塞翁が馬である。(他人に説教などできる分際ではないのに、ちょっと勢いが余ってしまった。)IMGP0249ds2.JPG 
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

第3話 治療の概要 [病気及び治療経過]

 この度の病気に関しては、7歳年上の従兄が4年前に経験し、私のことを知ると、早速、二冊の本を届けてくれた。『知っていますか 医療と放射線』(丸善株式会社 放射線医学総合研究所編 高橋千太郎・辻井博彦・米倉義春著)と『前立腺がんと言われたら』(保健同人社 福井巖・米瀬淳二著)である。病名を知らされてそれから仕入れた断片的な知識しか持ち合わせていないのだから、早く読めばよいのだが、平時は何かとしなければならないことが多く、自分の病気ともなかなか向き合っていられなかった。
 病院のベッドに納まると時間ができたので、早速これらを紐解いた。
 『医療と放射線』からは、放射線について、まず、その種類や基本性質など基礎知識を学んだ(大抵は右から左に抜けてしまうだけだろうが)。それから様々な形で医療検査に応用されていることを知った。既に受けたいくつかの検査も含まれていて、今になって初めて、その仕組みや検査の目的を知ることができたものもあった。
 MRIは、強力な磁場を発生させて、水素原子の共振を利用して画像を得るそうだが、素人には理解しきれない話である。それにしても、科学技術の粋を結集し、病気を見つけ、治療に当たっている医療の状況だけはよくわかる。
 さてその中で、リニアック(直線加速器)でX線のエネルギーを強力にし、がん細胞に効率よく照射して、できるだけ正常細胞を傷めず治療に役立てようと言うのが、今回入院の目的である。X線の外に、コバルトを用いたガンマ線、もっと強力な重粒子線、陽子線の照射もあるそうだ。だが、重粒子線や陽子線は先進医療で保険適用外とのことだ。それに、癌細胞が局部に限定されていないと適さないということでもあるらしい。
 今回受けるH病院の放射線治療は、CT画像と連動して前立腺の位置を特定し、コンピューターを駆使して病巣に最も効率よく当たるよう三次元で照射角度、照射量をコントロールする優れものらしい。
 但し私の場合はリンパ節にまで浸潤(転移?)しているので、癌細胞を消滅させる保証はないと、実は端(はな)から言われてしまった。副作用が不確かなら、作用のほうも不確かな「チャレンジ」なのだそうだ。「癌細胞が少しでも生き残れば、放射線治療としては失敗ですから。どうしますか、やりますか?」とこちらの放射線科のドクターは厳しいことをおっしゃる。「これが最善の治療法」と主治医の先生がアレンジしてくれたものと思っているので、もう受けるに決まっている。受けるからには、当然、何がしかの癌細胞消滅効果はあるものと期待している。「はい、よろしくお願いします。」リスクを伴う治療に取り掛かる際の、型どおりの遣り取りかも知れない。
 1日1回2.3グレイ×30回、計69グレイの照射が今回の計画とのことだ。
nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

第2話 病 室 [病気及び治療経過]

 何とか10時に間に合って病室に案内された。3階エレベーターを降りるとナースステーションがあり、その前を左折、廊下を真っ直ぐ進んだ一番奥の部屋だ。相部屋を希望したところ8人部屋とのこと。
「**さんはこちらです。ロッカーはここを使って下さい。」
 廊下から入って、両側のベッドをいくつか通り過ぎ、一番奥の左側、簡単に言えば、奥の奥、奥の院だ。奥で暗いかというと、これが正反対。南窓に面した、雪雲に覆われた日だというのに、たいへん明るい一角が私に与えられた。ベッドの傍らに、冷蔵庫と引き出しの付いたテレビ台と、移動可能なテーブルがある。周りには黄色いカーテンが下がり、望めば、ぐるり一回り、周囲から遮断することができる。一坪ほどの広さだろうか。よくある相部屋の光景なのかもしれない。
 
ベッドに腰を下ろすと、窓までの間が広い。2メートル以上ある。両側に4つずつ40センチぐらいの幅のロッカーが造り付けてある。一人分が下から天井まで、2段になっている。
 
ベッドの並び順と逆順に、ロッカーに番号が振ってある。従って、私のロッカーは一番手前だ。〈おやまあ、これは近くて便利でよろしい。〉ロッカーの奥行きは60センチぐらい。その出っ張りを除いた広々した空間には、窓際に丸椅子がいくつか重ねて置いてあるだけだ。みなの共有空間だろう。と言っても、私と向かい側の人が、一番その広さを享受できてしまいそうだ。
「パジャマに着替えてくださいね。お熱と血圧を測りに来ますから。」
 
暖かい部屋だからどんどん防寒着を脱いでパジャマに着替える。妻が、余分なものをロッカーに入れてくれる。
 
こうして、あっさり病院の入院患者へと変身した。ベッドに座っていると、そこが公共空間だから、同室の人が時折ロッカー使用にやってくる。こちらは長期滞在予定なので、人間関係はなるべく円滑にしておきたい。
「今日からお世話になります。**と申します。よろしくお願いします。」
「はあはあ、それはどうも。私は○○です。で、おたくはどうしました?」
「前立腺の放射線治療で…」
「私もそうです。私はPSAが十いくつかあって、生検したら黒で、それなら重粒子線でやろうと決めて、こちらに来たのです。」
「重粒子線はG大病院のほうではないんですか?」
「そうですよ。こちらに入院して、毎日そちらに治療に行っています。マイクロバスが出ていて。」
「そうなんですか。私はG大病院で診てもらっていて、放射線治療はH病院だということで、こちらを紹介してもらって治療にやってきました。」こうして患者同士の情報交換が早くも始まる。
 
怪我で入院しているらしい車椅子の若者が声をかけてくる。
「この部屋はいいっすよ、夜は静かで、部屋は涼しくて。暖房点けませんからね。前にいた部屋なんか暖房ガンガンで、暑くて暑くて。夜はいびきだの歯ぎしりだのでうるさくて眠れないし、参ったすよ。その点、この部屋はいいですよ。」
「そうですか、それはよかった。」この部屋のメリットを早速レクチャーしてもらった。と同時に、〈暖房点けちゃまずいんだな、夜はいびきをかかないようにしないとなー〉と注意事項を頭に入れることにもなった。陽気な若者のきさくな物言いに、〈これは尊重してやらないと…〉と素直に思ったのだった。
 
肝心の放射線治療がなかなか回って来なかったので、忘れられているのかとちょっと不安になったが、それを除けば、入院生活初日は、極めて順調にスタートした。
 
だが翌朝の目覚めの気分は少し違った。腰が痛い。寝返りを打つとあちこちが痛い。パラマウントベッドだかなんだか知らないが、無愛想に硬い。私の普段寝ているベッドがいかに上等か、改めて認識した次第だ。(なにしろ買ったときのお値段が…という豪華な話ではない。マットレスは確かにどこぞのメーカー品で然々の値はしたが、それも古くなって背中が薄くなってきたので、少し工夫を施した。荷造りに使う空気を取り込んだ緩衝材(大粒のもの)が下に敷いてあるのだ。)もっとずっと優しい。
 
夜も毛布一枚では寒かった。〈ははー、彼の言う快適とはこういうことかー。夜の対策をしないといけないなー。〉
 
私は水曜日に入院し、治療が平日のみなので、週末は一時帰宅が許される。〈二晩、ダウンジャケットを敷いたり、下着を着たりして凌げば、上下一枚ずつ、ふわっとした寝具を家から持って来ることができるだろう〉と作戦を立てたのだった。
 
あとから思えば、看護師さんに相談すれば寝具を追加してくれたのかも知れないが、つい、ホテルとは違うので、与えられたものが全てと思い込んでいたのである。
 
その腰痛も、次第に明るくなっていく窓外の雪景色に目を奪われ、窓辺を行ったり来たりしているうちに、段々薄れていった。つまり、大したことはなかったのだ。雪景色は、三階から見下ろす近所の様子も、遠く見渡す山々の様子も、普段目にできない新鮮なものだった。二、三十メートル先を太い電線が何本も横切っていて景観を邪魔していたが、その電線の上には、東は秩父の峰々から西は信州の山々まで、一際白く輝くのは、たぶん中央アルプスの一角だろうと思える高峰まで、窓一杯に広がっていた。そんな訳で、腰痛も、夜のひんやり感も長続きしなかった。普段、いかにビルの谷間の眺望の悪い(無い)ところに住んでいるか、その裏返しでもあるのだった!
 
さて、浅間山は? と思いきや、これは方向が違っていて、病室の窓からは見えなかった。廊下に出て左に(右は非常扉)突き進むと、見えてきた。ふっくらと真白き浅間山が。その手前、右側には、榛名の山系が連なり、その裾野がこちらに下りてきている。(数日後、6階のレストランから反対方向を望むと、眼下に高崎・前橋の市街地が広がる。その向こうには、逆光で見えないが、地平線まで関東平野が延びているはずである。高崎というところが、山懐に囲まれ、一大平野に臨む、交通・交易の要衝だということが一目でわかる眺望を目にすることができた。)

IMGP0214trds.JPG
浅間山を望む

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

第1話 入院の朝 [病気及び治療経過]

 2月6日、入院の朝はあいにく雪だった。白星スタートだからめでたくもあるのだが、重い荷物を持って傘を差して駅まで行くのは楽ではない。幸い休みの許可が下りた家内が同行してくれた。
 駅に着くと70%の間引き運転、乗車予定の列車は湘南新宿ラインで運休とのこと。次の電車8:28が数分遅れて入ってきた。病院到着は1010分前までにと言われている。あまり遅れが出なければ何とか間に合う。間に合わなくても、それは雪のせいだから勘弁してもらうしかあるまい。
 朝の下り電車だから混むこともなく座れた。
 さて、どんな入院・治療生活になるのやら…?と思い始める前に、車内放送に耳が行った。
「次は籠原、籠原に停車します。」直後に英語放送が続く。
「ネクストステーションイズカゴハラ」で思い出したのが、上り電車でよく耳にする「ネクストステーションイズコウノス」である。「ノ」にアクセントが置かれ、普段聞き慣れない妙な「コウス」が聞こえてくる。外人さんに日本の地名を教えるのだから、普通に「こうのす」と言ってもらいたいと思いながら乗っている。さて、下りはどうなのだろう?些細なことに興味が湧いてきた。
 籠原は、当地では「かごはら」四連発の機関銃で抑揚はほとんどない。日本語の車内放送もそう聞こえた。英語放送は「カゴハラ」よく聞き取れるよう、丁寧に、やや「ゴ」を強く発音している。
「次は深谷、深谷駅に停車します。」我々原住民は「ふかや」一本調子だが、出だしの「ふ」がやや低い。上り調子。日本語放送は、うまくそう発音している。英語放送は「フヤ」「カ」にアクセントが置かれていたが、それほど違和感はない。次は岡部だ。日本語放送も、英語放送も「オ」にアクセントを置いた下がり調子だ。現地住民は、たぶん深谷同様、やや上りの一本調子だと思う。ただ、岡部が地名ではなく人の苗字だと「お」が強い「かべさん」になる。次は「ンジョー」ときた。「ほんじょお」の一本調子だろう、と、やや不満だ。次は神保原、さあどう来るか、英語流の「ネクストステーションイズジンボラ」と来るのだろうか、と思いきや、ほとんど何処にもアクセントを置かず、中のボがやや高くなるジンハラだった。「シンマチ」「クラガノ」も違和感少なく上々だった。
 
英語放送は、必ずしも英語の抑揚に合わせているだけではなくなったようである。安心した。もっとも、神保原以降は、必ずしも土地の人がどう呼び合っているか、実は知らないのだ。駅の放送で耳にしてきた地名なので、それが自然かどうか判定する資格がそもそもなかったのだ。そんなことにも気がついた。
「ネクストステーションイズタカサキターミナル」
 
外は相変わらず小雪が舞っているが、遅延少なく進んできた。
 
高崎で乗り換えてあと二駅なのだが、ローカル線ということなのか、英語放送はパッタリなくなった。
 
I駅で降りて、タクシーで病院に向かった。運ちゃんに目的地を告げると、「オレは病院は大嫌いで、頼まれても行きたくない。」などとぬかす。そう言い言い、〈バカ野郎が、商売だろうが、…〉と言うまでもなく、大人しく玄関に着けてくれた。余程係わりを持ちたくなかったのか、チップも受け取らなかった。お陰で、ミネラルウォーターが一本買えて、ラッキーだった。 (2013年2月6日)
nice!(0)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康
- | 次の10件 病気及び治療経過 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。