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第5話 俎板の鯉 [病気及び治療経過]

 尿管や膀胱、直腸等周辺部分にどんな副作用が起こるか、やってみないとわからない。癌細胞を消滅させることができるかどうかも、やってみないとわからない。それでも「お願いします」と相成るのは、放っておけば、早晩ホルモン療法は効かなくなり、骨や他の臓器に転移して手が付けられなくなるかも知れないことを恐れるためである。それ故、俎板の鯉となる。
 
鯉がいかに料理されるか。まず、約二週間前に料理計画が策定される。場所は「治療計画用CT室」、英語では”Computed Tomography Simulation Room” なる部屋で行なわれる。この部屋に、「ガスや便はできるだけ排泄し、尿はできるだけ溜めた状態で」入室する。
 
部屋の中ほどに俎板の台が置かれている。両側の壁と天井から、怪しいレーザー光が発せられている。鯉は、俎板の真ん中に仰向けに、腹を棒の付け根くらいまで出して、さらに両足を引っ張られ、これ以上伸びないという長さで寝かされる。俎板は電動で昇降し、前後にもスライドする。
 
天井からのレーザー光線で身体の正中線を、両側の壁から発せられる光線で骨盤の左右の位置を水平に合わせるようだ。そうして、マジック様の物で、その位置を体にマークする。骨盤と正中線の交わるところは十文字となる。
 
それから俎板が頭のほうにスライドしていく。行く先には蒲鉾状のトンネルがあり、そこに入っていく。じっと動かずそこに入っているとX線が照射され、下腹部のCT画像が得られるのだろう。それを基に病巣を特定し、照射計画が策定されるのだろう。これは、あくまで被験者の記憶と推測によるものなので、当てにはならない。
 
筒の中に入っている時間は10分もないと思うので大したことはないが、腸を空にし尿を溜めるという準備がむずかしい。私はその頃、毎朝1回快便という絶好調状態だったので、おしっこさえ溜めておけば大丈夫と思っていた。それで指定された午後3時半に軽い気持ちで臨んだのだが……快便の後、昼飯を食べ、時間も経っているので、腸にガスや便が溜まっていたようである。CT撮影後そういう指摘があり、「一度トイレに行ってきてください、撮り直しますから」となってしまった。小便が限度近く溜まっていて、催してもいないものを出そうというのだから、うまく行くはずがない。小便はすっかり出てしまい、肛門はかたくなに閉じたままである。
「それでは、これを呑んでください。」コップ一杯のほうじ茶を渡される。「少し時間をおきますから、体をひねったり、足を挙げたり曲げたり、少し運動して、ガスを出すようにしてください」と怪しい部屋に独り残されてしまった。玉原のラベンダー畑を思わせる高原のお花畑の写真が一面に貼ってある壁の前で、ひとしきり言われた運動をしてみた。しかし、そんなに簡単にガスが出るわけもなかった。
 
この日はスタッフの方にはお手間を取らせ、自分の帰宅予定時間も大幅に狂ってしまった。
 
さて実際の治療は、この計画策定のときとほぼ同じことを行なう。ただし、隣の部屋で、違う機械を使って。部屋の名前は「放射線治療室」、英語名は”Radiation Therapy Room” とかっこいい。
 
頑丈そうな分厚い引き戸で仕切られていて、入ると幅2メートルほどの通路になっているのだが、両側の壁には、ミッキーマウスとドナルドダックと仲間の犬が、何匹も何匹も一面に描かれて、愉快そうに躍っている。なぜそんな奇抜な絵が描かれているのだろうと考えると、ちょっと逃げ出してしまいたくもなるが、これが目的で入院しているのである。〈和ましてもらってありがとう〉が筋であろう。
 
ここに何時に呼ばれるかは、通院患者が優先のため、入院患者は不定である。だが呼ばれますよという案内は大体一時間前に告げられる。それまでになるべく排泄を済ませ、それからおしっこを溜めてお呼びを待つことになる。
 
そして俎板に乗り、腹を出して、足を引かれ、位置を合わされ、マークを塗られ、CTを撮ってもらって、腹部の調子がよければ、本番照射となる。本番は6分程度とのことなので、じっとして呼吸でも数えていると「はい、お疲れ様でした」となる。本番中は、グワーンとした音の中で、右横腹から左横腹に向かって、シャリシャリシャリシャリという薄い金属板を摺り合わせたような音が回転していく。あれが放射線を発射するときに出る音なのだろう、たぶん。俎板の鯉としては、できるだけ正常細胞には当たらず、癌細胞のみに命中するよう、心静かに受け止めるばかりである。P1000271.JPG
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