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第11話 放射線治療のための体調管理 [病気及び治療経過]

 入院しての放射線治療は、通院者を優先するため時間が定まっていない。午前中のこともあれば午後の中頃のこともある。しかし夕方6時過ぎになることも多い。たいてい一時間前に予告がある。どんな状態で臨めばよいかというと、便やガスはなるべく排泄し、尿はなるべく溜めた状態が望ましい。一時間でこの状態を作り出せればよいのだが、それがなかなかむずかしい。お声がかかったときに全部排泄し、それから水分を摂って尿を溜めればよいだけのことだが、小のほうは言うことを聞いても、大のほうがあまり言うことを聞かない。腸が動いて出口のほうに移動してくれば時間に係わらず催してくるし、催していないのに便器に座っても、ただの考える人でしかない。
 
そこで、どうしても事前の準備が必要だ。いつになるのかわからないことに備えるのはストレスが溜まる。ストレスは入院生活に(限らずなんにでも)良くはない。いつ来ても良いように…? なるべく腸を空にしておけば良いのである。
 
それが入院当初は便秘気味であった。(臭い話で申し訳ないのだが、病人の体調の話なのでご勘弁願いたい。)家では、朝飯を食べてコーヒーでも飲むと快便が期待できたのに、その一杯のコーヒーが手に入らない。缶コーヒーではどうも代役が利かない。6階のレストランまで行って二百円払わないと一杯のコーヒーが胃腸に届かない。そのうえ、〈よし、催してきたぞ〉と思ってトイレに行っても、トイレの座面が我が家のより高くて、足がしっかり地を踏ん張れない。どうも座りが悪いのだ。
 
そんなデリケートな身体だとは思ってもいなかったが、その程度の勝手の違いで、排泄にてこずっている。
 
それからガスのこともある。家では溜まると自然に放屁していたが、相部屋生活では、どうしてもためらいがある。怖い者なしの最強のはずなのだが、結構神経が細い。皆さん紳士で、あまり大きな音が聞こえてこない。そうすると、ついこちらも遠慮して、勢いを減じてしまう。こうしてガスも溜まりがちとなる。
 
そこで下剤をもらって呑み始めた。朝晩食後に一錠ずつ。でもこれは効き過ぎて、二、三日で、朝だけにした。やがてそれも止めて、止まってしまいそうになったときに呑むことにした。それでも、一日に何度も、特に食後は、少しすると二、三度は催す。食べた物が直行便ですぐ出てしまうわけではないのだろうが、とにかく、腹がたいていいつもすっきりしているようになった。いつ回ってきても小水だけ溜めればよい。6時の夕飯時までに済まないときは、夕飯を食べずに待っていればよい。それで夕飯が冷めるようなことがあれば、看護師さんがちゃんと温めて持ってきてくれる。これで治療時間が気にならなくなった。順番がいつになっても、笑顔で待っていられる。
 
反面、多少困ったこともあった。
 
身体がなまることを気にしていたので、歩行など運動を心がけていた。階の上り下りはエレベーターは利用せず、階段を使った。隣のお兄ちゃんが持参していた3キロのダンベルを借り受けて、少々のウェイトトレーニングもしていた。そうしたところ、治療が中ほどに達した頃、「**さん、少し体形が変わりましたね。CTを撮り直しましょう」と言われてしまった。下痢気味で体力づくりにも励んだものだから、体重はさほど変わっていなかったが、お腹周りの脂肪が減ってしまったのだ。そうなると当てる線量が変わってくるそうだ。普通なら喜ぶところだが、〈しまった、やり過ぎたか〉となってしまったのだ。それ以降、散歩とストレッチ程度にすることにした。
 その散歩にも影響は出た。大小の便が、頻繁に催してくるのだ。そのため、途中で引き返すこともあったし、スーパーやコンビニのトイレを借りることもしばしばだった。幸い粗相はなかった。 その散歩でどこに行ったか。南西方向をマスターした後、南方向を開拓した。こちらにもスーパーがある。自宅にいるときも利用しているスーパーの支店で、ポイントカードも使える。ここで何を買うかというと、バナナ、りんごジュース、豆乳、ヤクルト、スライスハムのパック、コーヒーのドリップパックなどだ。
 
体調管理には、こういうものを適宜補う必要があると感じたのだ。コーヒーのドリップパックは、病院の、誰でも使えるデイルームの一角に熱湯の出る給湯栓があることを知って思いついた代物だ。これがあれば6Fレストランに行かなくても済む。良い香りがするので、欲しがる人もいるだろうからと、少し余分に買い込んだ。案の定、朝食後のコーヒータイムには、喫茶店のマスターをやることになった。
 
スーパーの向かい側には郵便局がある。ここで振り込みや現金の出し入れができる。スーパーのちょっと手前を少し入ると、市役所の市民サービスセンターのようなところがある。そこに寄って、市内の地図がないかと尋ねると、折り畳んだ立派なものを持ってきてくれた。他の人にも見せてやろうと思って、「二つ三つ貰えますか」と聞くと、「いくつですか、二つですか、三つですか」と即座に聞き返されてしまった。別にどっちでも良いのだが、こちらも言い出した手前、「では三つお願いします」と、三冊ゲットした。にわか市民にも取り敢えずサービスしてくれた。
 
病室に戻り広げてみると、高崎市は、最近の市町村合併で、北は倉渕村から南は新町までと南北にたいへん大きくなっていた。それを収める地図は縮尺が大きく、病院周辺の見たいところが小さくてよくわからない。〈そうか、後で拡大コピーしなければ、この辺りだけ〉
 
こうして散歩用ツールも備わり、周辺の寺社や遺跡(工事中)なども巡ることができた。時は、寒い冬から突然暖かい春に変わる頃で、ダウンジャケットの襟を立てたり、ジャケットを脱いでも汗ばんだりしながら、遠く雪山を眺めたり、ホトケノザの絨毯を見渡したり、紅梅に見とれたり、畑仕事を始めたお爺さんと話したり、あたりの散歩を、トイレを気にしながら、それでも結構堪能したのだった。
 
放射線を浴びる前の体調管理は、どうやら、わりと優雅だった、と言えるかも知れない。

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          冨士神社


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