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第8話 薬物去勢の(副)作用 [病気及び治療経過]

 「スケベの俺が退院しちゃったら寂しいだろう?」
 
この部屋には、泌尿器科と整形外科の患者が同居している。隣のベッドには、ラグビーの練習中に怪我をして入院している高2のお兄ちゃんがいる。そのお兄ちゃんに、筋向いの、仕事中負傷して治療している二〇代半ばの若者が話しかける。
「ええ、寂しいっすよ」と隣のお兄ちゃんは答える。
「そうだろうなあ。じゃ、こういう雑誌を置いていくからな、元気が出るように…」
 若者は陽気で話好き、車やファッションなど趣味も広く話題が豊富だ。隣のお兄ちゃんや若い看護師さんを相手に、よく恋の話やシモネタを朗らかにやっている。(最初の日にこの部屋の利点を教えてくれた若者だ。)
 聞いていて思った。〈人間、スケベのうちが花だぞっ〉前立腺に癌でもできてしまうと、ホルモン療法なるものが始まる。脳に働きかけ、睾丸の男性ホルモン産出を抑制する薬を服用するのだ。薬物的去勢である。これが効果的にPSAを下げるのだから、「その療法は勘弁して下さい」とは言い難い。
 かくして、ほぼ去勢されている。薬の作用も勿論あるのだろうが、そもそも男性ホルモンがよくないと知った時点で、〈そうか、そういう頭の働きがよくないのか〉と悟る。そうなると、女性の魅力というか、女性的刺激を感じて始まる一連の男の脳内活動がよろしくないということになる。身体によくない、命に関わるとなると、自主規制が働く。それまでは、若さを保ったり、生命活動を活発にしたりする上で大切だろうと、最近はむしろ奨励してきたことである。〈アクセルではなくブレーキか〉ということに急遽なった。
 身体はともかく、頭が先に枯れた(枯らせた?)。男の邪心は持たなくなったわけだ。
 そうなって思うことは、〈人間スケベのうちが花だぞ〉である。スケベの男は、混んだ電車を喜んだり、女性のスカートの中が見えると嬉しくなったり、女子高生のミニスカート姿を見て元気が出たりするものである。これが高じると、痴漢してしまったり写真を撮ってしまったり…して御用となり、社会から手厳しいお仕置きを受けてしまうが、生き物の当然の生命活動の、少々の行き過ぎであるから、被害の度合いが少ない場合に限っては、なるべく大目にみてやったほうがいいのではないか、そんな寛容な気持ちさえ起こってくる。(性犯罪は甘い顔をすると繰り返すから厳しく処すべし、もちろんこれが正論であろう。また、「従軍慰安婦は必要だった」などという超寛容な発言があるが、生き物としての欲求と能力を懐かしく肯定しているだけであって、そこから起こる行動のすべてを肯定しているわけでは、勿論、ない。)
 そんなわけで、邪心枯れて止むを得ず擬似聖人となってしまったが、これはこれで貴重な体験ではないだろうか。世の中の見え方がどう変わるか、それを体験しレポートするのも一興だろうと思ったりする。
 で、その見え方だが、例えば この病院には二つ入り口がある。南の正面入り口のほかに、北側に腫瘍センターの入り口がある。それがたいそう豪華で、入ると、広い空間の向こうの壁に、腰板の上から天井付近まで届く縦長のビーナス(?)の絵が、横に4枚、飾ってある。近付くと〈『4つの時の流れ』「朝の目覚め」「昼の輝き」「夕べの夢想」「夜の安らぎ」作者アルフォンス・ミュシャ〉と銘打ってある。これが大変瑞々しく、いわゆる色っぽいものであることは、すぐに気がつく。そういう感性は普通にある。ムラムラ来るかと言えば、それは勿論ないのだが、それは現役男性もたぶん同じことであろう。妙に艶かしいが、精気とか、生気とか、美とか、物憂さとかの象徴として描かれていることが顕著過ぎて、色気の現実感がないからであろう。
 
こういうものに関心がなくなり、見向きもしなくなったということではないことがわかった。
 
ところで、この玄関の広いホールの壁に、なぜ、この絵が選ばれ飾ってあるのだろうか? 正面玄関の壁にデーンと飾るには艶やか過ぎて、少し気後れがしたのだろうか。裏口の大玄関なら、出入りする人も、年齢の行った、生気も峠を越した人が多いので、ちょうど良い刺激になるのでは…と思ったのだろうか。
 
しかし冷静に考えてみると、ここは「腫瘍センター」であり、初老または熟年の前立腺患者ばかりが対象ではない。そのネーミングと照らして、癒しの空間を提供しようという病院の心遣いと見るのが正解であろう。
 
さて、生の女性に対する感性はどうか? 残念、邪心はなくなっても、女性の当たりの柔らかさ、愛想のよさ、朗らかさ、声の愛らしさなどは、なかなか良いものである。愛嬌よく世話をしてくれる看護師さんと仲良くなることに無関心になった、ということは今のところないことがわかった。
 
こうしてみると、長い間の感性と思考の習慣が残っている所為(せい)なのか、薬の服用を始めて十ヶ月経って効き目が薄らいできた所為なのか(それだったら大変だ)、この擬似聖人は、思ったほどには聖人の域に達していないようである。あるいは、本能というのがよほど頑固で、よく言うように、灰になるまで、男は男、女は女で、大きく変わることはないのかもしれない。
 
変わったのは、こういうことが平気で書けるようになった、その点かもしれない。〈慎まねば!〉

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