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放射線治療後の経過 2 [病気及び治療経過]

 昨日(作文に手間取って「一昨日」になってしまった)G大医学部付属病院に行ってきた。
 7時前に家を出、8時半頃再診機にカードを入れることができた。まず泌尿器科に行き、検査で来たことを告げると、検査室の案内図を渡され、検査がすべて終わったら再び泌尿器科に戻るよう告げられた。検査は骨シンチグラフィ(グラムとも言うらしい)と全腹部単純+胸部~全腹部造影CT(と書いてある)。昨年の6月、12月にも受けており、3度目になる。
 早速地下1階の核医学診断棟に行き、注射を受ける。静脈に撮影のための薬剤を注入するのだ。看護師さんに質問する。
「この造影剤は放射線が出るのですか?」
「これは造影剤ではありません。ラジオアイソトープという放射性同位体で、微量出ます。」
「周辺の人にも影響がありますか、例えば赤ちゃんとか妊娠している人とかには?」
「抱きかかえたりしなければ、同じ部屋にいるぐらいでは大丈夫ですよ。それにおしっこで出ちゃいますから、あまり心配は要りませんよ。」
 この薬剤が全身に回るのに4時間かかるらしい。撮影は1時半から予定されている。丸々4時間、時間を潰すことになる。潰すと言えば時間がもったいないが、お暇な時間を4時間ももらってしまったと思うと嬉しくなる。
 1Fにコーヒーショップの入った、富弘さんの作品も展示してある寛ぎ空間がある。そこで、友人が貸してくれた、畠山重篤さんの『牡蠣礼賛』を読み始めた。夏に生食で食べられるイワガキの話から始まるテイスティーな話なのだが、牡蠣の成育とか養殖にまつわる話なので、読み慣れない、聞き慣れない、つまり知らない言葉がたくさんあり、とんとんとは読み進めない。そのうちに友人からメールが入る。
「今日の朝日新聞の19面を見なさい、良いことが書いてある」と。
 よし、朝日新聞だと思い、さっそく周りを見回すと、新聞を見ている人が何人かいる。入り口脇に新聞の架台もあり、1つ下がっている。急いで近付くと「上毛新聞」とある。残念。読んでいる人のをちらちら覗き見ると、これも「上毛新聞」とある。どうやら「上毛新聞」が3部置かれているらしい。他人の勧めで一面を見るのに150円は高いから、どこかにあるはずだと思い、受付の総合案内で聞いてみた。すると何ヶ所か図書コーナーがあることを教えてくれたが、新聞は置いてないかも…とのこと。行ってみると、確かになかった。
 天下の国立大学に全国紙が置いてないわけはあるまいと思って、大学の図書館の場所を尋ねると、構内案内図を見せて「場所はここですが、入れてもらえるかどうか…」とのこと。
 確かにこちらは病院の患者で時間をもてあましているに過ぎない。一々入館させていたら、学生の勉強に差し支える。ならば、検査に来た患者ということではなく、一般市民の見学ということで入れてもらうことにしようと決めて、構内を図書館に向かった。
 建物に入ると、駅の改札よろしく、入り口と出口のゲートが一つずつある。進入矢印の書いてあるほうのゲートから入ろうと、閉じたボードをペコペコ押していると、急にスパッとボードが開いた。ゲートの向こうの司書さんがボタンを押してくれたらしく、カウンター越しに微笑んでいる。
「今日はどんな御用で?」
「埼玉で学習塾をやっているものなのですが、こちら医学部の図書館を見学させてもらおうと思って…」
「ではこの紙にご住所、お名前等記入してください。」
 必要事項を書くと、「出入りのときはこれを見せてください。ではどうぞご自由にご覧ください」と、極めて親切に、首から提げる一日入館許可証を渡してくれた。
 私の目的は「今日の朝日新聞」で、はっきりしているのだが、天下の国立大学医学部の図書館に入って、それだけを求めるのも大変失礼だから、そのことはしばらくはおいておいて、見学をさせてもらうことにした。1階は、黒い表紙の分厚い医学書が何列もびっしり並んでいて、すっかり圧倒されて、書名も目から入ってこなかった。立派な本だが、何の本だかさっぱりわからなかった。閲覧用のテーブルがいくつもあるが、学生さんは一人もいなかった。なんだ、立派な施設がもったいないなあと思ったが、授業中かも知れないので、即断は禁物だ。
 2階に上がるとガラスのケースに陳列したものがある。一つは「レオナルド*ダ*ヴィンチの解剖手稿」とある。もう一つは杉田玄白の「解体新書」だ。これらの本が、実証的な西洋医学にとって重要な位置付けにあるわけだ、なるほどと思う。
 さてさて、脇目を振り過ぎていると収拾がつかなくなるから、先を急ぐことにしよう。2階には衝立で仕切られた個人用の学習机があちこちにある。学習に勤しむ学生さんもちらほらいる。しかし、新聞の架台は見当たらない。雑誌のコーナーはあるが、新聞のコーナーはなさそうだ。郷に入っては郷に従え!ここにある本を読もうと、側の書棚を見ると、脳死関係の本が並んでいる。そこから、立花隆の『脳死臨調批判』を取り出し、読むことにする。読んだ範囲で理解したところによると、彼の考えは、日本人の素朴な死の判定基準は動かなくなることで、動いている部分があるものを死と認定するのは、よほど説得されないと同意が得られないものだ。同意を得ようというのなら、もっともっと根拠を挙げて、常人に納得させる努力を、医療の側がすべきだということらしい。医者と常人とは、死の取り扱いについては雲泥の差があるのだから、とも言っている。
 前日、以前のエッセイ仲間から送られてきた作品が『最上の最期』という自分の望みの死に方を書いたものだったので、つい最も中途半端な死に方に目が行ってしまったが、読書にも疲れた頃、別の友だちからメールが入った。
「今朝の朝日新聞一面の『座標軸』はいいぜ!」とある。おやおや、そんなに今日の朝日新聞は読むところがあるのか。とうとう金を出す決断がついた。席を立って病院のコンビニに向かった、入館許可証を首に提げて。(これは後で返しに来たよ、ちゃんと。)
 コンビニで新聞はあっさり手に入ったのだが、そろそろ核医学診断棟に行く時間になっていた。そこの待合室で、お薦めの新聞記事の所在は確認できたが、中身はじっくり読む間もなく、検査室に呼ばれた。検査室ではポケット空の着たまま状態で検査台に寝かされ、鼻すれすれまで降りてくる透視の機械が頭のてっぺんから足の先まで、ゆっくり(約20分ほどだそうだ)嘗め回す感じだ。その間、体の力を抜いてじっとしている。
「結果はいつわかるのですか?」
「画像はすぐにでも出ますけど、次の診察のときに先生が説明してくださると思います。」
「では、7月の末ですね。」もっと早く教えてくれないのかよ、内心は不満であるが、急いで知る必要もないのだろうと思えば、気も楽である。
 さて1つ終了した。次の全腹部単純+胸部~全腹部造影CTなる検査は3時40分である。1FのCTの受付に声をかけると、30分前に来てくれとのこと。1時間以上、また間がある。
 寛ぎの間で、例の新聞を落ち着いて見ることにする。まず19面は、「甲府市が舞台の映画『サウダーヂ』の富田克也監督」へのインタビュー記事だ。「自分の街や暮らしが、こんなにひどいことになっている。不安と不満の中で生きている。」地方の若者の実感に対して、自民党の勝利、アベノミクスというやり方、答えはどこか違うのではないかという異議申し立ての心情が満ち溢れている。そこが友は気に入ったのであろう。
 『座標軸』は「見過ごせぬ議論なき原発回帰」という見出し。「事故原発を抱える現実」を尻目に「こっそりと逆行」する安倍政権の原発政策を問いただす記事だ。これを「読め」という友の気持ちも、痛いほどよくわかる。価値ある150円だったよ、朝日新聞さん。燦Q。
 さてこの後、もう1つドラマがあったが、それはまたの機会としよう。
 言われた時間に受付に声をかけ、待合室というか、広い廊下で待っていた。昨日は珍しくすいていて、検査で詰まっている様子もなかったが、待つこと、ちょうど30分、ようやく呼ばれて検査と相成った。これまたポケット空の着たまま状態でベッドに仰向けに。先ほどは手は脇だったが、今度は上に揚げて耳の脇に。息を吸って、止めての声に合わせて撮った後、静脈に造影剤を注入。すぐに喉から下腹部、肛門まで熱くなってくる。また、「息を吸って、はい、止めて」を一度か二度かやったら「はい、終わりました」となった。骨シンチと比べるとあっさりしたものであった。
 外来3Fの泌尿器科に戻り、検査終了を告げると、「今日はこれでお仕舞いですから、これを出して会計を済ませてお帰りください、お大事に。」混んでいるときは、会計でまたひときり待たされるのだが、昨日は10分かそこらで済ませることができた。支払いは2万7千なんぼなり。カードで払えるから、どうということもない。でも、カード会社から請求が来るときは、あたふた…
 そういえば、朝6時に飯を食って以来何も食べていなかった。急に腹が「オーイ、飯」と騒ぎ出した。

2013062810110001.jpg
レオナルド*ダ*ヴィンチの解剖手稿 各国語訳が付いている


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