SSブログ

放射線治療後物語 その6(改築物語)

 昨日は参議院議員選挙が行なわれた。私は復古調の安倍政権は国難に向かう恐れありと警戒しているのだが、その安倍さんを命懸けで支えていくと言う元女性アナウンサーがトップ当選なのだから、しばらくは、はらはらと見守るしかあるまい。どうも日本人の中には、リスクをしょって突撃していくことが嫌いでない人が、かなりの割合(といっても2、3割程度なのだろうが)いるようである。
 さて、リフォーム物語の続きである。屋上は見違えるようにすっきり綺麗に、ピカピカになった。夜になったらゴロゴロ転がりまわりたいほど、クッション性もある。気になるところは、1cmくらいのふくらみが、あちこちにできていることだ。屋根のコンクリートが持っている湿気が、どうしても蒸発して塗装面を押し上げるらしい。それから、ドレン(排水)のところにも、ちょっと心配のところがある。アフターサービス万全とのことなので、そのうちに見てもらおうと思っている。

 トイレ周りの改修は、3日ほどでほぼ終了した。一気に終わらなかったのは、ビニールカーテンの入庫が遅れているそうで、その取り付けが残っているのだ。それが着けばSホームセンターに注文したことはすべて終わるのだが、ところが、工事を請け負ったSさんいわく、
「水道工事が見積もりより安く上がったので、計算し直します」
「えっ、いくらぐらいですか?実は、電灯が防水になっていないことと、窓が大きいので、ブラインドを着けなければ…と思っていたのですが、そんなのをやってもらえればありがたいのですが…」
「あっ、そうですね、いいですよ。でも、ブラインドは汚れると面倒なので、ロールカーテンがいいんじゃないですか?」
とまあ、カーテンが届いたらそんなことまでやってくれることになったのだ。仕事のできる人(で真面目な人)に物を頼むとなかなかいいことがあるものだ。そういえば、水道工事を請け負った業者もしっかりした人だった。

P1000394.JPG  2013072212400000.jpg
7/18 16:30                   7/22 12:40 夏祭りでにぎわう今日の熊谷


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:住宅

放射線治療後物語 その5(改築物語のまたまた続き)

 昨日は、祭日にもかかわらず、屋上防水工事の仕上げの塗装が行なわれた。一昨日丸一日乾かしての仕上げなのでスムーズに行くかと思ったが、着工以前の湿り気が塗装の下にあり、それが水蒸気として盛り上がってくるそうで、そういう部分を何箇所も処理した上で、つややかで固い感触のトップコーティングをしてくれた。午後の早い時間にそれも終わり、やがて玄関の上にコンパクトに組んだ足場の解体作業へと移った。Yさん、一人で、一本一本手際よく外し、下で待ち構える不慣れな手伝い人に手渡していく。丸い足場材の上での解体作業は、これはこれでなかなか難しいものだなあ、ひとつ間違えば足場ごと自分が落ちてしまいかねないなあと、熱中症の警戒放送が流れる中を、つい感心しながら見物してしまった。足場解体の後、玄関の屋根もついでに塗ってくれて、足場材や塗装の作業道具など全てを、1.6トンいすゞトラックに整然と積み込むと、一礼して、さわやかに立ち去った。

(写真割愛)
7/15 10:45  この仕事に就く前は、色白でヒョロヒョロしていたのだそうだ。

 1つの現場が終了した昨日は、もう1つの改築現場が始まった日でもあった。そのもう1つの改築現場とは、仕事場1階のトイレ周りである。屋上の防水工事をしたその建物の1階である。もともとはユニットバスを入れて寝泊りできるようにしたかったのだが、階段の関係で天井が一部斜めに下がっているため、それを断念し、給湯器とシャワー、洋式トイレと洗面化粧台の設置が主となった。主というのは、もう1つ、使っていなかったガス台・流し台の復活も引き受けてくれた。
 ひとが、どこをどう改築するかなどはどうでもよいことであるが、少ない予算で要望がはっきりしていると、なかなか工事の契約が成立しないものである。今回成立したその立役者は、Sホームセンターの工事を引き受ける株式会社JというところのSさんだ。このSさんの素晴らしさは、作業を責任を持って施工する現場責任者でありながら、下見に来られて見積もりも出してくれる。つまり、客の要望を逐一聞いて、改築作業に必要な工程、部材・部品を頭に想い描くことができる人なのだ。通常は、下見に行って要望を聞いて見積もりを出す人とそれを施工する人とは別だから、ややこしいことは伝達が面倒なので受けたがらないし、やるにしても、一々餅は餅屋に分配するから、手間取るし高くなる。その点Sさんはほとんど自分でやってしまう。一部専門業者に頼むにしても、一度自分の頭に入ったことなので、ぶれることなく業者に依頼してくれる。そこがすごいと思うのだ。器用で、他人に役立つものを造ることが好きなのだろう。この人の仕事ぶりも「報告の価値あり」と思うのだ。ちなみに35歳、独身とのこと。
P1000385TuDs.JPG  P1000390TuDs.JPG
7/15 10:00 作業開始        7/16 16:00 早、洋便器が着いた


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:住宅

放射線治療後物語 その4(改築物語の更なる続き) 

 猛暑が続いている。暑さで有名な当地は、6日以来昨日まで7日間、最高気温が35度以上の猛暑日が続いている。11日は38.3度だった。夕方のスコールも続いている。一天にわかにかき曇り、大粒の雨がたたきつけてくる。すぐに止むのだが、これで幾分暑さが和らぎ、畑の野菜も生気を吹き返すので、こころ待ちにしている人も少なくないと思われる。
 降らないでくれ!と願っているのは、私と、塗装業者さんぐらいかもしれない。
 なにしろ工程が多いのだ。まず樹脂モル(樹脂でできたモルタル?)というのを塗りつけるのだそうだ。それから、次のメッシュシートを貼り付ける役もするプライマーというのを塗り、その後メッシュシートを敷き詰める。それから笠木と立ち上がり部分を別塗りした後、ウレタンを2回塗る。1回目は薄めに塗り、2回目は固めのものを厚く塗る。これが乾かないうちに雨が降ると一面にクレーターができてしまうのだそうだ。
 連日の猛暑の中、屋上の作業は進み、それ(ウレタンの2回目)が今日塗られた。働き者の青年塗装職人Yさんは3時に起き、3時半に群馬県鬼石の家を出て、5時前に作業体制に入ったそうだ。で、9時40分には塗り終えてしまった。さあ、夕方多少の夕立があっても大丈夫だろうと片付け作業をしていると、珍しく午前中から雲行きが怪しい。まあ、しかし、やることはやったのだから、運を天に任せるしかないぞと、職人と施主は腹をくくる。職人が帰り始めた10時半頃、生憎とパラパラ雨が降り始める。2、30分もパラパラしていただろうか、雨はその程度で収まって、いい感じの薄日が射してきた。屋上に上がってみたが、まあまあ、大丈夫のようだ。後は、1日十分乾かして、明後日トップのコーティングをすれば完成だそうだ。

2013071309270000.jpg  2013071317160001.jpg
早々塗り終えて降りるYさん(7/13 9:30) クレーターは無さそう(7/13 17:00) 

 貫通工事もK建築士、M材木K氏のご尽力で順調に進捗。

P1000371.JPG
 庭側より  7/11 15:40       

 


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:住宅

放射線治療後物語 その3(改築物語の続き)

 貫通工事のその後は、M材木のKさんの手配で、T土建が3日をかけて土間にコンクリートを打ってくれた。貫通工事の建物に与える影響については、柱が1本抜けることばかりを考えていたが、基礎と土台が分断されることも大きいのではないかと、少し心配になっていた。ところが、鉄筋を格子状に入れてしっかりコンクリートを打ってくれたので、どうやらその心配はなさそうだ。5日はときどき雨が降り、思わぬところに雨だれがあったので、施工のTさんは、大変ご苦労をされたようだ。

2013070514070000.jpg
7月5日14時

 課題の事務所建物の屋上防水工事も、Mさんというリフォーム業者が仲介してくれて、最安値の見積もりを出してくれた。やるしかないことなので、こちらも工事を依頼した。
 こんな私的な工事を一々ブログで報告することもないと思うのだが、どの工事も、若い(二十代~四十代)職人さんが、まじめに、一生懸命作業を進めて、願っている形を造りだしてくれているので、つい、公表したくなってしまうのだ。

2013070610190000.jpg
7月6日10時
この日の最高気温は37度(と思ったくらい暑かったが、気象台の記録は35.7度)。上手に暑さをかわしながら、古い防水シートを、一人で全部はがしてくれた。K美装のYさんは二児の父、27才だ。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:住宅

放射線治療後物語 その2(改築物語の続き)

 昨日7月1日は、「休業中の有限会社も確定申告が必要」とのことで、必死で書類をしたためて、提出してきた。検査通院を挟んで4、5日の間、私は事務労働に追われていた。
 その間も、果敢なる建築士2人組の作業は続いていた。
 さて、貫通工事はどうなったか? 写真でご報告することにしよう。

2013062611010000.jpg
6/26 11時 サッシ取外し中 

2013070214060000.jpg
貫通成功、裏庭が見える 7/2 14時
nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:住宅

放射線治療後の経過 2 [病気及び治療経過]

 昨日(作文に手間取って「一昨日」になってしまった)G大医学部付属病院に行ってきた。
 7時前に家を出、8時半頃再診機にカードを入れることができた。まず泌尿器科に行き、検査で来たことを告げると、検査室の案内図を渡され、検査がすべて終わったら再び泌尿器科に戻るよう告げられた。検査は骨シンチグラフィ(グラムとも言うらしい)と全腹部単純+胸部~全腹部造影CT(と書いてある)。昨年の6月、12月にも受けており、3度目になる。
 早速地下1階の核医学診断棟に行き、注射を受ける。静脈に撮影のための薬剤を注入するのだ。看護師さんに質問する。
「この造影剤は放射線が出るのですか?」
「これは造影剤ではありません。ラジオアイソトープという放射性同位体で、微量出ます。」
「周辺の人にも影響がありますか、例えば赤ちゃんとか妊娠している人とかには?」
「抱きかかえたりしなければ、同じ部屋にいるぐらいでは大丈夫ですよ。それにおしっこで出ちゃいますから、あまり心配は要りませんよ。」
 この薬剤が全身に回るのに4時間かかるらしい。撮影は1時半から予定されている。丸々4時間、時間を潰すことになる。潰すと言えば時間がもったいないが、お暇な時間を4時間ももらってしまったと思うと嬉しくなる。
 1Fにコーヒーショップの入った、富弘さんの作品も展示してある寛ぎ空間がある。そこで、友人が貸してくれた、畠山重篤さんの『牡蠣礼賛』を読み始めた。夏に生食で食べられるイワガキの話から始まるテイスティーな話なのだが、牡蠣の成育とか養殖にまつわる話なので、読み慣れない、聞き慣れない、つまり知らない言葉がたくさんあり、とんとんとは読み進めない。そのうちに友人からメールが入る。
「今日の朝日新聞の19面を見なさい、良いことが書いてある」と。
 よし、朝日新聞だと思い、さっそく周りを見回すと、新聞を見ている人が何人かいる。入り口脇に新聞の架台もあり、1つ下がっている。急いで近付くと「上毛新聞」とある。残念。読んでいる人のをちらちら覗き見ると、これも「上毛新聞」とある。どうやら「上毛新聞」が3部置かれているらしい。他人の勧めで一面を見るのに150円は高いから、どこかにあるはずだと思い、受付の総合案内で聞いてみた。すると何ヶ所か図書コーナーがあることを教えてくれたが、新聞は置いてないかも…とのこと。行ってみると、確かになかった。
 天下の国立大学に全国紙が置いてないわけはあるまいと思って、大学の図書館の場所を尋ねると、構内案内図を見せて「場所はここですが、入れてもらえるかどうか…」とのこと。
 確かにこちらは病院の患者で時間をもてあましているに過ぎない。一々入館させていたら、学生の勉強に差し支える。ならば、検査に来た患者ということではなく、一般市民の見学ということで入れてもらうことにしようと決めて、構内を図書館に向かった。
 建物に入ると、駅の改札よろしく、入り口と出口のゲートが一つずつある。進入矢印の書いてあるほうのゲートから入ろうと、閉じたボードをペコペコ押していると、急にスパッとボードが開いた。ゲートの向こうの司書さんがボタンを押してくれたらしく、カウンター越しに微笑んでいる。
「今日はどんな御用で?」
「埼玉で学習塾をやっているものなのですが、こちら医学部の図書館を見学させてもらおうと思って…」
「ではこの紙にご住所、お名前等記入してください。」
 必要事項を書くと、「出入りのときはこれを見せてください。ではどうぞご自由にご覧ください」と、極めて親切に、首から提げる一日入館許可証を渡してくれた。
 私の目的は「今日の朝日新聞」で、はっきりしているのだが、天下の国立大学医学部の図書館に入って、それだけを求めるのも大変失礼だから、そのことはしばらくはおいておいて、見学をさせてもらうことにした。1階は、黒い表紙の分厚い医学書が何列もびっしり並んでいて、すっかり圧倒されて、書名も目から入ってこなかった。立派な本だが、何の本だかさっぱりわからなかった。閲覧用のテーブルがいくつもあるが、学生さんは一人もいなかった。なんだ、立派な施設がもったいないなあと思ったが、授業中かも知れないので、即断は禁物だ。
 2階に上がるとガラスのケースに陳列したものがある。一つは「レオナルド*ダ*ヴィンチの解剖手稿」とある。もう一つは杉田玄白の「解体新書」だ。これらの本が、実証的な西洋医学にとって重要な位置付けにあるわけだ、なるほどと思う。
 さてさて、脇目を振り過ぎていると収拾がつかなくなるから、先を急ぐことにしよう。2階には衝立で仕切られた個人用の学習机があちこちにある。学習に勤しむ学生さんもちらほらいる。しかし、新聞の架台は見当たらない。雑誌のコーナーはあるが、新聞のコーナーはなさそうだ。郷に入っては郷に従え!ここにある本を読もうと、側の書棚を見ると、脳死関係の本が並んでいる。そこから、立花隆の『脳死臨調批判』を取り出し、読むことにする。読んだ範囲で理解したところによると、彼の考えは、日本人の素朴な死の判定基準は動かなくなることで、動いている部分があるものを死と認定するのは、よほど説得されないと同意が得られないものだ。同意を得ようというのなら、もっともっと根拠を挙げて、常人に納得させる努力を、医療の側がすべきだということらしい。医者と常人とは、死の取り扱いについては雲泥の差があるのだから、とも言っている。
 前日、以前のエッセイ仲間から送られてきた作品が『最上の最期』という自分の望みの死に方を書いたものだったので、つい最も中途半端な死に方に目が行ってしまったが、読書にも疲れた頃、別の友だちからメールが入った。
「今朝の朝日新聞一面の『座標軸』はいいぜ!」とある。おやおや、そんなに今日の朝日新聞は読むところがあるのか。とうとう金を出す決断がついた。席を立って病院のコンビニに向かった、入館許可証を首に提げて。(これは後で返しに来たよ、ちゃんと。)
 コンビニで新聞はあっさり手に入ったのだが、そろそろ核医学診断棟に行く時間になっていた。そこの待合室で、お薦めの新聞記事の所在は確認できたが、中身はじっくり読む間もなく、検査室に呼ばれた。検査室ではポケット空の着たまま状態で検査台に寝かされ、鼻すれすれまで降りてくる透視の機械が頭のてっぺんから足の先まで、ゆっくり(約20分ほどだそうだ)嘗め回す感じだ。その間、体の力を抜いてじっとしている。
「結果はいつわかるのですか?」
「画像はすぐにでも出ますけど、次の診察のときに先生が説明してくださると思います。」
「では、7月の末ですね。」もっと早く教えてくれないのかよ、内心は不満であるが、急いで知る必要もないのだろうと思えば、気も楽である。
 さて1つ終了した。次の全腹部単純+胸部~全腹部造影CTなる検査は3時40分である。1FのCTの受付に声をかけると、30分前に来てくれとのこと。1時間以上、また間がある。
 寛ぎの間で、例の新聞を落ち着いて見ることにする。まず19面は、「甲府市が舞台の映画『サウダーヂ』の富田克也監督」へのインタビュー記事だ。「自分の街や暮らしが、こんなにひどいことになっている。不安と不満の中で生きている。」地方の若者の実感に対して、自民党の勝利、アベノミクスというやり方、答えはどこか違うのではないかという異議申し立ての心情が満ち溢れている。そこが友は気に入ったのであろう。
 『座標軸』は「見過ごせぬ議論なき原発回帰」という見出し。「事故原発を抱える現実」を尻目に「こっそりと逆行」する安倍政権の原発政策を問いただす記事だ。これを「読め」という友の気持ちも、痛いほどよくわかる。価値ある150円だったよ、朝日新聞さん。燦Q。
 さてこの後、もう1つドラマがあったが、それはまたの機会としよう。
 言われた時間に受付に声をかけ、待合室というか、広い廊下で待っていた。昨日は珍しくすいていて、検査で詰まっている様子もなかったが、待つこと、ちょうど30分、ようやく呼ばれて検査と相成った。これまたポケット空の着たまま状態でベッドに仰向けに。先ほどは手は脇だったが、今度は上に揚げて耳の脇に。息を吸って、止めての声に合わせて撮った後、静脈に造影剤を注入。すぐに喉から下腹部、肛門まで熱くなってくる。また、「息を吸って、はい、止めて」を一度か二度かやったら「はい、終わりました」となった。骨シンチと比べるとあっさりしたものであった。
 外来3Fの泌尿器科に戻り、検査終了を告げると、「今日はこれでお仕舞いですから、これを出して会計を済ませてお帰りください、お大事に。」混んでいるときは、会計でまたひときり待たされるのだが、昨日は10分かそこらで済ませることができた。支払いは2万7千なんぼなり。カードで払えるから、どうということもない。でも、カード会社から請求が来るときは、あたふた…
 そういえば、朝6時に飯を食って以来何も食べていなかった。急に腹が「オーイ、飯」と騒ぎ出した。

2013062810110001.jpg
レオナルド*ダ*ヴィンチの解剖手稿 各国語訳が付いている


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

あとがきの続き2-ブログの展開構想一つ実現(着手?)

 改築構想に追われていたが、業者さんがぱったり来ない状況だったので、昨日はブログの更新もできたし、新しいブログの立ち上げもできた。それをご報告します。

 ブログの名前は『語り合おう、そして活かそう学校生活!』 
 URLは http://nobinobi-school.blog.so-net.ne.jp/
 開設のきっかけは、当ブログの 第13話 「書き取り31回とは?」
 内容は
 「子供達・若者達が育つ空間は大事です。「学校や家庭の今」を語り合い、すくすく伸びる空間作りをみんなでやっていきましょう!勉強や進路の悩みにも応えます。まずはコメントをお寄せください。」

 まずはご笑覧下さいますよう!


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学校

あとがきの続き1-放射線治療後の経過 [病気及び治療経過]

 昨日、6月19日、G大病院に定期検診で行ってきた。雨で車の流れが悪く、到着が予定より少し遅れた。駐車場は、ここ一年の間にどんどん拡張され、入庫に待たされる時間は以前より減っている。ただし外来とは大分距離が(200mくらい)あるので、せっせと歩く脚力が必要である。(S医大病院は裏の坂道を大分登った所に駐車場があるので、よほど丈夫ではないと、病院にはかかれないなあと思ったものだ。それから思うと平らなのだから、かなり病人に優しい。)外通路から中に入ると、レストランやコンビニ、衣料品などの店が並んでいる。そこを(幸い丈夫だから)せっせと通り抜け、8時45分頃、外来入り口の再診機で受付を済ませた。受付を済ませると、すぐに2階の採血室に行き、そこの機械に受診カードを差し込み、採血の受付票をもらう。採血室は10台ほどの採血台がフル稼働しているのだが、外に大勢が待っている。4、50分待つこともよくあるが、昨日は25分待ちだった。その間にトイレに行ったり、少し喉を潤したり、メールを打ったり、長いときには本を読んだりしている。
 ここで採血を済ませると、3階の泌尿器科に行く。節電のためなのだろう、やや薄暗い通路の長椅子にかけて待っている。たいていほぼ満席だ。ここで2、30分も待っていると、先生から放送でお声がかかる。「1番の診察室にお入りください。」
 S先生は治療ガイドライン作成の一部を分担されている、この道の権威である。パソコン画面に目を遣りながら、「どうですか、調子は?」
「特に変わったところはありません。ただ、今日、車を運転しながら、膝のちょっと下のあたりが、ときどき、ツーン、ツーンと痛くなるのですが、骨への転移と関係ありますか?」
「まずないでしょう。膝に来ることは滅多にありません。今度、検査が入ってますね。ではまた注射をしてお帰りください。はい、お大事に。」
「そうだ、先生、前回の血液検査の結果をいただきたいのですが、プリントしてもらえますか?」
「はい、じゃあそうしましょう。受付でもらっていってください。」
 先生、診ている患者さんが相当多いのだろう、スピーディーだ。外で20分ほど待っていると、受付に呼ばれ、処方箋や検査結果、受診カードなどが渡される。それを持って2階の採血室の隣の化学療法室に行き、腹部に約1月もつというホルモン調整剤を打ってもらうと治療は全部終了。この部屋の受付で会計事務もしてくれて、あとは、1階の精算機に受診カードを入れて、クレジットカードで1万何某の支払いを済ませれば、事務も終了。長い通路を駐車場に戻る途中で、駐車券の精算を200円で済ませれば、完全に終了だ。もう、1年以上、十数回繰り返してきたことなので、慣れたものである。
 さて車に戻って血液検査の結果を広げてみると、赤血球は3.93から4.07に、白血球は3.0から3.6に、血小板は150から154に、いずれも正常値より低いのだが、増えていた。PSAは0.04とさらに減っていた。体調が悪くないことが、検査で裏付けられた。ただし、5月22日時点の話である。昨日の結果は、どうせ電話では教えてくれないのだ。また、呑気に待つとしよう、というか、忘れていることにしよう。
 駐車場を出ると、いつもは、17号を少し北に足を伸ばし、G大学荒牧校舎に向かう。そこの学食で、同級生のI君と昼飯を共にする。それが昨日は、I先生、県庁で会議とのこと、県庁の31階展望レストランで会食することになった。駐車場からして新鮮で、気付いたことも多々あったが、とりとめがなくなるので、治療後経過のご報告はこれまでとしよう。
 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

放射線治療後物語 その1

 しばらく更新できずご無沙汰してしまいました。近況をご報告します。

 忙しい毎日が続いている。ちょっと過労かなあと感じるときもあるので、休めるときは休むようにしている。
 何が忙しいか、疲労の原因は何かというと、あちこちの改修工事の計画策定とその準備のための片付け作業である。そんなことは、今しなくても良さそうなものだが、それが、今したいし、今する必要も生じてしまった。
「いつやりますか?今でしょう」予備校のコマーシャルは、講師は、なんて品が悪いんだろうと思っていたら、そのうちのマシな一人が、あっという間にお茶の間の人気者になってしまった。その人の決めゼリフに従うことになろうとは、ゆめゆめ思ってもいなかったが、まるでそのセリフにはまってしまったかのような生活になっている。「いつやりますか?来年にしましょう」と言いたい気持ちは山々なのだが、今やりたい。
 前立腺の病気と関係なければ、独立した「改装物語」で、ここで語る話ではないのだが、それが大いに関係がある。
 人はたいてい誰でも、いつでも、あそこはああしたいなあ、ここはこうしたいなあ、あれはやりたい、あの人にはご無沙汰しているからご挨拶に伺いたい…等など、いろいろな願望を持っているものである。私もそんな一人だが、私の場合は、その実現が特にのろいほうなのである。だらしがないとか、優柔不断だとか、簡単に言えばそういうことなのだが、自分で少し分析すると、カネと時間の乏しさという物理的要因と、性格・趣味という精神的要因に分けられる。
 カネは「先立つものがないと…」とよく言うように、物事の実現を確実に遅らせてしまう。時間は、カネがあれば他人に頼めるから必須ではないのだが、カネがない場合には、これまたないと始まらない。どちらもない場合には、時間をかけて、段々それらの蓄えを作っていくのが人生の普通である。気が極端に短い人とか、他人の苦痛を感知しない人とかは、詐欺、窃盗などの犯罪行為をして、自分の願望を実現させてしまう。
 この辺りから、精神的領域に入る。私の場合は、気が極端に長かった。また、他人の苦痛は、自分の幸福感を減らすことが多く、自己実現とは両立しないことである。この点は、多くの人と変わりはないし、前立腺の病気発覚の前後でも変化はない。
 
問題は前者で、以前は、「そのうちなんとか、なるだろう」と、悠長に、マイペースで、時間があると好きなことをやっていたのである。好きなこととは、下手なエッセイを書いたり、同好の士を集って、その編集・発行をしたりしていたのである。今もこんなことをしているから大差はないのだが、かつては、自分の寿命に考えが及ばなかった。というか、人は、酒を飲みすぎたり、タバコを吸ったり、不摂生をしたりするようなことがなければ、120歳ぐらいまでは生きるのではないか、もしそうなら、60歳は、人生の半分に過ぎない―そんな程度に人生の長さを考えていた、なんとなく。
 
それが「おいおい、数年かもしれないぜー」と、昨年来急変した。まあ、あまり慌てることはないのだが、どっちにしても、120年の想定は、確率的にはかなり低いことであると、目が醒めた。
 
そこで長年やりたかったことを少しは実現して行こうと思い立って過ごしている。先立つものは、稼業の学習塾の廃業で、小規模企業共済の退職積立金がいくらか入った。時間は、廃業で仕事時間が大幅に減った。そしてまずやろうとしていることが、稼動していない事務所建物の有効活用である。そのためには、お勝手と浴室の設置、トイレの改装が必要である。業者さんとの見積もりや打ち合せで、計画は二転三転。今は、浴室は断念、なんとか給湯器をつけてシャワーだけでも…、お勝手は、従来の流し台を水道とガスを復活させて再利用する方向で、計画が煮詰まってきた。ベッドは既に二階に入れてあるので、遠方より友来たりても、なんとか宿が提供できるようになりそうだ。
 
あとは、屋上の防水工事だ。防水シートが縮んでめくれ上がってきていて、よく部屋に雨漏りがしてこないものだと不思議なくらい傷んでいる。ところが、陸屋根の防水工事はカネがかかる。自分で塗ることも含めて、なんとか安く手当てができないものかと、知り合いの業者さんに目下相談中だ。
 
やりたいこと、やらなければならないことがもう一つ、二つある。自宅の改修工事だ。三角形の土地に道路と斜めに横長に家が建っている。家の奥に、30㎡ほど庭があるのだが、すぐ南側に14階建てのマンションが建っており、陽が当たらないうえ風通しも悪く、庭畑としても利用できない。何とか駐車場に利用したいのだが、クレーンでも備えて、車を空中に吊り上げて屋根を越えて出し入れする以外、このままでは方策がない。そこで、両親亡き後、弟の物置になっている古い八畳間と廊下を改修して、壁と床を壊し、車が通過できるようなトンネルを造りたいものだとかねがね思っていた。
 
最初に相談した大工さんは、古い家の柱を抜いてのリフォームは、家全体が崩れる恐れがあるからできないとのことだった。ところが教え子で建築に携わるK君に相談すると、埃だらけになって天井裏を覗いた結論として、構造材が関係していないので、これはできると判断。M材木という業者さんも協力してくれて見積もりも抑えてくれたので、これも実行することに相成った。
 
こちらは、座敷をすっかり空にする片付け作業がたいへん。父亡き後の弟の生活用品が所狭しと残っている。(生活習慣病の弟は、昨年何度かの入退院の後、私が友人の力を借りて片付け、掃除した本来の彼の部屋に、今は住んでいる。)物を取り除き、8年間のゴミを掃除すると、いよいよ、父のもの、母のものが出てくる。弟のものからは「生活習慣病物語」、父のものからは「昭和サラリーマン物語」、母のものからは「姑、子育て、闘病の歌物語」が派生する。いずれ時間が許せば取り組みたいことであるが、ここは簡単に済ませるしかない。
 
父については、ゴルフのスコアカードがたくさん残っており、五十歳ころから、2~30年は溌剌とやっていたことを思い出す。それができたのだから、まあ、よい人生だっただろうとくくることができる。
 母は、短歌をたくさん遺している。
晩年は書にも親しみ、好きな俳句や短歌を、色紙や短冊に書いている。その下書きがたくさん遺っている。苦労の多い人生だったのだが、頭は五七五七七を練り、手は筆を執っていたことを思うと、これも、決してそんなに不幸な人生ではなかったろうと、楽天家の長男は呑気に決め付けることができる。そして、その座敷を壊して車の通路にしてしまうことに、もうためらいはない。
 
そんなこんなで忙しくしているというのが近況だが、このトンネル工事は、若手建築士の果敢な挑戦が成功するのか、ベテラン棟梁の危惧が当たってしまうのか、ちょっとスリリングではある。

2013061407380000.jpg


 2013061717270000.jpg
 ガス管埋め込み工事終了。果たして無事開通するか?


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

合い間物語(エッセイ)のあとがき

 以上、第16話までが、放射線治療のための45日間の入院中に体験(読書を含む)し、感じ考えたことをまとめたものです。
 
治療に当たってくれた主治医の先生はじめスタッフの方々の適切で丁寧な照射のお陰で、また、明るく行き届いた世話をしてくれた病棟スタッフの方々のお陰で、さらに病院で知り合った、怪我や病を持ちながらも朗らかさと寛容さを忘れない患者さんたちのお陰で、たいへん副作用少なく(おそらく最小限の副作用で)放射線治療を終えることができました。また、今の私に、測ったように適切な書物を与えてくれた友人たちのお陰で、たいへん充実した精神生活を送ることもできました。みなさまに感謝の気持ちでいっぱいです。
 また、ブログ掲載に当たり、直接関係する方々(でお伺いを立てた方々)から快く承諾をいただき、その点も感謝しております。今後とも、
不適切な点等お気付きの点がございましたら、訂正等善処しますので、ご連絡ください。
 このブログの今後ですが、病気のほうは、第16話にも記したとおり、長期戦です。月1行なっている血液検査の結果も、4月24日の結果しか取り込んでおりません。実は、5月22日にも血液検査しており、その結果なども踏まえて第16話を書きたかったのですが、電話やファックスでは一切入手できなかったので(不承不承)断念しました。今後は、ご報告すべきことができたときに、記事を追加して参ります。
 病気の経過以外にも、取り上げたいテーマがいくつかありますので、新たなブログを別のタイトルで開設したいと思っております。その際は、このブログでお知らせします。
 お読みいただきありがとうございます。今後とも、ご来訪をお待ちしております。またお気軽にコメントをお寄せください。どの記事に興味を持たれたか、AKBなみに人気投票などしていただけたらハッピーの極みです。燦Q

nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。