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やまい発覚当初の心境 [病気及び治療経過]





 このブログは、2013年初めの放射線治療のための入院をきっかけに始まった。そのため、やまい発覚当初の気持ちの動揺などについてはほとんど書かれていない。発病を知らされた人にとっては、それも何かしら参考になるかもしれないので、治療入院以前に書いたものを、遅まきながら掲載しようと思う。
(以下は、2012年9月執筆、エッセイクラブ作品集『燦』78集より、一部編集)

   青天の霹靂 

 昨年春の健康診断で、前立腺の石灰化が指摘された。「これは齢で、しょうがないんでしょうか」と尋ねると、「まあそうですね」と医者も言う。血圧が高めだったり、他にも心配なところがあったりしたので、石灰化は軽く見てしまった。それが、今年の春は「前立腺石灰化? 血液検査をやってみますか」と医者が言う。「はいはい、お願いします」心配なところは、血液検査で済むならどんどんやっておきたい。2日後、病院から電話があり呼び出された。数値が悪いので、泌尿器科の専門医に早くかかったほうが良いと言う。4までが許容値のPSAという検査結果が、38だと言う。

 知り合いの先生が泌尿器科だったので、早速訪ねると、すぐにできる検査をやってくれ、MRIの予約も入れてくれた。どの検査結果も、数値の悪さを裏付けるものだった。
 どうやら前立腺がんの疑いが濃厚らしい。「やばいなあ、早ければ今日かもしれないが、遅ければ百二十歳かも知れないと、呑気に思っていた寿命の想定に狂いが生じたのか…?」

 そう思い始めた矢先、ちょっとびっくりする出来事があった。先生の奥様が別の用事で訪ねてこられた折、玄関先で、私に目をつぶって左手を出すようにとおっしゃる。そうすると、奥様はその掌に手を重ね、そっと何かを置いた。「霊験あらたかなある物が薬包紙に包んである」と言う。「これを、いつも居るお部屋の、戌亥の方角、北西ね、白いお皿に載せて置いておくと邪気が払われるのよ。騙されたと思ってでもいいから、そうしてください」とおっしゃる。言われたとおりに、出した左手に右手を被せ、いただき物を両掌の間に挟んで目を開けると、奥様の肩は降り始めた雨に濡れていた。「ご心配をいただいてありがとうございます」と、手を重ねたままお礼を言って、車を見送った。

 頭を下げている間にいろいろな思いが駆け巡った。やはりことの重大性を思った。これは神仏に頼る領域なのか…。そんな事態に陥っていたのか…。戌亥の方角の薬包紙(の中身)に延命を託すのか…。
 しかし、方位だの風水だの、そういう類は、ちっとも信じることなく、自分は生きてきたのだった、今日これまで。
 我が迷いは別として、人の折角の気持ちは大事にしなければなるまい。白い皿を用意して、戌亥の角に置き、とりあえず合掌をした。

 さて、これを本気で拝むか、奇跡的快癒を願って…一晩、寝ながらゆっくり考えた。人はだれも、みな最後は死ぬのである。いつ、どう死んだかよりも、どんな生き方をしたかのほうが大事である。科学的あるいは統計的根拠の薄いことはほとんど信じてこなかった自分が、命がかかると途端に偶像を崇拝するようになったのでは、どう生きたかが語れなくなってしまうではないか。ここはぶれずに信念を通そうではないか。
 なかなかしっかりした心境に至ることができた、と我ながら思った。

   番号バトル

 泌尿器科の先生に、近県の大学病院を紹介してもらった。ここで、CT、骨シンチ、生検などの検査を受け、とりあえず薬物療法に入ることになるのだが、その初日のことである。初診受付をして、診察カードをもらい、泌尿器科で、当日できる検査をしてもらい、他に必要な検査の予約を入れてもらった。一通り終わって、会計事務をしてもらうときに、ふと自分の診療カードの番号に気が付いた。4と9ばかりが並んでいる。6も一つある。4は死に、9は苦に、96は苦労につながる。「うわー、オレはやっぱり運が悪かったんだー」この間到達したはずの、なかなかしっかりした心境は、もう揺らいでしまった。あれまあ、そんな程度だったのかと、少しがっかりした。

 4(よん)は「し」と読むから死を連想する。9(きゅう)は「く」と読むから苦を連想するだけで、4や9が不幸をもたらす理由も根拠もあるはずがないのだ。また運の悪い人が4や9に当たりやすいという理由も根拠も、あるはずがないのだ。帰り途、車を運転しながら考えた。英語ならフォーとナインで、なんの問題もないんだ。だがなー、家の者がなー、入院しているときに病室を訪ねてきて、この4だの9だのがずらずら並んでいる番号を見たら、きっといやな思いがするんだろうなー。「これじゃ親父も助からない」とがっかりしてしまうんじゃないかなあ…。

 交通事故を起こせば、がんの脅威を追い越して、即刻あの世に飛んで行きかねないので、運転に差し支えない程度に思いを巡らしながら家に向かった。そして家に着くと、すぐに病院に電話を入れた。病院のパンフレットに患者支援センターなる部署の電話番号が載っていた。

 事情を話し、登録番号の変更を願い出た。すると、電話口の人は理解を示し、受診科と連絡をとって返事をするとのこと。五、六分もすると受診科から電話があり、番号の変更はできない、やっていない、この番号で検査の予約をとってしまっているので、手違いが起こると大変だと言ってきた。最後の説明は理解できるが、番号の変更はできない、やらないというのはどういうことなのか、少し噛み付いた。

「私の二つ前の人は、42番ですよ。42424242という人もいたわけでしょう。厄介な病気にかかって大学病院を訪ねてきて、こんな番号のカードをもらった人は、どんなにいやな思いをしたことか、そうは思いませんか。当人から要望があれば番号を替えてやるくらいの制度は取り入れたらいかがですか。本当にそういうことはしていないのですか。」
「やっていません。」
「わかりました。では、私からこういう申し出があったことは、一切無かったことにしてください。『番号を替えてもらおうとして断られた』では余計惨めですからね。頭を切り替えればいいだけのことだから、数字の羅列なんか、私は、今後一切気にしませんから。ただね、そういう切り替えができない人も多いと思いますよ。」

 番号バトルは、きっぱりそれで終わった。私はまた(主観的)しっかり者に戻った。大学病院というところは、合理的なシステムがいろいろ導入されていて、検査、治療、その他サービスの向上が図られていると感心するところも多いが、こういうデリケートな、心のケアという面では、まだ改善の余地があると言えるのかもしれない。(私も余り生意気なことは言えない。この病院のお世話になり、病気を根治してもらう立場なのだから。)

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