SSブログ

第6話 『科学の限界』を点検? [読書感想]

 放射線治療のための入院生活は暇である。いつ回ってくるかわからない順番を日がな一日待っている。午前中来ることもある。午後3時ごろ来ることもある。だが、そんなことは稀である。夕方6時前後のことが多い。回ってくると20分ほどで終わることを一日泊まって待っているのだから暇だ。
 
では退屈かというと、これがそうでもない。こんなときにやることに、実は事欠かない。携帯メールで連絡を取って用を済ませたり、散歩をしてあちこち探索したり、本を読んだり、思いつくことをメモ書きしたり、まあ、飽きるということはない。本だけを取り上げても、読みたい本、読まなければいけない本がたくさんあるのだ。普段読めばよいのだが、雑用が多くなかなかその時間が取れない。
 
これは絶好のチャンス!とばかり、まず読み始めたのが『科学の限界』(ちくま書房 池内了著)。入院前に友人からいただいた本だ。「二〇一一年三月一一日に起きた震災と津波と原発事故は、現代科学・技術における限界を露呈した。地震の発生や規模を予知することができず、迫り来る津波の脅威を周知徹底させることができないまま多大な犠牲者を出し、最新技術の粋であるはずの原発が無残にも破壊されて放射能を撒き散らしたのだから。…」でその本は始まる。(この冒頭の一節だけでも、十分読む価値のある本であることがわかる。良き友を持ったものだ、燦Q!)
 
そして、現代の科学・技術が色々な角度から終焉を迎えつつあることが、また、制限・制約を受けていることが書かれている。右肩上がりで成長し、信奉されてきた科学・技術だが、今は多くの人がその進歩や見通しに疑いを持ち始めている。文明そのものの向かう先が危ぶまれている。そんな疑問を科学者自身が発し答えようという書物である。
 
むずかしい話もあり、理解七(六?)分目程度で、概ね賛同しながら読み進め、〈よし、1冊(3冊目)完了〉と「あとがき」を読んでいてびっくり仰天。
 
原稿を書き終えてゲラが出てから「あとがき」を書くまでの間に脳梗塞になってしまったというのである。その様子がつぶさに書かれ、その検査・治療中に「ゲラの校正に励んだ」とのことだ。そして心もとないから、読者に以下のことをチェックして欲しいとある。
「(1)事実関係に誤謬はないか?
 
(2)論理に矛盾や飛躍はないか?
 
(3)言葉遣いが粗っぽくなっていないか?
 
(4)くど過ぎる表現となっていないか?
 
(5)言葉の使い方に偏りはないか?
 
(6)過度に単純化していないか?
 
(7)語尾が類型的になっていないか?
 中身についてはそれなりに自信は持っているものの…」と書かれている。
 
こういうタイミングで脳の病気に襲われることがそもそも珍しいことと思うが、こんな真摯で謙虚なあとがきに出会ったことはかつてなかったように思う。それで、これは是非とも一読者として感想を書いて差し上げなければと思った次第だ。そこで、もう少し丁寧に読み直し、読者の皆様に本書の内容をより詳しく紹介しながら、著者の心配事を共に検証してみようと思う。
 
(1)事実関係に誤謬はないか?
 これを判定できるほど諸事実を知らないので、これは遠慮せざるを得ない。
 
(2)論理に矛盾や飛躍はないか?
 この点を、本書の粗筋を紹介しながら、共に考えてみようと思う。
 本書の第1章は「科学は終焉するのか?」
 ここでは一九世紀末に出された「科学終焉」論と、二〇世紀末ホーガンによって出された「科学終焉」論を紹介する。
 前者はニュートン力学とマックスウェルの電磁気学によって全ての事象が説明できる、科学は行き着くところまで行ったと思われた時代である。しかしこれは「次の大発展の予兆に過ぎなかった。」実際には、マクロの面でもミクロの面でも説明できないことがあり、アインシュタインの相対性理論や、量子力学によって「ブレイクスルー」されるのである。
 一般に、いくら知っても知れば知るほど、新たな疑問が湧くものであるから、科学終焉論は皆、停滞期に現れる一時的なものと思われる。
 だが、二〇世紀末、科学ジャーナリストのJ・ホーガンが『科学の終焉』と『続科学の終焉』を発表し、「技術に絡む応用科学は別として、普遍的な真実の解明を目指す純粋科学は終わりに向かっていると宣言した」と紹介する。
 さて、終焉論は百年に一度繰り返す人類の不安症の表れなのかどうかであるが、その前に、両者の終焉論は「終焉」の意味が違っているように感じられる。一九世紀末は「もう知り尽くした」であり、二〇世紀末は「人知の及ばないことはまだまだあるが、様々な点で限界に達したので、はかばかしい進展は望めない」という限界論である。二つ並んだ(並べた)終焉論だが、異質なものであり、著者は明瞭には述べていないが、〈後者は重く受け止める必要があり、限界を丁寧に考察して対策を講じないと本当に終焉してしまう恐れがある〉という論理構成である。そこで、次章以降でそれらを考察してみよう、となる。
 矛盾はないが、もっとはっきり書いてくれたほうが、凡人にはわかりやすい。もっとも賢い読者にはこれで十分なのかもしれない。
 
第2章は「人間が生み出す科学の限界?」
 
タイトルの意味がやや判り難いが、人類の一般的な性が科学にもたらす限界を考察している。例えば、人類の英知の大きな進歩は二百万年前、六〇万年前、二〇万年前、六万年前と、時間をおよそ1/3に短縮して進んできた。一方、技術(文明)は、四〇万年前の火の使用、一万年前の農耕革命、二五〇年前の産業革命、六年前のIT技術による情報革命と、時間を1/40に短縮して発展してきた、という説明をされている。要は英知の進歩に比べ、技術文明の進歩のほうが時間の短縮が激しいという指摘であるが、言わんとすることは理解出来るものの、この説を採用してしまうと、先の見通しが一切、立たなくなる。
 
つまり、1/3説、1/40説は、今(現代)を収束点にしてしまっているので、この法則自体が大テーマとなり、じっくり検証する必要が生まれてしまうと思う。
 
唯一、論理に納得がいかないところである。
 
人間の性がもたらす限界としては、物理学が「いずれにしても、五感を離れた世界に彷徨い出ているのは確か…」と指摘する。
 
一方、二一世紀の科学の本命と目される生物学は「人間の役に立つという役割を過剰に背負わされている」うえに「人間は複雑系であり」多様なものだから「物理学が得意とする要素還元主義」で推し進めることがむずかしい、と指摘する。
 
また、科学者が、富や名声、地位など、真理以外のものを求める可能性が否定できず、捏造や倫理違反も起こり得る。「思い込み」や大勢に与するまいとする反骨精神が科学の進歩を遅らせる場合もあると、科学者に(も)ひそむ、人間の精神の限界を指摘する。
 
第3章は「社会が生み出す科学の限界」
「一九世紀半ばに科学が国家の制度に組み入れられ、国家が科学の最大のスポンサーとなった」ことから様々な制約が発生している、つまり、各国の政治や国際情勢が強く反映するようになったと指摘している。また、資本主義のグローバル化が進む中で、経済論理が強く主張されるようになり、知の追及より、一刻も早い商品開発へとエネルギーが注がれるようになったと指摘。社会(政治・経済)の影響の例として「地震予知」や「原子力ムラ」の問題を挙げている。
 
第4章は「科学に内在する科学の限界」
 さすが科学者で、この章に一番ページを割き、力点を置いているのだが、この章を概略手短に紹介することは私の手に余る。項目だけをいくつか挙げるので、興味のある方は御自分で確認していただきたい。「不確定性関係」「ブラックホール限界」「不完全性定理」「一回きりの事象」「非線形関係」「複雑系の不確定度」など。
 
第5章は「社会とせめぎ合う科学の限界」
 再び社会との絡みがテーマに挙げられるが、今度は現代文明の行く手に立ちはだかる大きな問題とのせめぎ合いである。ここも項目を挙げるに止めさせていただこう。「地下資源文明」「地球環境問題」「エネルギー資源問題」「核(原子力)エネルギー問題」「バイオテクノロジー問題」など。
 そして第6章は「限界の中で―等身大の科学へ」
 著者が構想する科学の姿が描かれる。戒めを含む提言である。私は次のように受け止めた。
1.文化のみに寄与する営みを取り戻すべきだ。
2.科学には二面性があり、善用も悪用も可能である。一つ間違えば大きな災厄となり得る。科学者は倫理感を研ぎ澄まし、人間を大切にする科学を発展させなければならない。
3.ビッグサイエンスから身の丈(あまり費用がかからず誰もが参加できる)の科学へ。人体や地球環境など、複雑系が対象になっているので、数多くの科学的観察報告が必要になっている。
4.「科学は無限ではないけれど、有限でもない。その限界点は、時代とともに変化する。科学者と市民との連帯の有無がそれを決める重要な要素なのである。」と締めくくる。
 全体の論理の流れに矛盾は無いと言えるのではないだろうか。むしろ、大変よく考えられていると言えよう。欲を言えば、第6章にもっとボリュームがあればなお良かったと思うが、本書は科学の限界について論を述べたものなので、今後の在り方については、稿を改めて挑まれるお積りかもしれない。 さて、本書を読んで、西洋文明を推進してきた、実証性とか要素還元主義に基づく科学的進歩は、そろそろ限界に達しているのかなと思う。それでは人類の知的進歩はこれで終わるのかというと、そういうことはあり得ない。むしろ、科学に集約された感のある人間の知的活動が、解き放たれつつあるのだろう。博物学、哲学、文学、歴史学、民俗学…様々な人間の知的活動が、再び活性化し、折角得た科学的知識から逸脱することなく、人類の英知を結集して、少しずつ未知の領域に迫り、人類の未来に貢献していく、そういう人類の歩みを構築して行きたい―そんな読後感を抱いたことを、感謝と共に著者に報告申し上げたい。
「脳梗塞になっても変わらず示唆に富む本」をありがとうございました。くれぐれもお大事に!
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。