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3ヶ月ぶりのG大病院④ [生活エッセイ]

 一週間たってしまったが、先週の金曜日、終戦記念日にG大付属病院の定期検診があった。
 血糖値が高くならないように早めに軽く食事をとって、7時頃家を出た。お盆の最中の早朝だったので車の流れもよく、8時半には再診機にカードを通すことができた。珍しく採尿があり、採血も5本と多かった。2~30分待ちで順調に済ませ、泌尿器科の外来に向かった。ここでも10分待ちぐらいでお声がかかり、3ヶ月ぶりにS先生にお目にかかった。
「どうですか、調子は?」
「お陰様で特に悪いところもなく、前回腰回りが痛くてご相談したのですが、あの痛みもあれからどんどん薄らいで、今は…」と先日H病院でお伝えしたことをお話ししたところ、言い終わらないうちに、先生、画面に目をやりながら
「この前の骨密度の検査結果ですが、やっぱり、かなり骨密度が低下しています。ホルモン療法の副作用による骨粗鬆症ですね。低くてもたいていこのくらいなのですが、ここまで下がっています。」と画面のグラフを見せて説明する。
「今日から治療を始めましょう。注射を打っていってください。半年に1回の注射ですから、次回は次の次です。この注射をするとカルシウムが不足して副作用が起こりますから、その対策で、カルシウムを補充する薬も出します。サプリメントのようなものです。毎日服用してください。看護師が説明しますが、リュープリンの注射をした後、また戻ってきてください。」
 あれれれ、調子がいいとばかり思っていたら、骨の中がスカスカになっていた!?薬剤を注射して薬を毎日服用する!? ガーン! なるべく薬を減らしたいと思っているところを、それがまた増えるのか…ますます加療人間になっていく。正直、がっかりした。
 化学療法室でリュープリンを下腹(今回は右側)に打ってもらって戻ってくると、間もなくS先生からお声がかかる。血液検査の結果が出たようだ。
「カルシウムの量が足りているので、予定通り骨粗鬆症の注射を打っていってください。5番のところで待っていてください。」
 そこで待っていると看護師が「待っている間にこれを読んでおいてください」とA5版の冊子を持ってくる。表紙は「骨粗しょう症治療剤プラリア治療を受ける患者さんとご家族へ、骨粗しょう症による骨折を起こしにくくするために」とある。中を開くと、骨粗鬆症は、女性の高齢者に多いとある。ホルモン療法で男性ホルモンが抑えられている結果、発症しやすい状況に陥ったようである。ホルモン療法を加減する方法もあると思うが、がんの活動が再開するリスクが高いのだろう。先生にお任せするしかない。
 そのホルモン療法の薬、リュープリンは、過去3回とも13週の間隔で打ってきた。それが今回は11週と2日である。普段よりこれから10日間は体に強く働くはずである。メーカーに問い合わせても、看護師さんに尋ねても「許容の範囲」ということで、《そんなものか》と打ってもらってきたのだ。
 ぐずぐず気にしてもしょうがないから大学病院に任せることにしよう。
 ページをめくると「骨粗しょう症になると、腕のつけ根、背骨、手首、太ももの付け根を骨折しやすくなります。」とある。知らないで治療もしないでいたら、あるときポキッといったかもしれない。で骨折すると、「骨折は寝たきりの原因になります。」とある。《しっかり治療して気をつけるようにすれば、こうしたことを未然に防ぐことができるぞ、早期発見で結構なことだ》と気を取り直して、左手二の腕の皮下脂肪にプラリアを注入してもらった。この薬は破骨細胞を減らすことで骨牙細胞とのバランスを保ち、骨の量を増やすのだそうだ。ただその作用の中で血液中のカルシウムが減少して、低カルシウム血症をおこす恐れが高いので、カルシウム、ビタミンDを服用する必要があるとのことだ。その処方箋を用意してくれるというわけだ、また薬が増えることになるけれども、仕方があるまい。
 骨密度の検査結果のプリントを出してもらった、画面でちょっと見せられただけではよく解らないので。しかし、家に帰ってきてその画像プリントをじっくり見ても、字が小さかったり滲んでいたりして、実はよく解らなかった。血液検査の結果ももらってきた。PSAは相変わらず低くて安心したが、GOT、GPTが若干上昇していた。
 家に帰るとさっそく薬局に電話をして、デノタスチュアブル配合剤というのを手配してもらって、翌日からのみ始めた。朝食後2錠、噛んで服用する。薬価は前立腺がんの治療薬のカソデックスの約45分の1で、経済的負担は少なかった。

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3ヶ月ぶりのH病院④ [生活エッセイ]


 先週の金曜日に、放射線治療を受けたH病院の三ヶ月検診に行ってきた。検診といっても検査は特にない。体調の報告が主だ。
 前回G大学病院で受けた血液検査の結果表と、電車の中でできるものと、汗拭き用のタオルと、冷たいペットボトルを一本持って、駅に行くと、間もなく高崎行きが入ってきた。
 午前中の下り電車は夏休みでもすいていた。車中では、目下、隣のブログ(「日本の政治と地球の未来」)で、安倍総理の著書「美しい国へ」から見える人物評を書いているものだから、その仕事?が進むように、要旨の抜き出し作業にいそしんだ。本から知り得た安倍さんのことを書けばいいのだから、本全体の要旨を書く必要はないのだが、読後の印象だけで書くと、大雑把で、読者に根拠が伝わらない主観的な人物評になりかねないと思うのだ。そこで、できるだけ簡単に要旨を紹介しながら、その流れに沿って思うことを書き添えることにしているのだが、これが結構手間がかかる。
 などと思って鉛筆で線を引いていると、たちまち一つ手前の倉賀野駅に着いた。窓を見ると水滴が幾粒も垂れている。雨が降っているのだ。これには驚いた。そういえば雨の予報も出ていたから、驚くほうが驚きなのかもしれないが、連日の暑さのために、暑さ対策しか考えていなかった。
 高崎で乗り換えて数分で最寄り駅に着いた。やはり雨だ。まだ小雨だから、濡れるのを覚悟で、歩いて行ってしまうことにした。タオルを肩にかけて、急ぎ足で病院に向かった。
 濡れ鼠というほどのこともなく、無事に、予約時間の30分ほど前に着いた。
 診察前にすることがあった。友だちの友だちが、放射線治療で入院していて、見舞うことになっていた。もしかしたら予定の照射を終えて退院してしまったかもしれない微妙な時期だったが、南病棟3階の廊下でばったり行き会えた。入院中、WBC等をよくテレビ観戦した談話室のようなところで話をした。昨日で30回の照射を終え、今日退院とのことだ。治療半ばで一時帰宅していた時に、血尿が出て排尿時に痛みもあるとのことで電話で相談を受けたが、その後は治まっているとのこと。退院を控え、明るい表情だったので、安心した。
 ところでせっかく病棟に上がったついでだから、入院生活を楽しくしてくれたKさんという看護師さんの消息を、ナースステーションで尋ねてみた。すると、なんと、もう辞めてしまったとのことだ。ブログに書かせてもらったり…いつかまたお会いできるのではないかと思ってもいたので、こいつはちょっと残念な知らせだった。
 それからとぼとぼ階段を下りて、腫瘍センターの受付に行き、いつものアンケート用紙をもらって、待合室のソファーに腰を沈めた。
 用紙をよく見ると「国際前立腺症状スコア I-PSS」と書いてあった。質問は全部で7問。残尿感があるかどうか、2時間以内に行きたくなるかどうか、途中で切れる感じがあるかどうか、我慢するのがつらいことがあるかどうか、勢いが弱いと感じることがあるかどうか、開始時にいきむ必要があるかどうか。以上の6問については、回答の選択肢が6個用意されている。「全然ない」が零点、「5回に1回未満」が1点、「2回に1回未満」が2点、「2回に1回程度」が3点、「2回に1回より多い」が4点、「ほとんど常に」が5点となっている。第7問は床に就いてから起きるまでに何回行くか。これは回数がそのまま点数になる。
 最後に、QOLスコアというのがある。「今の排尿の状態が生涯続くとしたら」という問で、選択肢は「大変満足」「満足」「大体満足」「どちらでもない」「不満気味」「不満」「大変不満」とある。(「」付きになっているが、大急ぎで要点だけをメモしたので、必ずしも用語が合っているかどうかはわからない。)
 私の場合、残尿感はほとんどなく、2時間以内に行きたくなることがたまにあり、途中で切れる感じはなく、我慢するのがつらいことがたまにあり、勢いが弱いと感じることはなく、いきむ必要はなく、夜中に起きることは1回で、スコアは4点だった。QOLスコアのほうは、「満足」である。
 大変良いスコアだが、家に帰って落ち着いて考えてみると、今は暑い時期で、汗かきの私は当然小便の回数は減るのである。ちょっと涼しい日は、もっと頻繁に行きたくなる。小便の勢いも、特別弱くはないが、若い人と比べれば、相応に弱いであろう。ということは、このスコアは、当人の楽天度をかなり反映したものと言えよう。それで良いのだろうかとも思うが、「病は気から」と言うから、気が病んでいないということもデータとして意味があるのかもしれない。実際、気だけでなく、私が膀胱に受けたダメージは少ないと思えるので、有り難いことである。
 排尿よりも排便に、私は気を遣っている。少量で回数が多く、面倒くさい。たまに固いことがあり、少しばかり血が滲むことがある。そんな時はいただいた座薬を寝る前に挿すと、一両日で治る。順番が来たときに、先生にそんな話をする。それから、前回は腰回りが痛くて先生に相談したが、あの痛みはあれから一月ほどで雲散霧消、今はどこも痛くなく、また小走りも平気ですと報告する。
 先生は血液検査の結果に目を通し、「いいですね、PSAが低いままで。ほかも特に心配はありませんね。また、同じ薬を出しておきましょうね。次回はまた3ヶ月後で…」
 外の待合室で、アルフォンス・ミュシャの壁画や窓の外の風景を懐かしく眺めていると、看護師さんが薬を持ってきてくれる。受付に呼ばれて、また千円でおつりをもらって、有り難く病院を後にする。
 雨は止んでもいないが強くなってもいなかったので、またタオルを肩にかけて駅へと急いだ。涼しい通院だった。

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    小雨の最寄り駅(駅は田舎だが…)
 

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関東は猛暑 [生活エッセイ]

 昨日は友人から「暑すぎるよ、どうしている?」という電話があった。
「Tシャツ着てね、用があるときは汗をかきかきやって、用のない時は寝転んで、扇風機にあたって本でも読んでいるよ。」
「よく本なんか読む気になるね。この暑さじゃそんな集中力なんか働かないよ。」
「そうさ、すぐ眠くなるよ。そうしたら昼寝さ。」などと消夏法を披露した。
 今日は38.8度になった。全国で二位とか、さすがに暑い。
 午後、人が来るのでエアコンを点けようとしたとき、室温が36度だった。徐々に下げたほうが快適だろうと思って、設定温度を32度くらいにしようと思ったら、30度が一番上だった。それで回していると、温度差があるのでどんどん効いてくる。間もなく、32度、31度と下がってきた。そうしたら、ひんやり寒くなってくしゃみが出た。併用している扇風機を慌てて止めた。そこに客人が入ってきたので「どう、涼しいだろう?」ときくと、「暑いよ」というので、また扇風機を回した。31度はやはり31度、もっと涼しいところにいた人にとっては、やはり暑い温度だったのだ。
 そうか、ちょっと暑さに適応し過ぎたかなあと少し反省した。

 熊谷の夏は暑い。適応力を過信すると命にかかわる。毎日をその辺に気をつけながら緊張感を持って暮らす。思えば、冬の寒さも厳しかった。水道管が凍るほど寒い日もあったし、60センチを越える積雪もあった。生き物だから、命にかかわることを警戒しながら日々を暮らすことは当然だし、面白くもある。

 それにしても、四国に降った雨の量は半端ではない。台風11号も控えている。水に流された人、土砂崩れに遭った人、家が浸水してしまった人などは、この範疇を越えている。気の毒でならない。

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行田市 古代蓮の里にて 2014.8.3

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病気よりも気になる最近の政治 [生活エッセイ]

 自分の病気の治療経過をお伝えすることが主な目的で続けているブログだが、安倍政権発足以来、この国の病状も気になってならない。国の中枢の病なので、中・高年の前立腺の病よりもよほど重篤なのではないだろうか。心配だ。自分の国のことなので、他人ごとではないのだ。
 もっとも私だけが「国家が脳腫瘍に罹ってしまった」とわめいているのなら、ただの気のせい、あるいは取り越し苦労の可能性も大だが、毎日曜のたびに、専門家筋も同様の危惧を抱いているという確信が募ってしまうのだから、この先どうなってしまうのか、国の病の行方が、自分の病以上に気になるのだ。
 日曜の朝は、寝坊しなければTBSの時事放談を見る。先週は片山善博氏と浜矩子氏が、今週は、野中広務氏と古賀誠氏が、公的年金の株式運用や集団的自衛権行使の閣議決定方針などについて、政府のやり方を批判していた。中でも古賀氏は、与党協議で公明党にばかりブレーキ役を頼っている現状について、自民党内のハト派は、特に宏池会は何をやっているのかと自分の派閥の後輩に檄を飛ばしていた。確か副総裁の谷垣さんも、その主要な一人だろう。閣議決定は全員一致でなされていると聞く。一人でも反対すれば振り出しに戻るはずだ。すぐにまた、その首を挿げ替えてやろうとするだろうが、そんな乱一つ起こらず、すんなりと、こんな大胆な憲法無視が行われてしまうのだろうか。まったく、自民党という党は、自らの立身出世、私利私欲しか考えない腰ぬけ政治家の集まりだったのか…という思いが、出演者の周辺に漂っていた。
 中枢の悪性腫瘍が、まずは脳全体に広がりつつあるのだ。怖い病だ。
 実際に脳腫瘍で悩んでいる人も多い中で、このような例え話は適切ではないし、不快に思われる人もいらっしゃるだろう。その点はお詫びを申し上げなければならないが、ただ、個人の罹る腫瘍と、社会にはびこる悪政とは根本的に違うところがあるのだ。前者は、医者が外部から良性か悪性か判定し、外部から様々な治療がなされるのである。場合によっては除去したり根絶したり、悪化や増殖を抑えたりすることができるのである。ところが、後者は外部からの判定や治療がなされない。内部の自浄作用、自己免疫力等に依るしかないのだ。何が健康で何が病なのか、症状を自覚して、社会が判断し、健康への道を自ら歩まなければならない。その、判断を下し歩む方向を決める中枢部分の認識能力や判定基準に狂いが生じているのだ。社会の構成員の多くから、様々な危惧や疑問や忠告が出される中、それらを無視して強引に社会の方向づけを行っている。
 くどいようだが「と、私が思っている」という程度の話ではないのだ。全国放送のテレビ局が、日曜の朝から声高に疑問を投げかけているのだ。8時からのサンデーモーニングでも、「引き返せないところまで進んでしまう」と警告(というか呻きというか)が異口同音に発せられていた。
 二つ隣のチャンネルフジテレビを見てみたら、都議会のセクハラやじ問題と、韓国の海難事故をめぐる報道をやっていた。こちらの番組は国政への不安を表明しようとするものではないようだった。
 マスメディアがこぞって警鐘を鳴らしている訳ではないのだが、鳴らしているところのほうに、報道陣としての使命感や次世代への責任感、社会人としての良心のようなものを感じてしまうのだ。そうでないメディアには、個人的な良心よりも、「みんなでこれで行くんだ」という集団主義的な大雑把さや権力への迎合主義、誤魔化しのようなものを感じてしまうのだ。
 国の在り方がこんなでいいのだろうか、というのが日々の心情だ。
 そんな鬱陶しい気分でいたところ、ワールドカップの日本人観戦者のマナーの良さが世界的に称賛されているという話題が報じられた。一方で、都議会での大変レベルの低いセクハラやじも世界に発信され、ヒンシュクを買っているとのこと。きめ細かく周囲に配慮し、平和を愛好する多くの国民と、少数だが、利己的、排他的、差別的な政治家が政界を牛耳っているという日本の二面性が、奇しくも同時に世界に報じられたわけだ。
 いくら善良な国民が多くても、国として間違った行動をとってしまっては取り返しがつかないのだから、一人ひとりが、政治に対して、しっかり関心と責任を持つようにしなければならないと思う。今の日本の政治家は、日本人の一部の代表でしかなく、決して、全体をバランスよく代表するものではないように思える。早く修正していかないと、素晴らしい日本人が、またまた、自爆テロの先駆けのような悲惨で残虐な行動をとるようなことになりかねない。

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3ヶ月ぶりのG大病院③ [病気及び治療経過]

 昨日から6月になったばかりだというのに、連日34度、35度という暑さを記録している。蝉こそ鳴いていないものの、もうすっかり真夏の気配だ。本番ほど長くは続かないだろうから、可愛い暑さと言ってもいいだろう。梅雨入りまでのひと時をエンジョイしてしまおうという気分でいるのがよいかもしれない。。
 さて段々暑くなり始めた先週の水曜日に、3ヶ月ぶり(前回同様13週ぶり)の診察に、G大病院に行ってきた。診察の予約時間は10時だったが、採血を早く済ませられれば、検査結果を踏まえて診察してもらえる。7時20分頃近所のコンビニでサンドイッチとカフェオレを買い込み、それを口に頬張りながら、そのおよそ30分後には食後の薬(前立腺の薬1錠、血圧の薬2錠、便を軟らかくする薬1錠(呑み始めるとなかなか減らせないものだなあ))も麦茶で呑み込み、一目散に病院に向かった。首尾よく9時15分前には病院の入り口付近に着いたのだが、受付機が到着を認めた時間は9時04分だった。駐車はわりとスムーズにできたのだが、駐車した場所から外来のホールまでが長かった。4~500メートルはあったと思う。もともと遠いうえに、今まで使っていた通路が、建物の新築工事のためだろう、足場シートで遮断されていた。後戻りする羽目になり、ちょっとうずく尻をさすりさすり、朝からいい運動をしてしまった。
 採血は35分待ちぐらいでできた。ここの待ち時間は受付番号の進み具合が明瞭に表示されるので、ほとんど苦にならない。トイレに行ったり、携帯メールをチェックしたり、読みかけの本を取り出したりしていると、順番が回ってくる。
 採血箇所の止血用ガーゼを抑えながら泌尿器科外来に行くと、なんと間もなくお呼びがかかった。S先生のお声だ。
「どうですか、調子は?」
「はい、それが、この春は腰の周りがどうも痛くて…」入室してまだ腰を下す前に説明を始めた。
「この辺りが。最初は骨盤かなと思ったのですが、関節というよりも、なんか筋肉痛のような感じもして、今はお尻の肉が…」
「それはあり得るねー。骨が減ってくるんですよね。骨密度を測りましょう。レントゲンですよ。受けていってください。」
「はい。他は、お陰様で特に悪いところはありません。」
「それは結構ですね。運動をしっかりするように心掛けたほうがいいですよ。では次は8月の…」
 この春は、2月の大雪(バカ雪?)があったり、孫の子守があったりして、過労気味だと思っていたものだから、「運動をしっかりするように」と言われると、「いいんすか、もっと運動したほうが…」と意外に思ったが、これは口には出さず、ただなんとなく元気が出て、先生の前を退いた。
 レントゲンの案内を待つ間に、過去の血液検査の結果表をいただきたい旨を受付に申し出た。当初、検査結果は渡されるものと思っていたので催促しなかったのだ。一昨年の5月6月辺りの検査数値が不明なのだ。昔の悪かった時の数値など今となってはそれほど関心はないが、病の経過の一例としては空白は少ないほうがいいだろう。お忙しい中を受付嬢が結果表を出してくれた。
 それによると、2012年4月の発覚当初のPSA値が38.51だったのが、5/7 36.32、6/12 37.22、6/27 13.40、7/25 2.75、8/22 0.96と急速に下がっている。確か、5月末にカソデックスの服用を始め、6/27からリュープリンの注射を始めたように記憶する。薬効あらたかの見本のような数値の減少である。しかしこれが根治を表す数値ではないので、長期戦を覚悟して(というか、そうなることを喜びとして?)、医師の指導に従っていきたい。
 骨密度の測定は簡単であった。台の上に仰向けに寝て、腰全体と、左側骨盤のレントゲン写真を撮っただけだった。結果は、例によって次回の診察時とのこと。長期戦だから、急ぐ必要は多分ないのだろう。
 最後はいつものように化学療法室でリュープリン3か月分をうってもらい、今日の血液検査の結果を待ってプリントアウトしてもらい、精算機で支払いを済ませ、11時頃診察完了となった。
 血液検査の結果は、PSAは相変わらず0.01未満だったが、血糖値が120と高くなっていた。食べながら来たから、食後の血糖値になってしまったようだ。次回は、家でちゃんと食べてから出るか、サンドイッチを1個にするかしないとだめだなあというのが反省点だ。
 駐車場に向かう前に、星野富弘さんの展示コーナーに寄った。展示物は同じだったが、味わいが深いから飽きるということはない。どの作品にも生きていることの感動と感謝が溢れていて、「略画」の天才だなあと、またまた思ったのだった。

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3ヶ月ぶりのH病院③ [病気及び治療経過]

 また一週間以上もたってしまったが、先々週の金曜日に、定期診療でH病院に行ってきた。昨年の2~3月に放射線治療をしていただいた病院で、その副作用についてケアしてくれている。
 予定の電車に珍しく乗り遅れて、予約時間の10時に10分ほど遅れてしまった。道中の新しいことと言えば、一箇所JRの踏切を渡るのだが、それがちょうど下り始めたところだったので、待っているより歩いたほうが幾らかでも早く着くだろうと、線路沿いの道を歩いてみた。すると次の踏切が意外と遠く、渡ると病院の駐車場がすぐそこに見えた。問題は駐車場にどこから入れるかだ。畑の畦道のような所に来た。菜の花が咲いている。ちょっと心配になって、庭いじりをしている婦人に尋ねた。「この道から病院に行けますか?」
「ええ、大丈夫ですよ、行けますよ。」
 病院棟の隣のクリニック棟の脇を通って、腫瘍センターの入り口に難なく到達した。こちらの道のほうが近いかも知れない。それに、大型犬の吠え声を聞かなくても済む。界隈のことは知り尽くしているつもりだったが、まだまだそんなことはなかった。未熟だった。 例の待合室はすいていて、先客は一人だった。そこで、また例の小水についてのスコア票を記入した。前回は、昼間の小水が近いことがあって7点だった。今回は、その点はあまり気にならなくなったが、催してから忙しいところが相変わらずなので、5点となった。(点は少ないほうが良い)
 待つこと5分ぐらいだろうか、気にもならないうちにお呼びがかかった。広い廊下を曲がって曲がって、診察室に向かう。4月から担当となったT先生と初めてのご対面。
「どうですか、お変わりありませんか?便のほうはいかがですか?出血はありませんか?」
「はい、頂いた薬を毎日呑んでいるせいか、挿し薬を使うこともなく、排便のトラブルはほとんどありません。これは2月末のG大病院での血液検査の結果です。」
「ああ、いいですねー、活動が抑えられてますねー。」
「1月末の骨シンチの結果も異常無しとのことでした。でも、どうも、腰から腿、お尻周りが痛いんですよね。それも右側が痛いなあ、段々直ってきたかなあと思っていると、今度は左側が痛くなってきたりして。骨というより筋肉痛、肉離れみたいな痛さなんですが、病気と関係ありますかね?それとも単なる年のせいでしょうか?」
「その辺りが痛いんですか、坐骨神経痛ですかねー。気になるようでしたら、一度整形外科の先生に診てもらうといいですよ。」
 坐骨神経痛!そういう病気もあったなあ(Webで調べてみると、病名ではなく、症状を指す言葉とのこと)、骨盤への転移がつい気になるが、坐骨神経痛のほうが診る角度が合っているかもしれない…と先生の示唆に納得。
 結局前と同じようにマグミットを90日分処方してもらって、この日の診療は終了。看護師さんに、先生が変わっても、若い優しい先生が来てくれていいですねーと言うと、
「今度の先生のほうが、2つ3つ上みたいですよ。」
「そうなんですか、O先生は髭を蓄えていたから、上に見えたのかな。」などと余分な会話をして、また薬代を含めて千円未満の診療費をお支払いし、お礼を申し上げて病院を後にした。
 帰り道は、勿論、今朝見つけた細い裏道だ。
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花咲く頃の桐生の思い出-G大桜祭りと山本輝通先生 [生活エッセイ]

 昨年の放射線治療入院中に取り上げさせていただいた(第7話)『一隅の管見』の山本輝通先生を、桐生のご自宅に訪ねる機会を得た。4月の第2日曜日のことだ。仲を取り持ってくれたのは例によって友人のI元教授。同じ桐生に住んでいる。I氏は47年もG大一筋。理工学部地球化学専攻で、石灰石が海中で変容したドロマイトなどが研究対象。メタンハイドレード探査や原発事故後は放射性セシウムの調査・分析でも活躍。以上は『桐生タイムス』の記事で知ったことで、2~3年前に旧交が復活した高校時代の同級生には新鮮な情報だ。本年3月に退官し現在は非常勤講師。ようやく少し暇ができたとのこと。これはナマ情報だ。
 そのI氏が山本先生訪問を、大学キャンパスを開放する桜祭りの日に合わせて設定してくれた。
 情報の古いカーナビで桐生市役所まで行くと、迎えに来てくれて、まずは自宅まで先導してくれた。桐生川という川を渡り岡を登っていくと一番上のほうにI君(と呼べと言うから言われるままに)の洋館風の素敵な家があった。そこでお茶をご馳走になり、今度は彼の車に同乗して再び市内に下りて行き、街中の駐車場に車を置く。そこから、タクシーにしようかどうしようかと二人で迷いつつ、ぶらぶら20分ほど歩くと、やがて正面に鳥居が見えてきた。天満宮とかで、「周辺に雀荘があって、よく通ったものだ」とのこと。そんな話は他の友人からも聞いたことがある。そのすぐ隣が大学とのこと。
 通りを渡って構内に入ると早速テントが立ち並び、人がたくさん集まっている。勧められるままにお団子を1本もらい、改めて辺りを見回すと、池の周りに枝垂れ桜が幾本も植えられ、満開の桜が時折の風に花びらを散らしながら、ゆらゆら、いい感じで垂れ下がっている。京都の円山公園の一角を思わせる風情だ。三十数年前に、卒業生の花王の(当時の)社長が円山公園と同じ種類の桜を植樹したとのことで、なるほどと合点が行った。キャンパスを開放して周辺の人に観てもらう価値が十分あるものだ。
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 団子を食べ終わって、すぐ脇の講堂に急いで入ろうとしたところ、中から人がたくさん出てきた。「ああっ、終わっちゃったか」とI君。奥さんの参加したコーラスを聴くことになっていたらしい。天気が好いのでなんとなく歩いてきてしまったことが原因のようだ。聴きそびれたことがどれほど惜しいことなのか、またどんな災難が待ち受けているのか、まったく見当がつかない私は、ちょっとどぎまぎしていたが、お嬢さんに会い、やがて奥さんにも会って、I君一家の円満な雰囲気を確認すると、また辺りを見回す好奇心が湧いてきた。
 その講堂は、黒光りを放つ木製の舞台、床、客席と、桜色に塗られた壁とのコントラストが妙にすっきり、素敵な雰囲気を醸し出していた。「この建物はなかなかいいので保存しようということになってね、新校舎建設のときに4~50メートル移動してここに持ってきたんだ。テレビや映画の撮影にもよく使われる。今の連続テレビ小説もここで一部撮影したらしい。この間、その画面を見たよ。あれっと思ってね。」すると確かに「撮影に使われました」という立て札が立っている。その場面の写真も貼ってある。見比べると、「はあはあ、なるほど、ここで撮ったのか」にわか造りのセットにはない重厚感が出ている。
 それから和気藹々の一家と食事を共にさせていただき、2時を目安に、山本先生を訪ねた。先生、元気に出迎えてくれた。初対面ではあったが、写真でお顔を拝見しているので、違和感はまったくない。現物というのは、写真よりも新しいので(当たり前だが)たいてい齢をとっているものだが、活き活きとしていて、白黒写真で見るよりもむしろ若かった。御齢83歳とは、とても思えない。
 『一隅の管見』以降も執筆を続けられ、毎週月曜日に欠かさず『桐生タイムス』のコラムを飾っている。話題が豊富でまた饒舌なので、あっという間に「そろそろお暇しなければ…」という時間になってしまった。
 永平寺の内部行事の話や、「昇天」の他に「召天」も広辞苑に取り上げさせた話など、貴重なお話をいくつも伺ったが、ここでは、先生のその後の作品を2つほどご紹介しよう。
 一つは2月17日のもので「『井の中』の私の解釈」と題されている。要旨は
「『井の中の蛙大海を知らず』ほとんどの人は井を井戸と思っている。私は昔から井戸に蛙がいるのかどうか疑問に思っていた。あるときひらめいた。井は井戸ではなく川辺の洗い場ではないか、広辞苑の井の説明には『泉または流水から用水を汲み取る所』とある。このことわざの出典は荘子だ。私の解釈では、読書に疲れた荘子は、気分転換と散歩のため川辺に行った。川面を見ると、かじかがえるが、井から川の中流へ行ったり来たりしているが、あの蛙は広い海は知らないだろう。同様に、政治が悪い、税金が高いと批判している民も、難しい外交は理解していないのではないか。」
 井は井戸の井ではなく、井戸端の井か、なるほどなあ、井戸端会議で満足していたら本当のことはわからないぞということか!妙に納得してしまった。もっとも今の政治は、為政者のほうが井戸の中の蛙で、多数の賢者の忠告を無視して突っ走っているように見える。取り返しのつかぬことにならないうちに、早く大海を知ってもらいたいものである。
 また3月31日にはこんな記事を書かれている。
「春夏秋冬の四季を色で表現すれば、それぞれ何色を配するかは、各人各様だろう。古代中国の五行説では、青・朱・白・黒を配し、青春・朱夏・白秋・黒冬としている。」で始まる。筆者は「青春」しか知らなかった。そういえば、青年、青二才、あいつはまだ青いなどのように、若いことを、未熟なことをなぜ「青い」というのか、よく考えたこともなかった。今思うに、果物が熟れる前の緑色から「まだ青い=未熟だ」が来ているのかも知れない。それにしても、朱夏・白秋・黒冬のことはちっとも知らなかった。
 こんなふうに、何かと考えさせるエッセイを、先生は書き続けていらっしゃる。『桐生タイムス』で、知識の種蒔きをやっていらっしゃるのかもしれない。
 帰り際に先生からお聞きしたのだが、桐生市医師会のホームページに同紙掲載の記事が載っているとのこと。(興味のある方は、同ホームページ内のサイト内検索で「桐生タイムスより」を試していただくと先生の記事に出会えるかもしれない。先生の種蒔きは、風で何処まで飛んでいっても差し支えないと思うが、掲載している新聞社は風で飛ぶのを嫌がるかも知れない。しかし、先生の記事で知名度を増すことは必ずプラスになるはずだから、ここは寛大にお取り計らい願いたい。念のため。)
 お邪魔した記念に、ピアノの上の分厚い辞書群を背にした先生のお姿を携帯カメラに収めさせてもらって、大急ぎで帰路に着いたのだった。I君一家には大変お世話になり、心から感謝している。燦Q
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花待つ頃の備忘録 ③ Y新聞のキャンペーンに [生活エッセイ]

 3月9日の日曜日だったと思う。玄関のチャイムが鳴った。例によって宅配便かと思って判子を持って急いで出たらそうではなかった。中年男性が二人、一人はビニール袋に入った新聞を手に持って、もう一人はスーツ姿で立っていた。
「Y新聞ですが、昨日無料紙を郵便受けに入れさせていただいたのですが、今年Y新聞は創刊140周年で記念キャンペーンをやっているんですよ。それで、あと一週間無料で新聞をお届けできるので、ご覧いただけたらと思ってお邪魔したのですが、いかがでしょう?」
「いやあ、家はみんな忙しくて、新聞をとっても読まないままチリ紙交換に出してしまうことが多いんですよ。それでとらないことにしているんですよ。折角ですけど…。」
「いえ、とるとらないはいいんですよ。とっていただかなくても構わないので、無料の間だけ、最近のY新聞がどんなものか見ていただければ結構なんですよ。いかがでしょうか?」
〈無料で置いていって、その後とらなくてもよいというのでは、なかなか断りようがないなあ、体よく断ろうかと思ったんだけど…じゃあ仕方ないか、言ってしまうか…〉
「今、政治が少しおかしな方向に行っているじゃないですか。特定秘密保護法を作ったり、憲法改正なんかしなくても集団的自衛権は行使できるとして閣議で決めてしまおうとしたり…。この間、土曜の朝のテレビ番組でそのことを採り上げていたので見ていたら、シンボウさんとかハシモトゴロウさんとか、それからたぶん経済界の人だと思うけどゲストの人とかも、盛んに、『米軍と一緒に行動していて、米軍が攻撃を受けたときに何もしてやれないなんていう状況は早く改善しなければならない』って、当然のことのように言っているんですよ。そういう説に異論を唱える人は出ていない。あれっ、これは集団的自衛権行使のキャンペーン番組じゃないかなって、思っちゃいましたよ。そういう状況だけを想定して、それで『これでは対等の同盟関係ではないから、早く、対等に支援し合える(軍事行動が取れる)関係になるべきだ』そういう次元の問題にしてしまっていいんですかね。日本は戦争に懲りて、戦争はしないって宣言している国なんですよ。アメリカとは根本的に違うんですよ、お国柄が。どうも、NテレとY新聞さんは(それからS新聞も)政府の方針に乗り過ぎて、世論を危険な方向に煽っているような気がして仕方ないんですよ。」
「はあ、はあ。でも、読んでいただいて、そういった意見を聞かせていただければ、それはそれでありがたいんですから…」
「まあ、そういう訳なんで、今の報道姿勢では、とる気も見る気も湧かないんで、申し訳ないけど、家は結構ですから。なんと言ってもY新聞さんは影響力が一番大きいのだから、日本をミスリードしないよう、いい方向に導いてくれるよう、よろしくお願いしますよ。」
 訪問宅で、逆に変なお願いをされ、でもあの人たちも、幾分そんな後ろめたい気持ちもあったのだろう、何を言い返すでもなく、
「わかりました。こんなご意見をいただいたということで、社に帰ったら報告させていただきます。」
「私も、ジャイアンツファンですから、応援していますから…」
「そうですか、ありがとうございます。」
 と、まあ、円満にお断りすることができたのだった。


 


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花待つ頃の備忘録 ② 我が民族の美質 [読書感想]

 いつもお世話になっている歯医者さんにCという月刊誌が置いてある。私はよくこれを手にする。何かしら新鮮な情報に出合え、いろんな意味で勉強になるからだ。先日も4月号の[巻頭の言葉]にびっくりし、大急ぎで頭にしまおうと思ったのだが、とても入りきれず、ちょっとお借りしてきてしまった。
 びっくりした一節は、その冒頭である。(【 】内はC誌からの引用だが、固有名詞の一部はイニシャルに替えさせていただいた)
【中国、韓国は我われの近くに生きる民族なのに、国際的常識では理解できない動きを次々と繰り返す。我が国は安倍内閣が誕生し、近代国家の為すべきことを次々と手を打ち、経済の明るさも見えてきた。】とある。執筆者はA社の名誉顧問のNという方だ。
 自分や自分の国の行動が正当で、それとぶつかる主張は常識では理解できない動きだとは、ちらと思うことはあっても、なかなか大上段に構えて振り下ろせるものではない。国際問題はそれぞれの国にそれなりの立場があり、そのせめぎ合いをどう裁くか、そこが難しいし上手く解決したいところでもある。それを、事例も示さずあっさりああ言ってしまう。「中・韓は国際的非常識。一方我が国は安倍総理が為すべきことを着々とやっている」この説は、もはや、この人たちの間では常識なのであろう。びっくりした。この次の段落は
【二〇二〇年のオリンピック・パラリンピックも東京に決まり、極めて明るいニュースである。】と続く。そして次の段落は、
【この極東の国ニッポンで東京、札幌冬季、長野冬季と、なんと四回目のオリンピックが開催されることは、国民の誇りであり、国力と言っていいし、民度力と呼んでもいい。それらが勝れているからこそ誘致し得たのだ。】とこれを誇らしく称える。まあそうかも知れないが、もう少し奥ゆかしく構えていてもいいのではないか、とも思う。
 さて、この方はこの先、何が言いたいのか、この人の考え方、人となりに大いに興味を感じたのだった。
 まず、この巻頭言のタイトルは「我が民族が紡ぎ続けてきた美質」だ。続きを読むと、次の段落は
【その時、『**(C誌)』の読者が十万人に達した。M先生の「日本が変わる」地点に到達したのである。しかし、数だけ揃ったら幸せが来るほど、世間は甘くない。我われは動かなければならない。つまり波動を立てねばならない。】この方は信念があり、世に働きかけて世を変えようとされている。次の段落は
【思えば昭和十六年、我が国は英米大国と戦を起こした。大東亜戦争である。そして敗れた。戦争の勝敗の論理は古今東西、常に勝者が正義となり、敗者が悪に回される。占領軍は「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(日本の戦争罪悪史)を日本中、山の奥まで説き回った。】歴史問題に触れ、負けて悪にされたと括っている。負けた上に悪にされたというのだから、余程悔しい思いをしたに違いない。また今もしているのだろう。さらに、
【日本民族が長い時をかけて磨いてきた美質の多くは《この時》音を立てて崩れていった。その占領軍もサンフランシスコ条約を結んで昭和二十八年引き揚げていった。だが時務学を専らにし、大金を摑んだ日本人の多くは眼を覚まし得なかった。M先生は人間学を注入した読者が十万人になるということは、迷える子羊のアンチテーゼ(反対存在)として頼もしく見えたに違いない。】と続く。「時務」とは「そのときに必要な務め。当世の急務。その時の政務。」と広辞苑にはある。負けて一変した国の在り方に適応していった同朋がそう見えたのであろう。負ける以前の日本に戻そうとする気風がなかったことを憂え、「読者十万人」に託したのだろう。続く段落では迷える子羊の例を挙げる。
【迷える子羊たちは、我が子が学校給食を受ける時、給食は当然の権利であり、したがって神仏への感謝になど繋がるはずはなく、「いただきます」と言う必要がないとか、払うべき給食費も払わないという。】と戦後の権利意識が源と思しき悪い面を指摘する。一方、
【筆者の家は大家族であったがすべて箱膳であり、父のお膳は「戸主膳」と呼び、一回り大きく、料理が一皿多かった。父の発声で「いただきます」と食事は始まった。ごはん粒一粒たりとも残すと「神様が眼を潰す」とおばあさんが孫にもっともらしく説いていた。田舎の一軒一軒でも、修身斉家治国平天下という教育のテーゼにかなうよう、生き抜いていた。】と(執筆者が思う)古き佳き時代を懐古する。
 そう、戦前の日本は家父長制で、父親を主(あるじ)とする家単位で国家・社会を形成していた。このため、人が育つ家庭と社会には、今より安定感があったと言えるだろう。しかし、女性に参政権はなく、男女平等とか、個人の自由とかの理念は後回しにされていた。
[巻頭の言葉]は続く。
【「和食」が世界遺産に指定され、我が国も観光立国を強調しているので、古来、食べることにもっとも粛然と対してきた寺の食事のあり方を紹介しよう。『**(C誌)』にも登場された臨済宗の大本山E寺の館長・Y老師に教えを乞い、お伝えする。】として五観の偈(ごかんのげ)が紹介される。
【 五観の偈
一には功の多少を計り彼の来処を量る
二には己が徳行の全闕を忖って供に応ず
・・・・・・】と五まで掲げ、その解釈がこれに続く。
【Y館長解釈
一、この食事がどうしてできたか、どのような手間がかかっているか、どうしてここに運ばれてきたかを考え、感謝いたします
二、自分の行いがこの食をいただくに価するものであるかどうか反省していただきます
三、心を正しく保ち、貪りなどの誤った行いを避けるためにいただくことを誓います
四、この食事は良薬であり、身体を養い健康を保つためにいただきます
五、私は自らの道を成し遂げるためにこの食をいただきます
 -いただきます- 】そして「偈の後食」についても同館長の解釈を記している。
【どうかこの功徳をひろく一切の生きとし生ける者皆の為にふり向けて、私たちと人々ともろともに仏道を成就することができますように。ごちそうさまでした。】
 この後「**法人会」の食事の折の挨拶が紹介され、次の文で巻頭の言葉は終わる。
【我が民族が磨き続けてきて、戦後失いかけているこのような民族の美質を復元することこそが我われに課された重大な役割なのです。】
 正確を期すため引用が長くなった点をお許し願いたい。以上が私が興味深く読んだ月刊誌の記事である。後半はごもっともと思えることが多かったが、前半は肯定しがたい記述が多かった。いわゆる大東亜戦争の評価が大分違うのだ。執筆者はおそらく青年期に大戦と敗戦を体験しているのだろう。「苦しい戦争だが列強の世界支配に抗する止むを得ない、国を挙げての戦いだ。なんとしても負ける訳には行かない。我が身を犠牲にしてでも、この戦に勝たなければ…」と、素直に燃えながら戦時を過ごしたのだろう。それが全面降伏という形で終戦を迎えてみると、価値観が一変してしまう。「あの時の正義は、あの時の情熱は、あの時の苦労は何だったのか?何の評価も与えられていないではないか。一時の幻のために、大勢が命を賭して戦っていたというのか…」一途に燃えていた人ほど、価値観の変わり様が受け入れられなかったに違いない。「敗戦による価値観の変化のほうが、一時の誤りで幻だ。残りの人生を賭けてでも、変化の化けの皮をはいでやる」と思う人がいても不思議はない。純粋な人ほど、そう思うだろう。また、気骨のある人ほど、その思いを遂げようとするだろう。
 一方、国の浮沈よりも自分達の生きることのほうが大事な多くの人たちは、戦地で非情な戦いに従事させられたり、居住地が爆撃されたりする極めてリスクの高い政情よりも、少々価値観が変わって戸惑うことはあっても、安全安心な生活ができる政情のほうを好んで受け入れたのである。「何であんな戦争をしてしまったのか…どこから軍国主義に突っ走っていったのか…」と「あの頃が異常だった」と括ることになる。
 戦争を知らない世代はどうかと言えば、戦前の人たちと同様、自分たちの生まれた社会を当然のものと受け取るのである。平和で男女平等を指向し、個人の自由が尊重されるのは当たり前のことなのである。だが、それが当たり前でも、それが理想社会の訳ではない。そこにはそこの欠点があり、矛盾があり、危うさがあり、不満もある。今の社会の良いところは何処で、改革を要するところは何処なのか…誰もが感じ考えることである。そんなとき、育つ環境から受ける影響が大きいのは当然のことである。親たちがどう受け止めているか、学校の先生たちがどう解説しているか、それに大きく左右される。周囲の環境次第で、戦前、戦中の価値観を見直す必要があると考える人や世代が登場してもそれほど不思議ではないだろう。
 しかし、私自身の思いがどうかと言えば、人間は、個人でも社会でも懲りる必要があると思っている。あの間違いはもう二度とするまいと懲りることが大事で、そうしないと、同じ間違いを繰り返してしまい進歩することがない。数々の理不尽な不幸を産んだあの戦争はそれに値するものと私は思っている。仮に、始めたことには理があったとしても、負け方が悪かった。国民をすべて駒のように考えて、あんな状況に至るまで戦を続けた国の政治体制にどんな理があるというのか。ああいう状況に至らないように、日本人は重々気をつけて政治体制を見張っていかなければならないと強く思う。
 懲りるという点では、原発事故もそれに値しよう。地震津波の大災害に加えて、さらに始末の悪い禍が同時に起こってしまったのである。偶発的な事故だから、それに備えれば他は大丈夫だという問題ではない。そもそもが、メルトダウンなどは起こり得ないという安全神話を作って、国の保安院も安心しきっていて起こった事故である。管理・監督者のそうした姿勢に問題があるのだから、もう、懲りて止めたほうがよい。日本には、その科学技術はあったとしても、管理運営していく責任能力が乏しいことが発覚したのである。再び起これば、いよいよ多くの民が安心してこの国に住めなくなってしまう。美しい国は絶対に美しく保たなければなるまい。

 さて、思いのほか自分の主張に力が入ってしまったが、後半は大変善いことが書かれていた。物を食して命を繋ぐとき、他人の労力等を思い、自分の身を反省し…など、五観の偈の解釈は、まったく人として心すべきことと思える。しかも、これが我が民族が紡いできた美質だというのだから、これは大変嬉しい指摘であり、これを復元しようという志にはまったく異論がない。私もこの教えに倣って、常日頃心掛けなければならないと思う。
 有り難いご指導をいただいた点、また記事に触れ、勝手ながら引用させていただくことにより、これに対する私見を述べる機会を得たことについて、雑誌社とN氏に心より感謝申し上げる次第だ。


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花待つ頃の備忘録 ① グランドピアニスト君 [生活エッセイ]

 今日は3月の中頃だから、2ヶ月ほど前の話になる。娘が家で子育てに勤しんでいたときのこと。こんな素晴らしいおもちゃが世の中にあるのかと感心したものがある。グランドピアニストという名がついていた。3~40cmほどの卓上ピアノで、自動演奏してくれる。普通の卓上ピアノは鍵盤の数が少なく、子供の手で弾ける程度の大きさになっているが、これは、本物の縮小版(6分の1とのこと)で鍵盤の数は減らされていない。その分鍵盤の幅が狭くなり、わずか4ミリ程度だ。演奏もできると説明書きにはあるが、爪楊枝でも使わない限りそれは無理だ。
 演奏できない代わりに、名曲を100曲も内蔵していて、勝手に奏でてくれる。それが、まるで透明の妖精がそこにいて、忙しく手を動かして弾いてくれているかのように鍵盤が正確に(たぶん)動く。それを見ながら聴くせいか、音も繊細で歯切れよく、生演奏を聴いているような気分になる。鍵盤が機械仕掛けで動く音が、シャカシャカ・クシャクシャとやかましい点は、このおもちゃの欠点と感じる人も少なからずいるだろう。
 孫守りの爺はこのグランドピアニストの演奏がすっかり気に入っていて、赤ん坊を頼まれて寝かしつけるときによくかける。歯切れのよいピアノの音とシャカシャカ音では、赤ん坊がうるさがって寝ないのではないかと思いきや、これがそうでもない。まず、どんな曲が演奏され、赤子が聴かされているかというと、「トロイメライ」「月光の曲」「チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番」「ショパンの雨だれ」「モーツアルトの交響曲第40番」「アイネクライネナハトムジーク」という具合に私でも知っているようなポピュラーな曲が続く。赤子はこの辺りの小気味のよいリズムが聞こえてくる頃は、もうたいていは眠っている。もっとも、音楽の効果なのか、抱っこの揺れが眠りを誘っているのか、グズっても埒が明かないと諦めているうちに寝入ってしまうのか、真相はわからない。
 さて抱いている爺は、もう少し抱きながら聴いている。急いで降ろすと目が覚めてしまって、最初からやり直す破目になりかねない。曲のほうは「サンサーンスの白鳥」「ハンガリー舞曲」、銀盤で真央ちゃんが踊った「愛の夢」「モーツアルトのピアノソナタ第15番」、そして「美しく青きドナウ」「モルダウ」と名曲が続く。この辺りでさすがに腕が疲れてきて、赤子をベッドに降ろす。少々雑な置き方をしても、もう大丈夫だ。
 爺の役目はこれで終了だが、まだグランドピアニストから離れない。まだまだいい曲が流れてくる。「華麗なる大円舞曲」「ショパンのノクターン第2番」「ペールギュントから朝」、そして「乙女の祈り」とくる。この辺りが感動のピークで「ヴィバルディーの四季から春」「エリーゼのために」「軽騎兵序曲」と余韻をつなぎ、そろそろ立ち去る準備をし始める。眠ったからと言って音楽を消してしまうと、その変化で目が醒めてしまいかねないからボリュームをゆっくり絞っていく。シャカシャカ音は、ほとんど下がらないのだが、考えようによってはほどよいリズム音で、他の物音をカムフラージュするのに都合が好いような気もする。そう思って、演奏し終わって自動的に切れるまで点けておく。ただ、このピアニスト君の最大の欠点は、演奏が終わって電源が切れる直前に、チャン、チョン、チャン、チロリンと「これで演奏終わりです」という和音を発するところだ。演奏が終わって完全に静かになった後、この合図の和音が響く。これは寝ている子を故意に起こそうとする悪魔的仕掛けだ。私が寝かしつけた後「この音ですぐ起きちゃったよ」と何回かクレームをつけられている。そこで、グランドピアニスト君の上にタオルやら毛布やらを被せて、この音を和らげる作業をしておかなければならない。
 さて私のクラシック観賞歴だが、クラシックに限らず、ステレオ装置にレコードやCDをかけて聴くようなことは、もう何十年もせずに過ごしてきた。ウォークマンのような個人的に聴く道具も持たずじまいだった。だから、ここに知った風に曲名をずらずら記したが、聴いてすぐに曲名が言えるものは少ししかない。読者の方がご存知かと思って、取説のリストから書き写したものである。そのくらいの観賞歴だから、このグランドピアニスト君の音楽的価値も、実は当てにはならない。この点は、友人に生身のピアニスト君がいるので、近いうちに鑑定してもらおうと思っている。
 そんな訳で、こんな名曲の数々を生演奏(偽物にしても)でたっぷり聴けるなんてことは、孫守りでも仰せつからなければ体験しなかったことであるが、そんな望外の喜びを噛みしめながらふと思ったことがある。
 西洋の音楽は素晴らしい。音階を定め楽譜を考案し、リズムに乗せてメロディーを歌い、多様な楽器を用意して和音を響かせる。その方式もさることながら、奏でる曲の質の高さと量の多さには、諸民族を圧倒するものがある。日本も、明治以降西洋文明に触れ、それに習い、それを摂り入れてきた訳だが、西洋文明の優位性を悟った幾つかの理由の一つに、洋楽という素晴らしい文化があったものと、今さらながら思うのだ。文明が広がっていった直接的な要因は、科学技術や経済の先進性だろうが、その背景に、深みのある文化を擁していた。自由や平等、民主主義なる理念も、西洋文明が育んできた魅力的な文化遺産のように思える。
 だが、今の西洋文明の盟主たるアメリカはどうなのだろう?かつてのような諸民族を納得させる魅力的な文化を持ち合わせ、それに磨きをかけている、そういう背景が果たしてあるのだろうか?良く言えば経済合理主義だが、悪く言えば物欲・支配欲だけが突出してはいないか?ふとそんなことを思ったのだった。アメリカ映画に見られる活力や大胆さは認めるが、クラシック音楽に秘められた優しさ・繊細さは、もはや望むべくもないのだろうか?
 となると、この文明の行く末が気になってしまうのだ。

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