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カッコソウ後日談

 5月3日の鳴神山登山の後日談である。

 案内してくれた高校時代の同級生の I 氏から、その後メールが届いた。

「15日、カッコソウ見学行ってきました。
天候にも恵まれ、カッコソウをはじめいろいろな花を見ることができました。・・・
幸いなことに写真のようにまだカッコソウは咲いていました。
3日に比べると花の勢いは失われた感がありましたが、移植地一面にカッコソウの花を見ることができました。・・・」と写真を添えてくれた。

 その写真を見て、わたしは返信に
「カッコソウ、咲いていてよかったですね。・・・
写真もありがとうございました。もっとピンク、赤っぽい印象が残っているのですが、
写真はみな青みがかって紫色ですよね。あれが本当の色なのでしょうね。
現物を見た時の自分の眼が、血迷っていたのでは、と反省しています」と書いた。

 すると次のメールが届いた。
「カッコソウの色の表現は大変難しいようです。
写真では本来の色がなかなか出せないと言っていました。微妙な色合いですね。
ピンクがかっているのはその通りではないでしょうか。
紫色ではないですよ。目のせいではないです。
『午後のカッコソウ、鳴神山にて、2015年5月 - 花と低山を目指して』
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=3&cad=rja&uact=8&ved=0CCoQFjAC&url=http%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fkotsunagi567%2Fe%2F5b4c2dc47506a51e9ea422be8fbe3ecd&ei=zWJcVa-qN8r68QXon4GgAw&usg=AFQjCNGy1WeBjJPT5RWmdNPl3d06p6D4Hw をネットで開いてください。5月3日、我々が山を下りた後、私の知り合い(先日の15日の時、我々の案内役を務めてくれた人)が移植地で撮った写真です。
なかなか元の色が出せないと言っていました。」

 言われた通りに『午後のカッコソウ、鳴神山にて、2015年5月 - 花と低山を目指して』を開いてみると、これが素晴らしい。みなさんもぜひ見てみてください。
 わたしは次のお返事を差し上げた。
「良いブログを紹介していただきありがとうございます。
あれだけしっかり映してあると納得しますよね。
あの色だったのですよね。少し青みがかった淡いピンクで美しい。
でも、それにしても、印象としては、もっと濃いピンクだったような気がしています。
自分としては、〈山の小高いところに生き残って可憐に咲いている貴重なサクラソウの一種〉という頭で見てしまって、実際の色より濃いピンクに見えてしまったものと思っています。
おそらく他の人の頭の中も同じようなものではないでしょうか。
そうなると、ますます神秘的な花ではないですか?
もう一度見に行かないと、本当の色がわからない、二度行ってもまだまだわからないかもしれない…。
こんな色談義をネットで公表したら、来年は行列で、「はーい、見た人は後ろへ下がってー」とか言われて、せっかく登ってもあまりよく見られなくて、短時間の印象だけで、ますます色の記憶が怪しく(妖しく)なってきちゃうんじゃないでしょうか。
面白い花ですね。 」

 このブログは、万一アクセスが多い場合には閉鎖しますね (^_-)-☆




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定期診療(G大病院&H病院) ⑦ [病気及び治療経過]

 3ヶ月に一度の診療が先週の金曜日にあった。例によって落ち着いてパソコンに向かっていられる時間がなくて、ちょうど一週間過ぎてしまった。

 前回に続いて両病院の診療が同じ日となった。というか、H病院が同じ日にしてくれている。

 今回はさらに一週間さかのぼる5月1日に、1年3ヶ月ぶりの骨シンチとCT検査が組まれていた。それは9時に骨シンチ用の造影剤を注射し、13時半に20分かけて骨の撮影。それから14時20分に〈体がカッカする造影剤を注射してすぐに撮影が終了するCT検査〉というものだった。すでに3回ぐらい受けたような気がする。だから慣れたものだ。
 9時の注射から昼飯抜きの4時間が退屈で、医学部の図書館まで見に行ったりしたものだが、今回は、片付け・整理を要する古い教材や書類を二抱え積んで行ったので、時間をもてあますことはなかった。

 車の中での片付け仕事に飽きると、星野富弘作品の展示室に足を運んだ。展示品が換わるということはなく、毎回同じ作品だが、どれも心打つものなので、それぞれの作品の前で自ずと足が止まる。なかでも、一番ハッとするのが「新しい命一式ありがとうございます」という作品だ。続きはこうだ。
「大切に使わせて頂いておりますが
 大切なあまり仕舞いこんでしまうこともあり
 申し訳なく思っております … 」
 この作品が好きで、実は『3ヶ月ぶりのG大病院②(2014.2.28)でもこの作品を、ここまではご紹介していた。今日は思い切って、この続きを終わりまでご紹介してしまおうと思う。
「いつもあなたが見ていて下さるのですし
 使いこめば良い味も出て来ることでしょうから
 安心して思い切り
 使って行きたく思っております」
 どうです、なかなか生きがいいでしょう? これを肢体がご不自由な富弘さんが書かれている。「使いこめば良い味も出てくることでしょうから」なんて、表現も面白い。
 いただいた命だから、大事にしなければいけないし、大事にしまっておいたのでもいけない。大事に使いこまなければいけない。実に人生の粋を極めていませんか?

 さてさて、そんな一週間前の結果も出てくる定期診療だ。7時に予定通りに家を出たものの、外来受付が8時53分、2階の採血採尿の受付機が行列で待たされ、9時5分受付。採尿は待たずにすぐしたが、採血は26分待ちとある。そんなものかと喜んでいたが、一向に番号が迫ってこない。結局50分ほども待たされて、ようやく終了。3Fの泌尿器科外来へ。
 道路も病院も、連休明けの混雑だったようだ。

 幸い泌尿器科では20分とは待たされなかったような気がする。持参した『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』という本をろくに読まないうちに懐かしいお声がかかった。「一番にお入りください」
「骨シンチとCTね、どちらも大丈夫だね。悪いものは映っていない。」
「そうですか、それは良かった。骨密度のほうはどうでしたか?」
「よくなってるね。」
「そうですか、ありがとうございます。病気発覚当時がかなり進んでいたわけですが、その後の経過としては、良好ですかね?」
「ああ、そうですね。かなりいいですよ。引き続き頑張りましょう!」とのお言葉。別に頑張っていることも特にはないのだが、今後も、指示どおり診てもらうように、頑張ろうと思う。
「はい、お陰様で、大変ありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。」

 10分ほど事務手続きを待って、2Fの化学療法室に行き、リュープリンを打ってもらう。1Fで会計を済ませ、2Fに戻り、血液検査の結果が出るのを待って、駐車場の精算機に向かう。
 採尿・採血検査の結果は、PSAは前回同様 0.01未満と良好。血球系が加減を若干下回っている。血の気が低い体質なのか、栄養状態が悪いのか…? あと、肝機能のAST(GOT)が37と高くなっていた。まあ、特に心配するほどのことはなさそうだ。

 G大病院を出るとH病院に向かう。距離にすると7~8キロだろうが、群馬県の雄都を結ぶ道の一つなので、いつも、2~30分かかってしまう。予約時間12時の5分前ごろ到着。
 待合室で例のスコアを記入する。やや近いことと忙しいことがある点で、4点の申告。
 診察では、もらったばかりの採尿採血検査の結果表を見ていただき、3ヶ月の間、便は相変わらず固めだが、出血がなかったことを報告。先生の指示は「薬を朝晩一錠ずつ呑んで、とにかく便秘をしないようにし、排便時に出血しないように気をつけてくださいね。」
 看護師さんが、いつもどおり薬局から薬を90日分持ってきてくれて、診察料と併せて700円をお支払いし、お土産を持参していないことを内心後悔しつつ、お礼を申し上げて病院を後にしたのだった。

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桐生鳴神山で希少な花に出会う

 昨春「花咲く頃の桐生の思い出」と題して、G大理工学部のしだれ桜と『一隅の管見』の山本輝通先生をお訪ねした話を記事にしたが、今年は、何かと忙しくて、桜祭りの機を逸してしまっていた。連休前にようやく少しゆとりができて、桐生の友人I氏にご無沙汰お詫びメールを送ることができた。
 すると間もなく、鳴神山という桐生の北方の山に赤ヤシオを見に行ってきたと写真付で返信があった。それを見たら、この時期の山のよさが突然よみがえった。家人と相談すると、5月3日が行けそうだということになった。
 友人が言うには、赤ヤシオはもう終わり、今度はこの山にしか咲かないカッコソウという花の番だが、見ごろは中旬ごろなので今は端境期ではないかとのこと。

 孫守りなどがあってなかなか自由が利かないので、贅沢は言っていられない。久しぶりの山歩きだけで十分との思いで、出かけることにした。特に用事はないから…と、友人が案内してくれることになった。
 9時半ごろ友人宅に着くと、帽子もストックも用意してあって、貸してくれた。登山口のすぐ近くに住んでいるという小父さんが、「車はここに止めるといいよ」と親切に教えてくれた。登り始めたのは10時半ごろになっていただろうか。

 駒形から赤柴を通るルートが比較的なだらかとのことで、そのコースをゆっくりと登っていった。平たんと下りでは極めて健脚ぶりを発揮する家のカミさんだが、なぜか登りだけは苦手なのだ。私も、久しぶりの山登りなので、慎重に登るに越したことはない。
 名も知らぬ鳥が良い声で歌っていた。淡い色のすみれが咲いていた。ナルカミヤマスミレなる珍種かもしれない。
  ナルカミヤマスミレ?150503.jpg   

 普段見慣れたタンポポも、ここでは貴重に見える。
   150503鳴神山タンポポ.jpg

 カッコソウの案内板が立っている。そろそろ咲き始めたかなあ? 少しは見てみたいという欲もある。
   カッコソウの案内板.jpg

 途中二度小休止し、12時頃、山頂近くの尾根に出た。そこから少し降りたところがカッコウソウの群生地とのこと。急な小道を降りて行くと、人だかりができている。カメラを構えている人もいる。温かい日が続いていたせいか、開花しているのかもしれない。
  カッコソウ周辺.jpg

 咲いている、咲いている。
  カッコソウ-1.jpg

 半日陰の斜面に、たくさん咲いている。近づくと
   カッコソウ-2.jpg

 サクラソウによく似た可愛らしい花である。「ここにしかない。人手によって移植され、保護され、ようやくこれまで増えてきた」と聞かされると、うわっ、貴重なお花と巡り合えたとうれしさがこみあげる。真ん中の人が地元のボランティアの方だ。
   カッコソウボランティア.jpg

 もう一度斜面に群生する様子を目に焼き付けて、頂上を目指すことにする。
  カッコソウ-3.jpg

 尾根に戻って山頂を目指す。段々見晴らしがよくなってきた。
  鳴神山第二展望台より.jpg

 頂上付近の展望台に立つと、さらに視界は良好だ。空気が澄んでいると、東京スカイツリーも見えるそうだ。
  鳴神山第一展望台より.jpg

 12:40頃頂上に着いた。赤城山から雪をいただいた谷川方面、日光の山々、関東平野、360度のパノラマが望める。灌木の下で、握り飯を3個と、いただいた柏餅を1個、食べすぎかなあと思いつつ完食し、記念に写真を撮って、ニ、三度山頂の空気を吸い直し、来た道とは違う谷あいの道を下りはじめた。
  鳴神山登頂記念.jpg

 途中、山ツツジの一種だろう、よい色で咲いていた。
   鳴神山の山つつじ.jpg

 二輪草もあちこちで咲いていた。
   鳴神山の二輪草.jpg

 残念、名前はわからないが黄色い花も。
  鳴神山の黄色い花.jpg

 15:20頃、登山口に戻ってきた。天気も好く、珍しい花も咲いていて、運の好い一日だった。

 ようやく一週間前のことが記事にできた。翌日と翌々日の二日間は、幸運の代償として、久しぶりに筋肉痛を味わった。


  

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飛行機に乗っているようなもの [生活エッセイ]


 病気とあまり関係のない政治ネタは、「日本の政治と地球の未来」というブログのほうで書いていた。どうしたものか、与党と政府がいわゆる右寄りで、「集団的自衛権の行使」「自衛隊の海外派遣」「特定秘密保護法」「武器輸出の規制緩和」・・・そんなことばかりやりたがっている。国民主権の民主国家というより、戦前の国家主義を彷彿とさせる政権運営で、危機感を募らせている。

 そこで、これまでブログに書いてきたことを本にしようと思い立った。一人でも多くの人と、日本の歩み方について、これでよいのかどうか、共に考えてみたくなったのだ。そして三月の中ごろから、育爺家業の合い間を縫って、ワードにまとめ始めた。タイトルは『友よ、戦争をしない世界を創ろう!』一通りまとめたあと、章の構成はどうするか、目次をどうするかなど方針を決め、調整をし、一応のまとまりをつけた。そして編集出版を手掛けている友人のところに原稿を送り、共同作業が始まった。

 お他人さまの眼が入ると、修正個所も増え、細かな校正作業もあり、空き時間には気合を入れてこれを行った。なにしろ、遅くなればなるほど、読者に古いものを読んでもらうことになってしまうのだ。そして、
「よーし、これで校正作業も終了だ、章替わりも奇数ページだし、写真も入れた。表紙カバーの案も固まったぞ。やっとこのプロジェクトも終了だ」と思ったのが、先週の金曜日の夜のこと。さっそく編集人にメールで送付。

 日曜日には久しぶりで隣の県の温泉まで家人を乗せていく余裕。

 ところが、その日も、次の月曜日も、編集人から沙汰がない。しびれを切らせて、火曜日(昨日)には、携帯電話にメールを送る。昼休みに会って編集会議をしようと。いろいろ兼業されていて超多忙な編集人から「今日のランチタイムは1時15分からだから、例の神社に1時20分頃着てくれ」との返信あり。

 雨の中、社の屋根の下で編集会議は進む。編集人は弁当を食いながら。こちらは、もらった缶コーヒーを飲みながら。
 で、その時、一大事が発覚する。1ページの「はじめに」の前に「扉」が入るので、ページがずれるという。扉はカウントしない手もあるが、どっちにしても、ページが増えて8の倍数からはみ出すので、コストは上がり、紙に無駄が出るという。

 どちらも好かないので、どこかで1ページ削ることにする。目次の前で削れば、ページにずれが生じないので、「はじめに」を1ページ端折ることにする。もともと「はじめに」は長いので短くしたかったのだが、削るところが見当たらなくて長いままになっていたのだ。それでも、コスト削減と省資源のためでは頑張るしかない。火曜の午後はまた自分の原稿とにらめっこ。

 そして夕方、仕事帰りの編集人に寄ってもらう。ベルクのロースかつ重(400円弱でした。訂正します)を用意しておいて、それをがつがつ食べながら再び編集会議。

 それから、お互いに夜の仕事(夜まである仕事&雑用だよ)を終えた10時ごろから、メールでキャッチボールを開始。中身が確定し、表紙カバーが確定し、奥付けも決まった。それを編集人がPDFファイルにしてくれた。いよいよ、原稿が確定したぞとホッとしたのが大体真夜中だった。風呂に入って1時半ころ寝たのだった。

 ところが翌朝、朝の雑事を済ませて10時頃メールをのぞいてみると、編集人から1通届いていた。「印刷所に発注しました」とタイトルにある。あれから、本体の表紙を作り、3時ごろ発注したとのこと。メールの最後に
「印刷所に入稿済みだと、もう手を離れましたので、何があっても手が出ません。飛行機に乗っているようなものです。手放しで子守りができますね。では。」とある。

「そうか、原稿が飛行機に乗ったか」国際線に乗ると「もう引き返せないぞ、降りたら異国の地だ」ってちょっとした緊張感が背中を走るものだ。でもその緊張感を経ないと海外には行けない。久しぶりにそんな緊張感を思い出した。でもすぐそのあとに「手放しで子守りができますね」とあるので、そうだ、これでいよいよほんとうにこの作業は終わったぞとホッとしたのだった。

 かくして、ふたりのコラボがひとつ完成した。思えば、ふたりだけではなかった。数人と深く係わり合ってひとつの本が生まれたのだった。物は今月の末ころできてくるとのこと!

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定期診療(G大病院&H病院)⑥ [病気及び治療経過]



 3ヶ月に一度の診療が、先々週の金曜日にあった。落ち着いてパソコンに向かっていられる時間がなかったので(生活に追われて)、十日も過ぎてしまった。毎日ブログを更新している人もたくさんいるというのに。

 前回に続いて両病院の診療が同じ日となった。近いところなので、一度で済めばそのほうが効率がよい。G大病院が駅から遠いので、車で行くことになる。
 朝は早く着いたほうが採血等の待ち時間が少ないので、早めに軽く食事をして、7時ごろには家を出たかったが、7時20分頃になってしまった。車は病院前までは順調に流れたが、出遅れがたたって、3階駐車場に車を収めた段階で、予約時間の9時頃になっていた。車を降りると、いつもながらレースの気分になる。400メートルくらいを早足?小走り?で、外来棟玄関付近の受付機に向かう。病人を、具合の悪い人を、追い越していっていいのかなあ…とか、丈夫でないと病院にも通えないなあ…とか、少し後ろめたい思いを感じながらも、急がないとスケジュールがこなせないので、つい、われ先人間をやってしまう。

 受付機に診察カードを通した後、もうひとがんばり、2階の採血・採尿の受付機まで急ぐ。そこはすでに行列ができていた。受付を済ませると、まずは、採尿だ。中ほどがよいと聞いているので、最初の勢いのよいところは流して、さてとカップに取り始めたら、それからはいくらも出ず、これで大丈夫ですかとお伺いを立てる始末だ。「大丈夫ですよ」と言ってもらったが、もしだめだったらどうするのか、一度からにしてしまうと、そう簡単には出てこないだろう。
 採尿の後は採血を待つ。40分待ちと出ていた。番号が表示されるので、イライラすることもなく、メールを打ったり、読書をしたりしていられる。
 その日持って行った本は、ブログ仲間が推薦している『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル、矢部宏治著)だ。紐解いて驚いた。3.11以降、日本人は日々、信じられない光景を眼にしつづけている、とある。なぜ、これほど巨大な事故が日本で起こってしまったのか。なぜ、事故の責任者はだれも罪に問われず、被害者は正当な補償を受けられないのか。なぜ………と、日本の今の不思議が立て続けに問いかけられている。そうだそうだ、不思議なことだ、一体どうしてなんだ?と、最初の数ページで、すっかり問題意識の共有を確認してしまった。
 その矢部氏が、基地の沖縄や原発事故の福島を取材して判ったことが書かれているのだ。ほとんど、あっという間に、採血の順番がやってきた。この本については後日改めて、拙ブログ「日本の政治と地球の未来」で取り上げたいと思っている。うわさどおり、その価値が凄いので!

 採血が済むと、外来棟3階泌尿器科の廊下で「××さん、一番へどうぞ」とのお声掛けを待つことになる。これはいつ呼ばれるかわからないので、トイレに行くのも気を遣う。先が気になる矢部氏の「日本はなぜ…」すら、うす暗いのと落ち着かないのとで、なかなか集中できない。結局約一時間後、名前が呼ばれ、いそいそと、診察室一番に入っていった。
「ようやく血液検査の結果が出ました。……大丈夫ですね。体調はどうですか?」とS先生。
「はい、お陰様で特に悪いところはありません。ただ、歯医者さんにプラリア治療のことをお話したところ、ちょっと困ったようすでした。抜かなければならなくなるかも知れない歯があるので、その時は先生と連絡をとって、薬の効き目の弱い時を選んで抜くようにすると言ってました。治療は途中で止めることはできますか?今日は注射を打ったほうがいいですか?」と私。
「そうですね。注射をしていってください。骨密度の検査もしましょう。それから、1年以上経っているので、骨シンチとCTをやりましょう。」
 ということで、別室でプラリアの2回目の注射を左上腕にしてもらい、5月初めに予定された骨シンチとCTの承諾書にサインし、放射線科で骨密度検査のレントゲン写真を撮ってもらった。この検査の結果は3ヶ月後になるが、効力が半年持続する注射をどうするかの判断材料なので、急いで知る必要もないのだ。
 それから、例によって、最初の採血室の隣の化学療法室で、ホルモン療法剤リュープリンを、今回は右腹部に注射してもらい、2万某の会計をカードで済ませ、無事放免となった。

 体調は、中畑さんなら絶好調と言うんじゃないかなあと思えるほど悪くはないのだが、治療は少しずつ手が混んできている。一体いつから、それがシンプルになっていくのか、はたまた、いつまでも複雑になる一方なのか、その辺が気になるところではある。
 さて、ちょうど12時となったので、病院の食堂で食べることにした。シンプルに山菜うどんを。

 H病院の予約時間は1時だった。ちょうどそのころ着くことができた。例の豪華な待合室でいつものスコアを記入する。我慢することが辛いことがあるという項目が2点で(漏らすことはないのだが、忙しいことがよくある)、計5点で、いつもと大差はない。
 間もなくお呼びがかかって、先生の許に。
「具合はいかがですか?」
「お陰様でほぼ順調なのですが、3ヶ月の間に1回だけ、排便後に十円玉くらいの出血がありました。」
「それはいつ頃ですか?」
「1月くらい前です。でもその後、二晩ほど座薬を挿したところ、その後はありません。収まりました。」
「便は固めですか?」
「はい、このごろ固めです。一気に息張らないように気を付けています。」
「マグミットを朝と晩と二錠ずつにしましょうかねえ。出血は大敵ですからね。」
「はい、少し余計もらっておいたほうがいいので、そうお願いします。それから、トレーニング事務に自転車のサドルとは違う椅子式のサイクリングマシーンがあるのですが、それは漕いでも大丈夫でしょうか?」
「ううんー、放射線を当てているので、腸の粘膜が傷んでいると見ているんですよ。止めておいたほうがいいかな。」
「わかりました、ありがとうございました。」
 
 薬が増えてもまた千円でおつりをもらって、急いで病院を後にした。

 帰りは、前回と同じルート、同じコンビニでコーヒーを飲み、17号経由で三時半頃帰宅した。
 帰宅してすぐの仕事は、孫と娘がまたしばし滞在とのことで、しかも四時ごろ着くとのことで、部屋の暖房等の受け入れ準備に勤しんだ。そう言えば、前回も孫の用だった。その孫は1歳と3ヶ月、オムツがLになり、「おわっちゃった」とか「んまんま、やったー」とか、ようやく言えるようになったところだ。
 まだしばらく育爺稼業が続きそうだ。

 そうそう、血液検査の結果は、ヘマトクリット値、ヘモグロビン、血小板がわずかに低下し、正常域を少しばかり下に、はみ出していた。しかし心配するほどのことではなさそうだ。PSAは前回同様0.01未満。

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やまい発覚当初の心境 [病気及び治療経過]





 このブログは、2013年初めの放射線治療のための入院をきっかけに始まった。そのため、やまい発覚当初の気持ちの動揺などについてはほとんど書かれていない。発病を知らされた人にとっては、それも何かしら参考になるかもしれないので、治療入院以前に書いたものを、遅まきながら掲載しようと思う。
(以下は、2012年9月執筆、エッセイクラブ作品集『燦』78集より、一部編集)

   青天の霹靂 

 昨年春の健康診断で、前立腺の石灰化が指摘された。「これは齢で、しょうがないんでしょうか」と尋ねると、「まあそうですね」と医者も言う。血圧が高めだったり、他にも心配なところがあったりしたので、石灰化は軽く見てしまった。それが、今年の春は「前立腺石灰化? 血液検査をやってみますか」と医者が言う。「はいはい、お願いします」心配なところは、血液検査で済むならどんどんやっておきたい。2日後、病院から電話があり呼び出された。数値が悪いので、泌尿器科の専門医に早くかかったほうが良いと言う。4までが許容値のPSAという検査結果が、38だと言う。

 知り合いの先生が泌尿器科だったので、早速訪ねると、すぐにできる検査をやってくれ、MRIの予約も入れてくれた。どの検査結果も、数値の悪さを裏付けるものだった。
 どうやら前立腺がんの疑いが濃厚らしい。「やばいなあ、早ければ今日かもしれないが、遅ければ百二十歳かも知れないと、呑気に思っていた寿命の想定に狂いが生じたのか…?」

 そう思い始めた矢先、ちょっとびっくりする出来事があった。先生の奥様が別の用事で訪ねてこられた折、玄関先で、私に目をつぶって左手を出すようにとおっしゃる。そうすると、奥様はその掌に手を重ね、そっと何かを置いた。「霊験あらたかなある物が薬包紙に包んである」と言う。「これを、いつも居るお部屋の、戌亥の方角、北西ね、白いお皿に載せて置いておくと邪気が払われるのよ。騙されたと思ってでもいいから、そうしてください」とおっしゃる。言われたとおりに、出した左手に右手を被せ、いただき物を両掌の間に挟んで目を開けると、奥様の肩は降り始めた雨に濡れていた。「ご心配をいただいてありがとうございます」と、手を重ねたままお礼を言って、車を見送った。

 頭を下げている間にいろいろな思いが駆け巡った。やはりことの重大性を思った。これは神仏に頼る領域なのか…。そんな事態に陥っていたのか…。戌亥の方角の薬包紙(の中身)に延命を託すのか…。
 しかし、方位だの風水だの、そういう類は、ちっとも信じることなく、自分は生きてきたのだった、今日これまで。
 我が迷いは別として、人の折角の気持ちは大事にしなければなるまい。白い皿を用意して、戌亥の角に置き、とりあえず合掌をした。

 さて、これを本気で拝むか、奇跡的快癒を願って…一晩、寝ながらゆっくり考えた。人はだれも、みな最後は死ぬのである。いつ、どう死んだかよりも、どんな生き方をしたかのほうが大事である。科学的あるいは統計的根拠の薄いことはほとんど信じてこなかった自分が、命がかかると途端に偶像を崇拝するようになったのでは、どう生きたかが語れなくなってしまうではないか。ここはぶれずに信念を通そうではないか。
 なかなかしっかりした心境に至ることができた、と我ながら思った。

   番号バトル

 泌尿器科の先生に、近県の大学病院を紹介してもらった。ここで、CT、骨シンチ、生検などの検査を受け、とりあえず薬物療法に入ることになるのだが、その初日のことである。初診受付をして、診察カードをもらい、泌尿器科で、当日できる検査をしてもらい、他に必要な検査の予約を入れてもらった。一通り終わって、会計事務をしてもらうときに、ふと自分の診療カードの番号に気が付いた。4と9ばかりが並んでいる。6も一つある。4は死に、9は苦に、96は苦労につながる。「うわー、オレはやっぱり運が悪かったんだー」この間到達したはずの、なかなかしっかりした心境は、もう揺らいでしまった。あれまあ、そんな程度だったのかと、少しがっかりした。

 4(よん)は「し」と読むから死を連想する。9(きゅう)は「く」と読むから苦を連想するだけで、4や9が不幸をもたらす理由も根拠もあるはずがないのだ。また運の悪い人が4や9に当たりやすいという理由も根拠も、あるはずがないのだ。帰り途、車を運転しながら考えた。英語ならフォーとナインで、なんの問題もないんだ。だがなー、家の者がなー、入院しているときに病室を訪ねてきて、この4だの9だのがずらずら並んでいる番号を見たら、きっといやな思いがするんだろうなー。「これじゃ親父も助からない」とがっかりしてしまうんじゃないかなあ…。

 交通事故を起こせば、がんの脅威を追い越して、即刻あの世に飛んで行きかねないので、運転に差し支えない程度に思いを巡らしながら家に向かった。そして家に着くと、すぐに病院に電話を入れた。病院のパンフレットに患者支援センターなる部署の電話番号が載っていた。

 事情を話し、登録番号の変更を願い出た。すると、電話口の人は理解を示し、受診科と連絡をとって返事をするとのこと。五、六分もすると受診科から電話があり、番号の変更はできない、やっていない、この番号で検査の予約をとってしまっているので、手違いが起こると大変だと言ってきた。最後の説明は理解できるが、番号の変更はできない、やらないというのはどういうことなのか、少し噛み付いた。

「私の二つ前の人は、42番ですよ。42424242という人もいたわけでしょう。厄介な病気にかかって大学病院を訪ねてきて、こんな番号のカードをもらった人は、どんなにいやな思いをしたことか、そうは思いませんか。当人から要望があれば番号を替えてやるくらいの制度は取り入れたらいかがですか。本当にそういうことはしていないのですか。」
「やっていません。」
「わかりました。では、私からこういう申し出があったことは、一切無かったことにしてください。『番号を替えてもらおうとして断られた』では余計惨めですからね。頭を切り替えればいいだけのことだから、数字の羅列なんか、私は、今後一切気にしませんから。ただね、そういう切り替えができない人も多いと思いますよ。」

 番号バトルは、きっぱりそれで終わった。私はまた(主観的)しっかり者に戻った。大学病院というところは、合理的なシステムがいろいろ導入されていて、検査、治療、その他サービスの向上が図られていると感心するところも多いが、こういうデリケートな、心のケアという面では、まだ改善の余地があると言えるのかもしれない。(私も余り生意気なことは言えない。この病院のお世話になり、病気を根治してもらう立場なのだから。)

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年末の余興



  誰もが言うことだけれど、一年がたつのは早い。速い。あと数時間で「明けましておめでとう」となるが、去年のその体験が、昨日とは言うまいが、先月ぐらいにあったことのように思い出される。
 だからどうということはないし、そんなことを憂えても何の福袋も降ってこないだろうから、今年は今年の年末をしばし楽しむとしよう。
 今年はどういうわけか、短歌がいくつかできた。たとえば孫について
   階段の柵より手を伸べバイバイを初めてしおり 孫は一歳
   その足で初めて大地を踏みしめし 秋空の下声も高らか

 安倍政治については
   「国民の平和と安全守るため…」 為すこと危ないことばかりなり

 まだまだ下手だなあ、お恥ずかしい。
 年末の一句
   やりのこし やりのこしばかりで年を越す

 みなさま良いお年をお迎えください。またご指導をよろしくお願いいたします。

 
   

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東田直樹さんが僕に教えてくれたこと

 直接的にはNHKのテレビ番組が教えてくれたことだが、自閉症の方の心の内を知ることができて感動した。番組のタイトルは「君が僕の息子について教えてくれたこと」自閉症の子を持つイギリス人の作家デイビット・ミッチェル氏の立場でタイトルがつけられているが、主人公は東田直樹さんだ。

 東田さんは重度の自閉症だが、家族の深い愛に包まれ、奇跡的にローマ字表をたどることで気持ちを表すことができるようになり、童話や随筆などを発表している。この方の作品のお陰で、理解に苦しむ自閉症の方の心の内が見えるようになったのだ。(すでにご存じの方も多いと思うので詳しい説明は省略します)

 そこに見えたのは、温かい思いやりと「世界を見つめる曇りのない目」だった。脳の機能に異常があって、簡単にコミュニケーションをとることができない人の心が、こんなに価値ある輝かしいものであることを知ることができて、目から鱗がひとつ落ちたのだった。

 人は、愛に包まれて、余分な欲を持たずひたむきに成長すると、こんなに素晴らしい心が育まれるのだ。挙動からは推測しにくいことだけに、良いことを教えてもらった。東田直樹さん、ご家族の方、ミッチェル氏、NHKなど、関係方々にお礼を申し上げたい。

(今日は久しぶりに時間ができて、アベの⑨を書かなければ…と思っていたが、「美しい国へ」は言葉だけで感動がないので、後回しになった。)
 

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定期診療(G大病院&H病院)⑤ [病気及び治療経過]

 3ヶ月に一度の診療が、先週の金曜日にあった。前回、G大病院の診療が金曜日に移ったので、今回初めて、両病院の診療が同じ日になった。H病院の診療時間を午後に変更してもらってのことだ。

 朝は早く着いたほうが採血等の待ち時間が少ないので、前回同様、早めに軽く食事をして、7時ごろには家を出た。
 17号バイパスから右に分かれ、上武バイパスに入った。この道も17号のバイパスで、大田、伊勢崎を通り渋川方面に向かう。立体交差が多く自動車専用道路の感があり、いつも流れが速い。
 そんな道路だが、上武バイパスの入り口付近からしばらくは、主要道路と平面交差をしていて、たいてい渋滞している。それがなぜか、渋滞の列も見えずスイスイ流れている。これは早く着けるぞと上機嫌でいると、やっぱり流れが止まった。ぱったり止まった。
 それでも少しずつ進んで行くと、ようやく先の様子が見えてきた。信号機の先に警察や消防の車両が何台もあり、どうやら事故があって通行止めにしているらしい。車はみな、右に迂回させられている。
 仕方なく右折したその道も渋滞していて、なかなか進まない。動けばどうにかなるだろうと、畑の間の農道に左折した。一旦上武をくぐり左から上武に戻ることになったが、そちらの道も渋滞していてままならない。交差点が少ないので、復帰するのが大変で、便利な道の不便さをしばし味わうことになってしまった。まだ利根川を渡る前、深谷市でのことだ。すいていたのは、事故情報を知っている人が、その個所を避けたためだ、きっと。
 予定より3~40分遅れて、ちょうど9時ごろ病院前の交差点に着いた。受付機が15分後、採血の受付機がその4分後、採尿はすぐして、採血は10時ごろだった。泌尿器科に回るといつものS先生はお休みで代りの先生だった。11時半ごろお声がかかり、体調が悪くないことをお話しした。血液検査の結果も悪くないので、このまま治療を続けましょうとのことだった。
 「この治療って一生続くのでしょうか?ホルモン療法がやめられれば、骨粗しょう症のプラリアも止められると思うのですが…?」気になることを率直にお尋ねした。
 先生、画面のカルテを見直して「ホルモン療法が長いとどうしても骨粗しょう症になりやすいんですよね。そうか、リンパ節までね、でも放射線も当てているしね、経過はいいんだけど、S先生の判断を待ちましょう。」「はい、そうします。」
 化学療法室でリュープリンを、今回は左腹部に注射してもらい、泌尿器科に戻り、血液・尿検査の結果プリントをもらった。それから会計を済ませてG大病院を後にした。12時をやや回っていた。

 途中で野菜天そばを食べて、H病院に向かった。
 待合室でいつものスコアを記入する。寒くなったこともあって、2時間以内に行きたくなることがわりとあるが、他は余り気になることはない。スコアは4点で、満足度は大体満足を○で囲んだ。
 診察室では、小便より大便が気になってトイレに行くことが多い悩みを聞いてもらった。「催す回数は多いのですが、量は少なくて、気分的には便秘気味です」と。
 「とにかく便秘はよくないので、気になるときには、マグミットを二錠呑んでみてください」とのアドバイスをいただいた。
 例によって、マグミットを日数分と痔用の薬をいくつか用意してもらい、またまた千円でおつりをもらって、有り難く病院を後にした。

 帰りは、途中でセブンコーヒーを飲み、17号、同深谷熊谷バイパス経由で約一時間半、帰宅した。

 家に帰ると孫の寝かしつけが待っていたので、急いで手洗い・着替えを、一応して、任に着いた。(孫とお爺は、相変わらずグランドピアニスト君の演奏にはまっている。最近は、クラシックだけでなく、邦楽もよく聴く。鍵盤のカシャカシャ音を消す方法も知ったので、より快適になった。音楽に併せて揺れていると、眠い時は数曲で寝てくれる。)かように、日常生活は差し支えなくできているのでありがたいことだ。

 そうそう、検査結果は、おおむね良好で、MPVというのがごくわずかにhigh、それからクレアチニンというのがごくわずかにlowなだけで、他はすべて正常域であった。PSAはいつもどおり0.01未満。

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骨粗しょう症の余震 [病気及び治療経過]


 8月に骨粗しょう症になっていたことが発覚したことは前回の記事に書いたが、その余震が、その一月後に早くもあったことは、なかなか時間がなくて書けなかった。
 私の医者通いのほとんどはここに記していて秘密はほぼないのだが、他に歯の治療を2~3ヶ月おいては数回してもらっている。子供のころからの無精がたたって、抜けていたり揺らいでいたりしている歯が多く、何かと治療や細工をしていただいているのだ。

 その行きつけの歯医者さんで、8月からプラリア治療が始まったことをお話してそのときもらったパンフレットをお見せした。すると、先生かなり困った表情で、
「この治療中には歯が抜けないんですよ。この歯が、もたないかもしれないので、炎症することがあれば抜いてしまおうと思っていたのですが…。そうですか、この治療中に歯を抜くと、顎の骨が壊死したり骨髄炎になったりする恐れがあるんですよ。わかりました。なるべく抜かないようにしましょう。もしどうしても抜く必要が出た場合には、薬が切れるころをG大の先生と打ち合わせしてタイミングを見てやることにしましょう。」とのことだった。

 ほとんど自覚症状のない段階で始めた治療だから、骨折など重篤な症状が出現する前の予防的な措置だろうと呑気に構えていたが、もう少し深刻な治療法だったようだ。
 お医者様が考える最善の策と思うので、これで考えられる副作用が緩和するものと期待し感謝しているが、欲を言えば、五月にした検査の結果だから、検査結果が出た時点で治療法を複数示して、選択の余地と考える時間を与えてくれるとよかったと思う。

 大学病院だから、治療法に遅れはないのだろうが、患者の数の多さのために、きめの細かさという点で、医療の貧しさを感じてしまうのだ。人が特定病院に押し掛け過ぎているのか、信頼できる医療機関が少ないということなのか、社会問題としては、少し引いて考えてみる必要がありそうだ。  
 

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