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花咲く頃の桐生の思い出-G大桜祭りと山本輝通先生 [生活エッセイ]

 昨年の放射線治療入院中に取り上げさせていただいた(第7話)『一隅の管見』の山本輝通先生を、桐生のご自宅に訪ねる機会を得た。4月の第2日曜日のことだ。仲を取り持ってくれたのは例によって友人のI元教授。同じ桐生に住んでいる。I氏は47年もG大一筋。理工学部地球化学専攻で、石灰石が海中で変容したドロマイトなどが研究対象。メタンハイドレード探査や原発事故後は放射性セシウムの調査・分析でも活躍。以上は『桐生タイムス』の記事で知ったことで、2~3年前に旧交が復活した高校時代の同級生には新鮮な情報だ。本年3月に退官し現在は非常勤講師。ようやく少し暇ができたとのこと。これはナマ情報だ。
 そのI氏が山本先生訪問を、大学キャンパスを開放する桜祭りの日に合わせて設定してくれた。
 情報の古いカーナビで桐生市役所まで行くと、迎えに来てくれて、まずは自宅まで先導してくれた。桐生川という川を渡り岡を登っていくと一番上のほうにI君(と呼べと言うから言われるままに)の洋館風の素敵な家があった。そこでお茶をご馳走になり、今度は彼の車に同乗して再び市内に下りて行き、街中の駐車場に車を置く。そこから、タクシーにしようかどうしようかと二人で迷いつつ、ぶらぶら20分ほど歩くと、やがて正面に鳥居が見えてきた。天満宮とかで、「周辺に雀荘があって、よく通ったものだ」とのこと。そんな話は他の友人からも聞いたことがある。そのすぐ隣が大学とのこと。
 通りを渡って構内に入ると早速テントが立ち並び、人がたくさん集まっている。勧められるままにお団子を1本もらい、改めて辺りを見回すと、池の周りに枝垂れ桜が幾本も植えられ、満開の桜が時折の風に花びらを散らしながら、ゆらゆら、いい感じで垂れ下がっている。京都の円山公園の一角を思わせる風情だ。三十数年前に、卒業生の花王の(当時の)社長が円山公園と同じ種類の桜を植樹したとのことで、なるほどと合点が行った。キャンパスを開放して周辺の人に観てもらう価値が十分あるものだ。
P1000647G大学桜祭り.JPG

 団子を食べ終わって、すぐ脇の講堂に急いで入ろうとしたところ、中から人がたくさん出てきた。「ああっ、終わっちゃったか」とI君。奥さんの参加したコーラスを聴くことになっていたらしい。天気が好いのでなんとなく歩いてきてしまったことが原因のようだ。聴きそびれたことがどれほど惜しいことなのか、またどんな災難が待ち受けているのか、まったく見当がつかない私は、ちょっとどぎまぎしていたが、お嬢さんに会い、やがて奥さんにも会って、I君一家の円満な雰囲気を確認すると、また辺りを見回す好奇心が湧いてきた。
 その講堂は、黒光りを放つ木製の舞台、床、客席と、桜色に塗られた壁とのコントラストが妙にすっきり、素敵な雰囲気を醸し出していた。「この建物はなかなかいいので保存しようということになってね、新校舎建設のときに4~50メートル移動してここに持ってきたんだ。テレビや映画の撮影にもよく使われる。今の連続テレビ小説もここで一部撮影したらしい。この間、その画面を見たよ。あれっと思ってね。」すると確かに「撮影に使われました」という立て札が立っている。その場面の写真も貼ってある。見比べると、「はあはあ、なるほど、ここで撮ったのか」にわか造りのセットにはない重厚感が出ている。
 それから和気藹々の一家と食事を共にさせていただき、2時を目安に、山本先生を訪ねた。先生、元気に出迎えてくれた。初対面ではあったが、写真でお顔を拝見しているので、違和感はまったくない。現物というのは、写真よりも新しいので(当たり前だが)たいてい齢をとっているものだが、活き活きとしていて、白黒写真で見るよりもむしろ若かった。御齢83歳とは、とても思えない。
 『一隅の管見』以降も執筆を続けられ、毎週月曜日に欠かさず『桐生タイムス』のコラムを飾っている。話題が豊富でまた饒舌なので、あっという間に「そろそろお暇しなければ…」という時間になってしまった。
 永平寺の内部行事の話や、「昇天」の他に「召天」も広辞苑に取り上げさせた話など、貴重なお話をいくつも伺ったが、ここでは、先生のその後の作品を2つほどご紹介しよう。
 一つは2月17日のもので「『井の中』の私の解釈」と題されている。要旨は
「『井の中の蛙大海を知らず』ほとんどの人は井を井戸と思っている。私は昔から井戸に蛙がいるのかどうか疑問に思っていた。あるときひらめいた。井は井戸ではなく川辺の洗い場ではないか、広辞苑の井の説明には『泉または流水から用水を汲み取る所』とある。このことわざの出典は荘子だ。私の解釈では、読書に疲れた荘子は、気分転換と散歩のため川辺に行った。川面を見ると、かじかがえるが、井から川の中流へ行ったり来たりしているが、あの蛙は広い海は知らないだろう。同様に、政治が悪い、税金が高いと批判している民も、難しい外交は理解していないのではないか。」
 井は井戸の井ではなく、井戸端の井か、なるほどなあ、井戸端会議で満足していたら本当のことはわからないぞということか!妙に納得してしまった。もっとも今の政治は、為政者のほうが井戸の中の蛙で、多数の賢者の忠告を無視して突っ走っているように見える。取り返しのつかぬことにならないうちに、早く大海を知ってもらいたいものである。
 また3月31日にはこんな記事を書かれている。
「春夏秋冬の四季を色で表現すれば、それぞれ何色を配するかは、各人各様だろう。古代中国の五行説では、青・朱・白・黒を配し、青春・朱夏・白秋・黒冬としている。」で始まる。筆者は「青春」しか知らなかった。そういえば、青年、青二才、あいつはまだ青いなどのように、若いことを、未熟なことをなぜ「青い」というのか、よく考えたこともなかった。今思うに、果物が熟れる前の緑色から「まだ青い=未熟だ」が来ているのかも知れない。それにしても、朱夏・白秋・黒冬のことはちっとも知らなかった。
 こんなふうに、何かと考えさせるエッセイを、先生は書き続けていらっしゃる。『桐生タイムス』で、知識の種蒔きをやっていらっしゃるのかもしれない。
 帰り際に先生からお聞きしたのだが、桐生市医師会のホームページに同紙掲載の記事が載っているとのこと。(興味のある方は、同ホームページ内のサイト内検索で「桐生タイムスより」を試していただくと先生の記事に出会えるかもしれない。先生の種蒔きは、風で何処まで飛んでいっても差し支えないと思うが、掲載している新聞社は風で飛ぶのを嫌がるかも知れない。しかし、先生の記事で知名度を増すことは必ずプラスになるはずだから、ここは寛大にお取り計らい願いたい。念のため。)
 お邪魔した記念に、ピアノの上の分厚い辞書群を背にした先生のお姿を携帯カメラに収めさせてもらって、大急ぎで帰路に着いたのだった。I君一家には大変お世話になり、心から感謝している。燦Q
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