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花待つ頃の備忘録 ② 我が民族の美質 [読書感想]

 いつもお世話になっている歯医者さんにCという月刊誌が置いてある。私はよくこれを手にする。何かしら新鮮な情報に出合え、いろんな意味で勉強になるからだ。先日も4月号の[巻頭の言葉]にびっくりし、大急ぎで頭にしまおうと思ったのだが、とても入りきれず、ちょっとお借りしてきてしまった。
 びっくりした一節は、その冒頭である。(【 】内はC誌からの引用だが、固有名詞の一部はイニシャルに替えさせていただいた)
【中国、韓国は我われの近くに生きる民族なのに、国際的常識では理解できない動きを次々と繰り返す。我が国は安倍内閣が誕生し、近代国家の為すべきことを次々と手を打ち、経済の明るさも見えてきた。】とある。執筆者はA社の名誉顧問のNという方だ。
 自分や自分の国の行動が正当で、それとぶつかる主張は常識では理解できない動きだとは、ちらと思うことはあっても、なかなか大上段に構えて振り下ろせるものではない。国際問題はそれぞれの国にそれなりの立場があり、そのせめぎ合いをどう裁くか、そこが難しいし上手く解決したいところでもある。それを、事例も示さずあっさりああ言ってしまう。「中・韓は国際的非常識。一方我が国は安倍総理が為すべきことを着々とやっている」この説は、もはや、この人たちの間では常識なのであろう。びっくりした。この次の段落は
【二〇二〇年のオリンピック・パラリンピックも東京に決まり、極めて明るいニュースである。】と続く。そして次の段落は、
【この極東の国ニッポンで東京、札幌冬季、長野冬季と、なんと四回目のオリンピックが開催されることは、国民の誇りであり、国力と言っていいし、民度力と呼んでもいい。それらが勝れているからこそ誘致し得たのだ。】とこれを誇らしく称える。まあそうかも知れないが、もう少し奥ゆかしく構えていてもいいのではないか、とも思う。
 さて、この方はこの先、何が言いたいのか、この人の考え方、人となりに大いに興味を感じたのだった。
 まず、この巻頭言のタイトルは「我が民族が紡ぎ続けてきた美質」だ。続きを読むと、次の段落は
【その時、『**(C誌)』の読者が十万人に達した。M先生の「日本が変わる」地点に到達したのである。しかし、数だけ揃ったら幸せが来るほど、世間は甘くない。我われは動かなければならない。つまり波動を立てねばならない。】この方は信念があり、世に働きかけて世を変えようとされている。次の段落は
【思えば昭和十六年、我が国は英米大国と戦を起こした。大東亜戦争である。そして敗れた。戦争の勝敗の論理は古今東西、常に勝者が正義となり、敗者が悪に回される。占領軍は「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(日本の戦争罪悪史)を日本中、山の奥まで説き回った。】歴史問題に触れ、負けて悪にされたと括っている。負けた上に悪にされたというのだから、余程悔しい思いをしたに違いない。また今もしているのだろう。さらに、
【日本民族が長い時をかけて磨いてきた美質の多くは《この時》音を立てて崩れていった。その占領軍もサンフランシスコ条約を結んで昭和二十八年引き揚げていった。だが時務学を専らにし、大金を摑んだ日本人の多くは眼を覚まし得なかった。M先生は人間学を注入した読者が十万人になるということは、迷える子羊のアンチテーゼ(反対存在)として頼もしく見えたに違いない。】と続く。「時務」とは「そのときに必要な務め。当世の急務。その時の政務。」と広辞苑にはある。負けて一変した国の在り方に適応していった同朋がそう見えたのであろう。負ける以前の日本に戻そうとする気風がなかったことを憂え、「読者十万人」に託したのだろう。続く段落では迷える子羊の例を挙げる。
【迷える子羊たちは、我が子が学校給食を受ける時、給食は当然の権利であり、したがって神仏への感謝になど繋がるはずはなく、「いただきます」と言う必要がないとか、払うべき給食費も払わないという。】と戦後の権利意識が源と思しき悪い面を指摘する。一方、
【筆者の家は大家族であったがすべて箱膳であり、父のお膳は「戸主膳」と呼び、一回り大きく、料理が一皿多かった。父の発声で「いただきます」と食事は始まった。ごはん粒一粒たりとも残すと「神様が眼を潰す」とおばあさんが孫にもっともらしく説いていた。田舎の一軒一軒でも、修身斉家治国平天下という教育のテーゼにかなうよう、生き抜いていた。】と(執筆者が思う)古き佳き時代を懐古する。
 そう、戦前の日本は家父長制で、父親を主(あるじ)とする家単位で国家・社会を形成していた。このため、人が育つ家庭と社会には、今より安定感があったと言えるだろう。しかし、女性に参政権はなく、男女平等とか、個人の自由とかの理念は後回しにされていた。
[巻頭の言葉]は続く。
【「和食」が世界遺産に指定され、我が国も観光立国を強調しているので、古来、食べることにもっとも粛然と対してきた寺の食事のあり方を紹介しよう。『**(C誌)』にも登場された臨済宗の大本山E寺の館長・Y老師に教えを乞い、お伝えする。】として五観の偈(ごかんのげ)が紹介される。
【 五観の偈
一には功の多少を計り彼の来処を量る
二には己が徳行の全闕を忖って供に応ず
・・・・・・】と五まで掲げ、その解釈がこれに続く。
【Y館長解釈
一、この食事がどうしてできたか、どのような手間がかかっているか、どうしてここに運ばれてきたかを考え、感謝いたします
二、自分の行いがこの食をいただくに価するものであるかどうか反省していただきます
三、心を正しく保ち、貪りなどの誤った行いを避けるためにいただくことを誓います
四、この食事は良薬であり、身体を養い健康を保つためにいただきます
五、私は自らの道を成し遂げるためにこの食をいただきます
 -いただきます- 】そして「偈の後食」についても同館長の解釈を記している。
【どうかこの功徳をひろく一切の生きとし生ける者皆の為にふり向けて、私たちと人々ともろともに仏道を成就することができますように。ごちそうさまでした。】
 この後「**法人会」の食事の折の挨拶が紹介され、次の文で巻頭の言葉は終わる。
【我が民族が磨き続けてきて、戦後失いかけているこのような民族の美質を復元することこそが我われに課された重大な役割なのです。】
 正確を期すため引用が長くなった点をお許し願いたい。以上が私が興味深く読んだ月刊誌の記事である。後半はごもっともと思えることが多かったが、前半は肯定しがたい記述が多かった。いわゆる大東亜戦争の評価が大分違うのだ。執筆者はおそらく青年期に大戦と敗戦を体験しているのだろう。「苦しい戦争だが列強の世界支配に抗する止むを得ない、国を挙げての戦いだ。なんとしても負ける訳には行かない。我が身を犠牲にしてでも、この戦に勝たなければ…」と、素直に燃えながら戦時を過ごしたのだろう。それが全面降伏という形で終戦を迎えてみると、価値観が一変してしまう。「あの時の正義は、あの時の情熱は、あの時の苦労は何だったのか?何の評価も与えられていないではないか。一時の幻のために、大勢が命を賭して戦っていたというのか…」一途に燃えていた人ほど、価値観の変わり様が受け入れられなかったに違いない。「敗戦による価値観の変化のほうが、一時の誤りで幻だ。残りの人生を賭けてでも、変化の化けの皮をはいでやる」と思う人がいても不思議はない。純粋な人ほど、そう思うだろう。また、気骨のある人ほど、その思いを遂げようとするだろう。
 一方、国の浮沈よりも自分達の生きることのほうが大事な多くの人たちは、戦地で非情な戦いに従事させられたり、居住地が爆撃されたりする極めてリスクの高い政情よりも、少々価値観が変わって戸惑うことはあっても、安全安心な生活ができる政情のほうを好んで受け入れたのである。「何であんな戦争をしてしまったのか…どこから軍国主義に突っ走っていったのか…」と「あの頃が異常だった」と括ることになる。
 戦争を知らない世代はどうかと言えば、戦前の人たちと同様、自分たちの生まれた社会を当然のものと受け取るのである。平和で男女平等を指向し、個人の自由が尊重されるのは当たり前のことなのである。だが、それが当たり前でも、それが理想社会の訳ではない。そこにはそこの欠点があり、矛盾があり、危うさがあり、不満もある。今の社会の良いところは何処で、改革を要するところは何処なのか…誰もが感じ考えることである。そんなとき、育つ環境から受ける影響が大きいのは当然のことである。親たちがどう受け止めているか、学校の先生たちがどう解説しているか、それに大きく左右される。周囲の環境次第で、戦前、戦中の価値観を見直す必要があると考える人や世代が登場してもそれほど不思議ではないだろう。
 しかし、私自身の思いがどうかと言えば、人間は、個人でも社会でも懲りる必要があると思っている。あの間違いはもう二度とするまいと懲りることが大事で、そうしないと、同じ間違いを繰り返してしまい進歩することがない。数々の理不尽な不幸を産んだあの戦争はそれに値するものと私は思っている。仮に、始めたことには理があったとしても、負け方が悪かった。国民をすべて駒のように考えて、あんな状況に至るまで戦を続けた国の政治体制にどんな理があるというのか。ああいう状況に至らないように、日本人は重々気をつけて政治体制を見張っていかなければならないと強く思う。
 懲りるという点では、原発事故もそれに値しよう。地震津波の大災害に加えて、さらに始末の悪い禍が同時に起こってしまったのである。偶発的な事故だから、それに備えれば他は大丈夫だという問題ではない。そもそもが、メルトダウンなどは起こり得ないという安全神話を作って、国の保安院も安心しきっていて起こった事故である。管理・監督者のそうした姿勢に問題があるのだから、もう、懲りて止めたほうがよい。日本には、その科学技術はあったとしても、管理運営していく責任能力が乏しいことが発覚したのである。再び起これば、いよいよ多くの民が安心してこの国に住めなくなってしまう。美しい国は絶対に美しく保たなければなるまい。

 さて、思いのほか自分の主張に力が入ってしまったが、後半は大変善いことが書かれていた。物を食して命を繋ぐとき、他人の労力等を思い、自分の身を反省し…など、五観の偈の解釈は、まったく人として心すべきことと思える。しかも、これが我が民族が紡いできた美質だというのだから、これは大変嬉しい指摘であり、これを復元しようという志にはまったく異論がない。私もこの教えに倣って、常日頃心掛けなければならないと思う。
 有り難いご指導をいただいた点、また記事に触れ、勝手ながら引用させていただくことにより、これに対する私見を述べる機会を得たことについて、雑誌社とN氏に心より感謝申し上げる次第だ。


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