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第15話 『日本〈汽水〉紀行』に脱帽 [読書感想]

 書を読むなら、平安の才女が遠回しに物腰柔らかく語る紫式部の『源氏物語』か、それを、理路整然と、隙なく歯切れよく解説する三田村雅子氏の『源氏物語』のどちらかで、それ以外のものは読む気が起こらなかったが、4、5日すると、その高熱も少しずつ冷めてきた。〈文学史上稀に見る奇跡の大作〉の存在感は、それはそれとして、そこに自分の求めるものがすべて入っているわけではない。味わいたい対象ではあるけれども、そこに今さら埋没してしまうわけにも行かない。まだまだ他のものも物色しようぞという《あさり》の精神が舞い戻ってきた。
 
そうして読み始めた本は『日本〈汽水〉紀行』(畠山重篤著 文藝春秋発行)である。これも「飽きるでしょう」と、ありがたいことに知人が贈ってくれた本である。
 
第一章は「四面を海に囲まれその恵みを享受している日本人の多くが、つい見失ってしまっているものがある。(改行)それは、汽水域の恵みについてだ。汽水域とは、淡水と海水が混じり合う水域を指す。」との説明から入る。その汽水域が「海藻や魚介類の宝庫であり」、「人間と生き物たちが交錯する十字路」であると注意をひきつける。汽水域には多種多様な生き物がおり、そこで獲れる魚介類が殊に旨いのだと胃袋をつかむ。そして、三陸リアス・気仙沼湾から汽水域を巡る旅を始める。
 
第一章は、それから陸奥湾まで北上する。第二章は有明海、四万十川、屋久島へと飛ぶ。第三章は大海原の鰻の産卵場所から始まり、シラスウナギ遡上復活を待つ諏訪湖、房総、陸中から江戸前へ。第四章は、宍道湖の蜆、寒鰤の富山湾、北越の鮭を追う。第五章は … という具合に題名通り日本の汽水域を旅するのだが、あとがきに「当年八十五歳のお袋」が「『俄か物書きも大変だね……』などと言いながらも、毎月居ながらにして旅行をしているみたいだ、と励ましてくれた」とある。つまり、これは現地を巡り歩きながら書き留めた『奥の細道』のような紀行文ではない。では、三百ページにもわたって何が書かれているかというと、これがすごい、随所で〈参ったなあ〉と思いながら読んだとしか、言い様がない。
 
行かずに想像で書いたものかというと、そうではない。もちろん、然々の折にちゃんと現地を訪れ、鋭く視察しての話であるが、然々の折というのが、まず、すごい。縁(故)あって人が訪ねて来るか、その土地の人に招かれて出向くことになるのである。何がそのきっかけになっているかと言えば、著者畠山さんは、漁民が河川上流の山林に関心を持ち植林活動をする「森は海の恋人」運動の創始者であったのだ。その運動を通じて、各地の、海や川や森を大事にしようという人やグループ、自治体関係者などと交流が始まり、深まり、やがて現地を訪問する機会を得、その土地の現状や課題を把握し、その土地の運動に指針を与えつつ、特産品などを紹介するという、各地の汽水域とそこに生活する人々をつなぐ紀行文なのである。
 〈参ったなあ〉と思うのは、まず、科学的知識がきちんと披瀝されている点である。海に魚介類が豊富なのは、川から栄養成分が流れてくるからというくらいの認識しかもっていなかったが、〈鉄分が重要〉と物質を特定する。鉄分は、葉緑素の生合成、呼吸器系、窒素・リン・ケイ素などの吸収に不可欠、つまり、「鉄がなければ植物は成長できない」と松永勝彦教授(北海道大学水産学部)の研究を紹介する。しかしその鉄は、海にあっては、酸化鉄という粒子になって海底に沈んでしまうという。「その鉄を植物が吸収する形にする物質が、川の上流域の森林に存在している」「フルボ酸という物質」で、この物質が「土中の無酸素状態」で「鉄と結びつき、フルボ酸鉄になる」。このフルボ酸鉄は「極めて安定しており、」「そのままの形で海に届」き、「植物プランクトンや海藻が吸収できる」と教授の説を紹介している。(P.1517
 
これが、海の食物連鎖の始まりになるのである。
 
般若心経で言う「色即是空・空即是色」を「生き物(有機物)はやがて死滅し無機物になり、無機物はやがて有機物、そして命あるものに変わっていく」と解釈すると、その万物の流転の重要な鍵を「フルボ酸鉄」が握っているらしいのだ。
 
なるほど、海は広くて大きいが、大洋の真ん中に行けば魚が獲れるというものではなく、近海こそが魚介類の宝庫である理由はそんなところにあったのかと、大いに納得してしまうのである。
 
次に〈参ったなあ〉と思うのは、河口や海岸や海上の近景描写が、一々恐れ入るのである。こちらは関東平野の真ん中に生まれつき、海と言えば車や電車の窓から眺める遠景か、遠浅の海水浴場ぐらいしか、海辺の景色を知らないのである。さらに、魚介類についても、毎日のように食べているにも拘らず、その生態や養殖法、漁獲の方法をほとんど知らないのである。だから、それらの記述も恐れ入るばかりである。さらにまた、海産物の調理の仕方、そのうまい食べ方が紹介されていて、これは舌なめずりして、よだれをたらして、舌を巻くしかないのだ。
 
食い物と言えば、下世話な形而下の話と思いがちだが、そこ(旨い牡蠣の生産)から発して、汽水域に思いを致し、河口から川を遡って陸の人間生活に注意を促し、地球環境問題に貢献するとなると、これはなかなか高等な、壮大な、それでいてたいへん堅実なお話である。〈参ったなあ、弟子入りしようかなあ〉と心底思う。
 
我が身を振り返ってみると、仲間十人ほどとエッセイ倶楽部を作り、エッセイ集を編集発行していた。世の矛盾や不合理なところ、日頃思うことや感動したことを述べ合えば、何かしら世のため・人のためにもなるのではないかと思って、かれこれ13年もやってきた。仲間にも恵まれ、出来映えもなかなか良くなってきた。だが、何か物足りなくて ― というのは、書き手が年会費を払い、読み手が購読料を払い、編者が時間と身銭を切って発行を続けている、それだけの意味が確とあるのかどうか、単なる趣味、気休め、書き手の自己満足に過ぎないのではないかと思い始めて ― 昨年、思い切って止めてしまったのだった。
 
本職との関わりがどうなっていたかというと、本職は学習塾経営である。塾はプレミアム学習で、親は明確な目的を持って子どもに塾通いをさせ、余分な金を払う。明確な目的とは、たいていの場合、高校入試である。できるだけ(いわゆる)良い高校に入れたい。そのためには、そのことに熱心に集中してくれる指導者が望ましい。幅広い見識とか、深い思慮などにはあまり関心がないことが多い(ように思える)。また書き手になった時には、自分の商売の都合をちらちら考えていたのでは、書いていることの意味がなくなってくる。そのため、本職とエッセイ集の編集発行とは別のこととして分けて取り組んでいた。つまり、融合していなかった。
 
一方畠山氏は、本職の牡蠣生産の延長上、室根山に大漁旗を翻し、その旗印の基、日本各地と、ひいては世界のあちこちとも、しっかりしたネットワークを築いていったのである。というか、やるべきことをやっていたら、築けてしまったのである。
 
自分のエッセイ集編集発行の迷い、また自分の人生の中途半端さの原因がはっきりとわかったのである。何ごとも生産性が基礎になければ発展しない。一から出直さなければならない。
 
退院の日が見えてきた頃、ずしりと大きな課題が明確になった。〈今さら?〉の感もなくはないが、〈飽きない入院生活の後の生活も、また飽きることはなさそうだ〉という見通しが持てたとも言える。
 
私の受け止めはそんなところだが、畠山さんのことを思うと、実はたいへんな問題が潜んでいる。すでにお気付きの方も多いだろうが、この書が発行されたのは、2003年9月である。その7年半後に、東日本大震災が起こった。地震と津波に襲われ、養殖施設も、生活の場もずたずたになってしまったに違いない。本にも出てくるご母堂もお亡くなりになられたとのことである。被害を受けられた多くの方々にお見舞いを申し上げたい。沈痛な出来事である。
 
だが、地震と津波は天災であり、これは耐え偲んで、やがて立ち直るしかない。問題は、原発事故である。停電、補助電源設備の故障、その後の対策の粗末さがもたらした大量の放射能汚染である。汚染の程度は場所によって異なり、三陸海岸は幸い比較的少ないと聞いている。風評被害を生む恐れがあるので、話題にすらしたくないことではあるが、発電所近くの漁民の受けた被害は測り知れない。生活の場を汚染され、稼業の場である海を汚染され、完全に生きる場を奪われてしまったわけである。
 
フルボ酸鉄をたくさん運んでくるように、林野を、地球環境を豊かにしようとしていた運動が、放射能という猛毒を撒かれて、完全に水を注されてしまったであろう。それでも、原発事故は東洋の片隅で起こったことであり、地球全体にとって、「森は海の恋人」運動の重要性、普遍性に変わりはないという面もあるだろう。それにしても、桁の違う汚染を前に、まずは、「原発事故を未然に防ごう、そのためには、地震多発国で豊かな汽水域をたくさん有する日本列島では原子力発電は止めよう」という運動の優先を余儀なくさせられているのではないだろうか。
 
原発事故は返す返すも残念である。「起こり得る事態には何重にも備えがしてある。メルトダウンは起こり得ない」と言ってきた日本のエネルギー行政とその推進者が恨めしい。それをまだ続けようという、その反省のなさが、さらに恨めしい。
 
核エネルギーの利用は、医療や学問研究に限定すべきである。核兵器はもっての外だし、原子力発電も放射性廃棄物の処分や事故のことを考えると、コストやリスクが大き過ぎる。医療や学問研究に徹してこそ、日本は、技術大国、文明文化の先進国と言えるのではないだろうか。

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脱原発を訴えるテント(4/19ドビッチさん撮影・提供)
 
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